Previously, mari's paris life


"La France traverse une phase de vulgarite. Paris, centre et rayonnement de betise universelle" - C. Baudelaire :p
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中国出張編!
今、出張で中国にいる。また北京だ。二週間過ごして、いよいよ明日日本に帰る。私のような身分では、出張など夢のまた夢だと思っていたが、事情により自分から提案してみたところ、紆余曲折あった後、無事行かせてもらえることになってやって来た。無事、こちらでの任務も終わり、いよいよ明日帰る。ほんとうは、本社のあるパリに行かせてくれや!くらい冗談で(・・?)言ってみたかったものの、パリにこそ私など社用など何もないのであって、上司に「お前の魂胆は見え見えだぞ!」とたしなめられるのがオチだと、簡単に予想が付いたため、北京で落ち着いた。というわけではなくて、そう言ってみたいのは山々なのだけど、私の社用があるのは私のチームがある北京なのであって、こうしてやって来たのである。いよいよ明日(以下省略)。



9月にやって来た時以来、中国は実に二回目なのだけれど、今回もいやー圧倒させられた!アメリカのように広大だよこの国は・・。前回はそんなに感じなかった気がするのだけど、今回の滞在では、長期なこともあってか、びゅんびゅん飛ばしてくる車が恐くて恐くて、冗談抜きに一人で道を歩くことができなかった(笑)。会社が取ってくれたホテルが遠くって、そして近くに地下鉄がないエリアだったため(正確には、あるのだけれど、最寄り駅まで徒歩1時間というレベルだった・・・)、タクシー通勤を余技なくされたのだけど、これもまた、毎朝タクシーを見つけるのがまず至難の業で・・。私が「8時45分にタクシーを呼んで下さい」とお願いしても、渋滞がひどく時間通り来てくれなかったり、5分早く来て、私がロビーにいなかったため先に行ってしまう(フロントの人曰く、タクシーは朝が一番忙しい時間帯らしく、"Taxi drivers won't wait!"とのことだった・・・)、だったりで、こちとらがきちんと仕度を終えて、ロビーに下りてきても、そこから10分間待ちぼうけをくらったり、やっと来た!と思っても、高速に乗って3分も経たないうちにひどい渋滞に巻き込まれたりと、通勤手段の確実なる確保だけが困難であった・・。



東京-北京間で働いている時から、北京のチームメイトが朝出社する時間がまちまちだったり、よく遅刻することがあって不思議に思っていたのだけれど、こうして来てみると、実に納得したのであった。渋滞がひどいのだ。話には聞いていたけど、北京はほんとうに渋滞がひどいと思う。まず、車車車。そして、歩道や横断歩道関係なく、そこら中を平気で歩き、渡る人々。彼らはびゅんびゅん飛ばしてくる車が恐くないのだろうか?私は恐い(声を大にして言う!)。こういう環境で生まれ育つと当たり前で、慣れてしまうのかもしれないけど、私は恐いー。関西にも住んだし、少々荒い運転の車には慣れているつもりだったけれど、中国とはてんで比にならなかった・・・。私は京都に住んでいた頃から、横断歩道すれすれに停車したり、左折する際歩行者すれすれまで寄ってくる車達は、絶対領域は必ず守るというか、絶対にそれ以上は近付いてこない、歩行者の安全は守られているというような、暗黙の了解みたいなものを肌で感じていて、意外と平気だなどと思っていたのだけど、北京ではその感覚はてんで通用しなかった・・。恐い。ただ恐い。。歩行者のすぐ横を、平気で右折したり、すぐ手前まで加速して飛んでゆき、ぎっりぎりで止まったりする。信号を守らず、そこら中歩いてしまう歩行者の勇気もすごい。



交通事情の中で一番びっくりしたことは、この国ではドライバーが右折(中国は日本とは車線が逆)したい時は、例えすぐ傍の横断歩道を歩行者が渡っていて、つまり、歩行者用の信号が緑でも、ドライバーには堂々と右折する権利があるらしく?例え人が歩いていても、ぜーんぜん遠慮する必要はないらしい点・・。まったく自由な国だよ・・。日本では、ドライバーは左折したい場合、歩行者用の信号が緑で、人が全然渡っている時は、必ず歩行者が渡りきるのを待ってから左折しなければならないので、それに慣れている私は、まぁ、中国のこの法律を知らなかったこともあり、横断歩道を渡っている際、いきなり車が右折しようとやって来るので、度肝を抜かれたものである・・。



