Previously, mari's paris life


"La France traverse une phase de vulgarite. Paris, centre et rayonnement de betise universelle" - C. Baudelaire :p
子どもの成長は、なんと早いものか



昨日、二週間ぶりに会った姪っ子。この日、ノルマンディーからフランスのおじいちゃんが来ていたので、姪っ子は私なんてそっちのけで、おじいちゃんに夢中だったけど(悲しくなんかなかったさー!!)、ちょっと見ない間に、この成長っぷり。。


いや、前からもう歩いてたけどさ。赤ちゃんっぽさがなくなって、もうすっかり幼児の風貌、いや、れっきとした小さなフランス女の風格ばっちりなのである。


木漏れ日が綺麗だったのと、歩く後ろ姿が愛らしかったので、思わず撮った。パリに帰ってきたから、また夕方迎えに行くよ〜〜〜



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I no longer belong here

前置きもなく始めるけれども。ひゃー、またも時間が経ってしまった。しかし!こう見えても、私は2月は友達に頼まれた翻訳の仕事をし、3月は中旬から、二週間ほど日本語教師の養成講座に通ったりと、なかなか真面目に、忙しくしておったのだよ。そしてもちろん、その合間には、平行して習字のお稽古へ。早く三段くらいになりたいと思うものの、なかなか一人では辿り着けないわけで、もどかしい。それを解決してくれるのは、練習あるのみであります。

 

 

そして実は、昨日までの約二週間ほど、日本へ帰っていた。やっと心身ともに落ち着いてきたということもあり、4月は時間がありそうだったのと、今年の夏は帰れないことが分かっていたので、これを逃すと、次は年末。それはちょっと遠いなぁ、と思い。思い立ったが吉日で、一ヶ月前に予約を取ると、旅立つ日はあっという間にやって来た。こんなにも早く、『あ、帰ろう!』と決めたこと、ないってぐらい。改めて、自分のフットワークの軽さというか、無計画さに、我ながら、ブラボー。

 

 

一緒に暮らしているコーチは私がいない間、やはり寂しかったようで、『もう、私一人の身じゃないのね』とまるで妊婦のように感傷に浸ってみたり。別々に暮らしていればどうってことなくても、もうすっかり二人での暮らしが出来上がっている中で、どちらか片方が二週間もいなくなると、相手の不在というのは大きいものなのだろう。旅立ってからというもの、ほぼ毎晩チクチク言われたけれど、それでも快く送り出してくれたので、感謝している。

 

 

行きだけ成田に着いて、初めて成田エクスプレスという電車に乗って、品川まで出た。品川の近くに住む、友達のところへ泊めてもらえることになっていたから。ちょうどラッシュアワーでごった返す品川駅に着くと、成田エクスプレスが着いたホームからは、家へと急ぐ人と見事にすれ違う仕組みになっていて、私はスーツケースを持ち、季節外れの野暮ったい厚着をしたまま(だってまだパリは寒かったからさ)、なるべく人々の邪魔にならないよう、人ごみを逆流して歩いた。なぜだろう、大量の、どれも同じような黒っぽいスーツを着た人たち、季節柄、リクルートスーツに身を包んだ、いかにもフレッシュで、新社会人という感じの若者にも出くわす 誰も疲れているので、皆、無表情で、ただ家路へと急ぐ。そんな人々と大量にすれ違い、私はなぜか、同じ日本人のはずなのに、『もう私はここには属さない』、そんな風に感じた。直感的に。

 

 

1月の、テロに対するマーチの時。同じくマーチが終わって家へ帰る人々と、リヴォリ通りの中央分離帯の上から逆流して、すれ違った時、私の心は、こうした人々と一緒にあって、同じように感じ、同盟を、連帯を感じていたというのに、なぜ、自分の国へ帰った途端、同じようには感じられないのか。ことさら矛盾のように思えて、おかしくもあったし、同調できない自分が悲しくもあった。心ではいつも、遠く離れた日本のことを思い、日本で何が起こっているか、時事ニュースだって出来るだけ目にするようにし、なるべく置いてきぼりにならないよう、気をつけているというのに、私の心は、もう同じ日本人の中では異国人のように感じるなんて。

 

 

電車の中でも、みんな一心不乱に手元の携帯に見入っている。その目は、生気に満ちていなくて、疲れだけが読み取れ、彼らが一体何を考えているのか、その表情からは読み取ることが出来ず、不安になり、怖くなるとともに、心が痛くなった。同じ電車でも、パリのメトロに乗っている人々の方が表情豊かで、ドラマチックである。ラテンと、Zenであることの違い。アティチュードからして違う。

 

 

日本とフランスが、その言葉のように、まったく違う社会で、文化であることはよく分かっているし、今更その違いを訴えようとも、批難しようとも思わない。ただ、本当にまったく違うと、こういう日常のワンシーンを目にするだけで、思ってしまう。そして、「もっと自己主張しなさい!」、「もっとはっきり言わないと駄目よ」と、ほぼ毎日のように怒られた怒濤の会社員時代を思い出し。。。それはそう遠い昔ではないのだが、やはり、日本人をフランス人にトランスフォームしようとしたって、畑が違うというか、いくら努力しても無理な話だったのだな、と思う。そう叱ってくれた上司には本当に感謝しているし、それは妥当な評価であったし、私の出来が悪くて、申し訳なかったなと思う。心ではいつも、そうなりたいと思っていたし、それが当時の私にとって、一番のミッションだったなと思う。

 

 

今は一時的に仕事を休んでいることもあって、ただフランスで暮らしてりゃいいので、こんなに楽なことはない。最も、日本で過ごすと、後半になるに従ってますます居心地がよくなり(当たり前なのだけど)、どんな店へ行ってもお店の人は優しいし、すこぶる丁寧だしで、いつもフランスに帰る度に、『あぁまた、お店の人が、冷たく、不親切な国へ帰らねばならぬ。。』と、ぐっと来るものがあるのだけど、と同時に、『また頑張ろう』と気持ちを新たにするというか。何度したって、やはり少しだけ、帰る前にはいつも勇気を奮い起こす自分がいる。

 

 

そんな不安な気持ちを抱えたまま、シャルル・ド・ゴール空港に着くと、迎えてくれたのは、優しい夏の太陽だった。真夏というにはまだ早いけれど、街行く人は皆夏の格好をして、女子はワンピースだったり、ノースリーブだったりと、まるで私がいなかったほんのちょっとの間に、季節が変わっていたみたい。それまでも、彼からのメールで、「最近パリはすごく天気いいよ。今日も一人で散歩して、セーヌまで行ってきたけど、カップルだらけで(と、以降愚痴をぶつけられる)」と天気がいいのは知っていたのだけれど、あまりにも長く暗い冬のおかげで、夏という季節がほんとうに存在していて、また訪れてくれたということ、信じられないでいた。タクシーから、きょろきょろと覗く。(えぇ、荷物が多いことを理由に、誘惑に負けてタクシーに乗ったとも!!)知っている街のはずなのに、こうにも日差しや、季節が違うだけで、物珍しく映る。まるで、初めて見る街のように。新鮮に映った。

 

 

あまりにも太陽は優しく、美しいので、おかげで大丈夫、ここでまた生きていけるさという気になってくる。あのまま日本に住んでいれば、何にかっかすることなく、心穏やかに暮らせただろうけど、それでも私は、私の人生を変えることを選んだ。後悔していない。辛かった日々を除いても、手に入れた今の生活や友は、かけがえがなく、最近ようやく、これから何年、フランスに暮らすことになろうとも、怖くない。そう、思えるようになった。

 

 

これってものすごい変化で、自分が一番びっくりしている。簡単な例だけど、例えば、最初の頃は仕事が大変過ぎて、『満期の3年まで、私、持つかな』と涙したり(母が証言)、好きな画集でも、これは重たいから持って帰るの大変になるから、買うのやめよう、と思ったり、お皿でも、なるべく買わず、やはり理由は、持って帰るの大変になるからやめよう、、だったのだけど、ここ半年くらいは、画集は買っちゃうし、食器もいろいろ買い揃えたしで、いつの間にか、私の心はしっかりとフランスに根付いていたようで。びっくりした。

 

 

« I no longer belong here » とも思うし、« I belong to nowhere »とも思う。もしかしたら、この先また違う国に住むことになるかもしれない。未来のことは誰にも分からない。いつも、今までも、何も分からなかったのと同じように。

 

 

***

 

 

日本で読みたい本をたくさん買った。最近日本語・国語について勉強していることもあって、そういう日本語関係の本も、たくさん。母国語ゆえに、近過ぎて、意識しなかったけど、「日本語」って語学の目線で考えると、むちゃくちゃ面白い。私は英語もフランス語も好きだけど、自分の言語である日本語も昔から好きである。今でも日本語は3Dだと思っているし。

鉄は熱いうちに叩けで、興味のあることは、興味のあるうちに集中して吸収!また来月か、その後くらいには、きっと違う波が来ていることと思うけど、今は国語に夢中であります。(広島のホテルでは、置いてあった現代語訳の「古事記」も読んだことだし。何してんだ(笑)。)

 

 

***

 

今回の帰省で、子どもの頃、小学・中学と書道を習っていた、まさに一番始めの先生に会いに行った。昔となんら変わりなく、84歳とは思えない程元気である。14歳で別の教室に移った私が、31になりこうして会いに行くと、やはり記憶と目の前の人物とが繋がらなかったらしく、最初はやはりぎこちなかったのだが、それでも良くして下さった。有り難い。

 

 

私は(少しでも話が盛り上がるようにと)今使っている筆と、お稽古で書いた、一番ましと思われる臨書を、半紙と半切、それぞれ5枚ずつくらい、様々な書体のを持って行き、見てもらったのだけど、飛んできた言葉はやっぱり、「これはまだ、先が長い …!」であったので、昔と変わらぬ先生の率直さ、言葉の優しさに、感動しました。ごもっともであります。早く、八段くらいにならなければ、本来ならこうして見てももらえないのだろうな、と感じ取ってしまった。

 

 

子どもの頃の私と、大人になった私とが段々と頭の中で繋がってきたのか、自然と話も盛り上がり、84歳の先生は、84になった今でも、毎月東京の方へ、自分の書いた臨書を送り、添削してもらっていると聞いた際にはべっくらして倒れそうになったといいますか、人間やはし、死ぬまで一生、勉強なのだなと意識を新たにしたというか、私の先がまだまだ長い(半人前以下)というのは当然のことなんだな、と、いろいろな感情がごっちゃ混ぜになって、なんかもう、「ははー!」とひれ伏すしかない。そんな感情になった。

 

 

別れる際には、昔の先生のユーモアと変わらぬ調子で、「もう別れて、帰ってこい!わしの後を継いで欲しい。(自分が死んだら)持ってる墨も道具も、全部捨てんといけんくなる」とおっしゃって、『いやそれは、捨てないで、是非遺品として頂きたい!』とちゃっかり思ったのだけれど、始めは冗談かと思って笑って聞き流していたら、先生は何度もそう言われるので、私も考えてしまって、この街に帰ってきて、先生のところへ弟子入りして、一生独身で終わったかもしれないけど、書に、芸に身を費やす人生も、悪くなかったかと、そういう人生もありだったかと思ったりしたけれども、残念ながら、現実はそうはゆかないわけで、私にはパリでの生活があるわけで、体が二つあったらと思わぬこともなかったけれども、悲しくて、複雑な気持ちになった。

 

 

そういう道もあるということ、もっと早く知れたら、違う風になっていたかもしれない。けれど、私がまだ書道を始めたのは、フランスに来てからであって、フランスへ来ていなかったら、私はまた書道を始めようとも、思わなかったのだ。これもまた、不思議な縁である。そして、今習っているパリの先生の才能に、べた惚れしている。先生の描くような世界、それも「書く」という漢字だけではなく、「描く」という要素もあるのだけど、つまりは「誰も字など書いてはいない」、、、あの言葉はほんとうだなぁと思うのだけど、私がそんな風に、書を通じて表現出来るようになるのは、言葉の上で言う三段とか、八段を通り越して、まだまだ本当に長い道のりが待ち構えているのであって、果てしのない、無駄な投資をしているのだろうか、高く付くな、、と、思わぬこともないのだけれど、文章でも書道でも、書くことが好きだし、家でお稽古していれば、母に「書いてる時嬉しそう、楽しそう」と言われ、その言葉が妙に嬉しく、念願叶って初めて熊野の町へ行けば、子ども時代の先生が即電話を入れておいてくれたこともあって、お店の人が非常に良くして下さり、熊野筆と言えば、今ではすっかり、化粧筆の方が有名になり、売り上げでも勝るという話で、「こんな若い方が、書道を」と伝統工芸師の方も喜んで、筆が出来るまでの様々な工程のお話をして見せて下さったり、町の書道具店で紙を買えば、いつも必ず1割引してくれたり、家用にと買った硯なんて、相当古いものだからと3割引きもして下さって、書道のおかげで、よいことばかりなんである。有り難い。

 

 

せっかくこうしてフランスにいるのだから、なんかもう諦めて()、普通とは違う道を行くことにする。日本にいたら、あのまま一生懸命会社員をやって、書道のこともてんで思い出さず、刺激のない、孤独な人生を歩んでいただろう。フランスに来て、大変なことはいっぱいあるけれど、私は今の生活が好きだ。それが、すっかり、リズムとして出来上がっているのを感じる。

 

 

これからも不定期だと思いますが、思ったことをつれつれと書いていきますのでよろしくです。(あと基本的なスタンスとして、日本のことを批判するつもりも、フランスの方が日本より優れてるなどど思う気は毛頭もありませんので、誤解されませぬよう...!)

 

 

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100万人以上が歩いた日
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What a day, what a special Sunday. 
I have never ever felt that French myself before.



#JeSuisCharlie

#ParisToday

#Bastille

#Manifestation





その日曜日は、これまでのどの日曜日とも異なっていた。どうしてもキャンセルしたくない先約があったため、午後3時、共和国広場から始まる行進には参加出来なかったけど、終息した午後5時頃、サン・ポールの教会の前で彼と待ち合わせ、バスチーユへと行った。彼は、一人で参加した。彼は前に、「今回の事件が、自分の何かを変えた。自分の国に対する価値観が変わった」と言っていた。



どの道を歩いても、バスチーユ方面から歩いてくる人だかりを目にする。避けることは出来ない。こんなにも多くの人が、今日は一丸となって行進したのだと思い知らされる。普段は車が通って、歩行者天国になることがないリヴォリ通りを、流れに逆らうようにバスチーユへ向かう。胸には、堂々と"Je suis Charlie"とプリントされた紙を貼った人たち、プラカードを掲げた人たち。若者、同世代、年配の方、身分・宗教に関係なく、皆誇りに満ちた顔をして、家路に着いていた。私は必然的に、流れとは逆の方へ。そんな人々とすれ違ったからだろうか、デモの熱気を胸いっぱい、正面から受けるような気がする。一心にその気持ちを受け取り、一人逆方向へ、中央分離帯の上を歩くと、その時私は、まことにフランス人だった。フランス人の気持ちになりきっていた。





デモの区間は共和国広場からナシオンまで、と企画されていたけれど、若者はバスチーユと決まっている。革命が起きたこの場所で、若者は塔によじ登り、声高く叫ぶと、連呼する声が。「シャルリーコール」が止まない。これだけの若者が今回の事件、ひいては政治に興味を持ち、犠牲者に対し、暴力に対し叫ぶ姿を見ると、いつも安心する。これだけの若者が国に関心を持つ限り、この国は安泰だ、まだまだ未来を信じることが出来ると思えるからだ。



「自由(リベルテ)」と書かれた横断幕は、よく見ると一本一本のペンで出来ている。言論の自由、表現の自由を。もちろん、辛辣にもなる風刺画が招いた事実、結果は忘れてはならない。けれど何より、野蛮な行為を以て反論に出た悪を、自分たちが革命以来、いつも自分たちの手で築き上げてきた自由を危険に陥れる者を、フランスは許さない。自分たちの自由を脅かされて、フランス人は怒っている。と同時に、自分たちはテロに屈しない、フランスでテロを起こすのは止めてくれ、ここフランスでは何でも言う権利があるのだ、自分たちに迷惑かけるなと叫ぶ声が聞こえる。



涙が溢れてきて、止まらない。広場にいるだけなのに、あまりにも胸を打たれた。恐れず、悪に対して叫ぶ姿は美しく、そこには何にだって勝つ力があるように思えた。(行進に参加していたら、きっと号泣していたことだろう。。)遠くの方から、警備に当たっていた警察の車が何台もやって来る。みんな、拍手して迎える。車の中にいる警官たちも、喜んだ顔で通り過ぎて行く。嫌味のない、誇らしげな表情だ。町衆は、「お見事、ブラボー!」と皆口々に叫んでいる。


広場には、(写真でも見えるけど)ターバンを巻いたおそらくヒンズー教徒の集まりが。写真を撮る人もいた。これぞ、まさに今回のマーチにおけるスタンスで、「フランスは人種・国籍・肌の色・宗教に関係なく、野蛮な行為を許さない」と伝わってくる。(そして私の超個人的な定義では、「フランスで教育を受けた者・フランス語を話す者は、皆フランス人」だ。)




フランスで素晴らしいと思う点は、この様にいざとなると結束し、連帯感があることだ。とある知人が、「フランスではホームレスに施しを与える人が多くいて、びっくりした」と言っていた。彼女はポーランド人だけれども、イギリスに暮らしている。(何もイギリス批判をしたいわけじゃない)フランスでは、おそらくカトリックの精神から来る、助け合い・連帯の精神がある。どんなに普段、他人に対して無関心に見えるフランス人でも、心の根っこには皆あたたかいものを持ち、いざとなれば一致団結し、助け合うことが出来る。それを当然のことと、隠さずさらりとやってのける様に、私はいつも胸が熱くなる。




今回のマーチは、「フランスはテロに屈しない。フランスの自由を脅かすことを許さない」というメッセージを含み、反対因子を追い出すに相当する程、活気溢れるものだった。少なくとも、私はそう信じたい。いくら時間が掛かろうとも、平和で穏やかなフランスを、いつもの日々を取り戻したい。



当たり前の日常がある暖かさを、日々の有り難味を。第二次、第三次テロが起きないことを。非力だけど、祈って止まない。






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シャルリー・エブドに捧ぐ
大変なことが起きてしまった…。緊張がみなぎる中、今朝はまた、パリ郊外の南に当たる地区で、警察官に対する発砲事件が。昨日の事件との関係性は、今のところまだ不明だけれども、昨日の事件以来、アラブ系の商店が攻撃されたり、暴力の連鎖が止まない。暴力の連鎖が一番怖い。


フランスは、昨日から酷い、暗い気分で、喪に服している。オランド大統領が募って、正午には一分間の黙祷が各地で行われ、ノートルダム大聖堂の鐘は、弔いの鐘を鳴らした。ジャーナリスト達はペンを持って共和国広場に集まり、ジャーナリストではない人々も、同様に集まった。今日の夜もデモは続き、土曜に予定されていたデモは日曜日に持ち越されたが、今回の惨劇を受けて、フランス全土が報道の自由と博愛の名のもとに、一丸となって集まり、祈りを捧げる姿はとても美しく、心からの敬意を払う。


特に日本のメディアで、「ひどい風刺画を描いたという事実を忘れてはならない」等の意見も目にした。それは最もな意見だが、ここフランスでは、『あんな風刺画、描かなけりゃよかったのに』、『描いた人たちに責任がある』という声は、一切聞かれない。ここは、カトリックの国、フランスで、自由と平等、博愛のもとに、フランス人は自国に誇りを持ち、愛を持ち、暮らしている。フランスはイスラムの国ではない。フランスでは、すべて、何にでも自由に言う権利がある。対象が、例え宗教であろうとも、それは決してタブーではない。すべては自由、言論の自由という基本構想のもとに、許される、何ら問題のない行為なのだ。それが、世界的によく知られ、悪く言えば「自分勝手」と理解される、フランス人の性格、国民性を表している。(同居人とも話したが、例えば犯される子どもなど、非道徳的で、イモラルな内容は別だろうし、規制されるべきだろう。)


私も始めは、挑発的な風刺画のはらむ危険性の方に危惧した。けれど、それは間違いで、繰り返すが、ここはフランスなのだ。何度攻撃の恐怖に晒されても、表現することを諦めてはならないし、シャルリー・エブドの風刺画家たちも、同様に、描くことを、新聞を発行することを止めなかった。テロの脅威に屈しない精神こそが、彼らが風刺画家たる所以であるし、彼らには、自由に、何にでも - 標的は何もイスラム原理主義だけでなく、カトリック教会であったり、右派であったり、何にだってなった  - からかい、嘲笑する権利があった。皮肉に笑い出し、真実を突き刺すと、絵で伝える。それこそが風刺画本来の、シンプルで、誰にでも伝わる役割だ。


また、このような「皮肉ったユーモア」は、フランス人が最も得意とするところであり、ウィットでもある。犯人たちは、これを正面から受け止め、行動に移してしまったのだろう。冗談の通じない、生真面目な人のことを、Premier degré、文字通り(第一段階で)受け取る人と言い、裏の意味(ジョーク)をきちんと理解し、一緒に笑える高尚な人のことを、Deuxième degré(二段階目)という表現があるが、今回の事件は、まさにこの「ずれ」から来ているだろう。



今回の事件で、ジャーナリズムひいては民主主義は今、危険に脅かされる形になったが、何があっても屈してはならない。その精神こそが、ジャーナリズムに任された権利であり、また、挑戦でもある。どんな記事でも、言葉にされ、記事にされる限り、どこかで誰かを必ず傷つけることになるだろう。その責任は忘れてはならない。けれど、どんな状況であっても、それが人を殺してもいい理由になることはあり得ない。何の理由だって、人を殺してもいい理由にはならない。



一部の過激派のおかげで、一般のイスラム教徒も、迷惑を被る。イスラムは本来、「平和への道」という意味だというのに、コーランのどこにも、人を殺してもよいなどという記載はないのに、行き過ぎた誤解のみが、次々に暴力を生み出し、こうして悲惨な事件が生まれた。フランスに数多く暮らす、イスラム系家庭の二世の子どもたち、若者も、この野蛮で、暴力的な事件に、「自分がイスラム教徒でも、(犯人に対し)何のつながりも感じない、ああいった行為はイスラム教の定義するところではない」と話す姿を見て、胸を熱くし、共感するとともに、起こってしまった惨劇に、本当に悲しく、残念に思う。



昨夜はあちこちのチャンネルで、被害に遭ったジャーナリスト四人の特集が組まれ、釘付けになって見た。四人とも、慈愛溢れる優しい目をしている。彼らが亡くなってしまったことが、残念でならない。


ヨーロッパで一番多いとされるイスラム教徒の住むフランス、また、フランスからイスラム国へ参加するべき、旅立った人の数も一番多いとされる。その事実だけでも、政府を悩ます問題であったというのに、昨日の事件では、それが実行に移されてしまった…。



シャルリー・エブドには、まずは来週の水曜を始めとして、これからも発行し続けて欲しい。その姿勢こそが、彼らの存在理由であり、政治的スタンスであり、今回の事件への答えにもなり、何より今後への挑戦になる。被害に遭った12人の方、またその家族、友人に対し、心からお悔やみを申し上げます。



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It is nothing, but it is everything






























有言実行、願い叶って、無事予定通り、クリスマスの後、二泊三日でブルターニュへ行ってきました。初めてのブルターニュ。あんなにびゅんびゅんと吹く風の中を歩いたのは、久しぶりだった。それに、よく言う通り、典型的に「よく雨が降っては止んで、また降る」というブルターニュ的天気を体験したのも初めて!一時はみぞれが降りましたが、幸い車の中で、よかったー!二日目の午後に向かったのは、お向かいのサン・マロ。上の写真はいろいろと混じっています。


モンサンミッシェルは、遠くから見ると、なんて美しい。どうしてあんな岩山が、あの地形にたった一人、存在したのか。昔の人がそこに、信仰心を見たのが分かる。何かを、信じたくなったのも。澄んだ空にぽっかりと浮かぶ聖なる島は、フランスが誇る世界遺産だというのも、納得がいった。




打ち寄せる波に、夜はどこまでも砂浜の上を歩いていけそうな、深い海、容赦なく頬を切る、塩分を含んだ風… 久しぶりにこんな自然を肌に感じたけれど、防波堤だって人間の都合のいいように、調整してある。自然とは言っても、まだ「優しい」自然。人間が住みやすいよう、あくまで人間の勝手にデザインしてある自然に過ぎない。それでも、普段パリに住んでいてはなかなか触れることのないものを間近にしたので、ものすごーーーく寒かったけれど、いい体験でした。



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ブルターニュでは、ブルターニュ出身という、すごく年の離れた友達のことを考えた。彼はガンだと言う。



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ブルターニュには初めて行ったけれど、行き交う人が誰もとてもシックで、それは皆が、第二の家を持っていたり、カジノがあったり、余裕のある人たちが多く行き来するせいもあるかもしれないけど、本場のマリンルックを目の当たりにしたり、はっとするような青い目の女性や、潮風に照らされた金髪の男性の前髪… そういったディーテールに終始目を奪われました。



辿り着くまで、3時間強かかっただろうか。それまでの、何もないような、どこまでも続く、フランスの田園風景というか、酪農風景、原風景を目にするのが好きだ。雲はだんだんと奥行きを増して、立体感が。空はどこまでも広く、乳牛や放牧されている馬の傍には地平線が見えるよう。途切れ途切れに民家があり、ちょっとした村があると、大体の構図は決まっている。まず中心地に教会があり、その塔はどの建物よりも抜きに出ていて、ゴシック建築の、尖った屋根が目に入る。遠くからでも。教会を巡ってぐるっと、郵便局、パン屋さんなどの商店があり、かたつむり状に町を成している。そんな風景は、中世から変わっていないのではないかと思わされる。そうして変わらず、機能し続ける町の姿。人間にとってほんとうに必要なものとは、何だろう?





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クリスマスのプレゼントに、彼のお姉さんからもらった本の一冊、イヴ・サン・ローランの伝記のような、小さな本にあった言葉。"It is nothing, but it is everything." 


後半部分はサン・ローラン自身によるデッサンや、格言が詰まっていて、まるで宝箱のような本。好きなデザイナーなので、嬉しいプレゼントだった。デザインや何よりも、彼の哲学が好き。


何でもないけれど、すべてが詰まっているような。私もそんなものを書きたい。何でもないようで、読み終えると深い言葉の海に、数日間浸かるような。それは、私が道中見た、フランスの原風景にも似ている。何があるというわけではないけれど、そこにはまるで、すべてが詰まっているような。


夕暮れをまもなくにして、昼と夜の境界線が、赤みを帯びてピンクになる。不揃いに時々木々が立ち、家屋が見える。あちらこちらに見える雑木林には、複数の宿り木が。何も特別なものはない、これらの風景は、数百年前からきっと変わっていないと思わされるような… 圧倒的な強さ、美がそこにはある。その瞬間は何でもなくても、一度目にしたら、心地よい衝撃が身を付いて離れられないような… そんなものを、私は書きたい。







新年、明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。





mari









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