とにかく生きて、one pieceで帰らなければ・・・。気が付くと、私は仕事上の任務(なぜ今回出張に来たのか)よりも、目の前をどんどん通過する車に引かれないよう、細心の注意を払うことの方に神経を集中させていた・・・。



そして。毎日タクシーに乗っていて気が付いたのだけど、この国では車線変更をしたい際は、ウィンカーを付けるのはドライバー本人の意思に任されているのだろうか?はっきり定められてはいないのだろうか?正しいことは分からないけど、私が単純計算でも二週間で計14回タクシーに乗った中では、車線変更の際、ウィンカーを付けたのはほんの2台くらいであった。うーん謎なぞ。京都でも体験したことあるけど、あとは圧倒的に、どちらの車線でもない、いわば中間を走り、空いてる方に入るというのが多かった気がする。まぁ、ずっとではないにしろ。





2週間も毎日こうして通勤していると、この辺の地理にもすっかり慣れて、高速を行くパターンと、下道を行くパターンと2種類あり、下道は下道で、いろいろあるのだけれど、大体のルートが分かってくると、見慣れない、漢字だらけの街並みがいつしか見慣れたものとなり、それはなかなかの異文化体験なのであった。



現地の同僚、お友達いわく、「あんまり歩道と車道の区別ない・・」とのことだったので、?歩行者はどこでもかしこでも歩かないようにする。信号を守る。?ドライバーも信号を守る、てゆうか右折する際は日本の左折する際のルール(歩行者が渡りきるまで待つ)方式にしようよー!?高速の入り口は、行く先別にちゃんと下道に作る・・・ 以上の3つを、私がもし中国交通局か何かの偉いさんになったら制定したいと思う。うん。



?だが、帰り道だけ、いつもドライバーは下道を行くので、私はどうして行きと同じ高速を逆方向に進まないのか、高速の方が早いのではないか、常々疑問に思っていた。が、どうして下道の方が早いのか、ある日理解したのである・・。それは・・



北京だけなのか、他の都市でもそうなのか分からないが、高速の入り口が、行き先別に分かれておらず、日本やアメリカのように、行く方向によって予め下道を通り、バイパス?を抜け、その後高速に入る、式になっていなかったのだ!!!これにも度肝を抜かれた・・・。私が体験した北京の場合、まず、適当に高速の側道に入る。高速の入り口までしばらく進む(てゆーかすでにここで渋滞・・)。高速の入り口が来たら、同じ道路上を左折して、入る。ん?例えばそのまま南下したい人は真っ直ぐ、高速を北上したい人、つまり反対方向へ行きたい人は、南下したい人と途中まで一緒に進み、高速の入り口(左折できるところ・・・)が来たら左折するわけだ。しかし!その先には横断歩道があり、これまた13億人のうちの何十人かがわらわらと歩いている。赤信号でも平気で渡っちゃうので、常に歩行者がいる感じだ。なのでなかなか左折+左折して北上するルートへと入れない。後続車詰まる。渋滞起こる。渋滞起こる・・である!!



び・・っくりした・・・。なんちゅー適当な作り・・(笑)。甚だ疑問だ。どうして(ぷっくわ?)、中国にはこれ程までの車と歩行者がいるというのに、これだけの車を上手く吐き出す道路システムが構築されていないのだろう。どうして、北京の街を再開発なり、新たに高速道路を作るなりした際に、これだけの車が普段走っているのだから、いかにして道路を流すか、車をスムースに進ませるか、考えなかったんだろう?日本のようにバイパス構造、二階建てのような作りにして、下に入り口別道路を作り、車は入り口別に道路を上がって行き、二階部分にある高速へ到着、入り口別なのでそのまま進む・・にしなかったんだ?!謎謎謎。おんなじところから入ってその後左折、左折、ではらちが空かないよ・・・(笑)。中国政府!なぜなんだ、あ?!教えてくれ・・・・・・。私は愕然とした。。そして、高速を通って帰るよりも、下道を通って帰る方がはるかに安いことも判明した。幸い、高速編のドライバーは優しいおっちゃんで、左折+左折に至るまでの渋滞中、詰まって動かなくなる度にメーターの電源を2回も切ってくれたりしたのだけど。







あまり詳しくもないのに、道路事情について感じたことをいろいろと書いたが、もしどなたか理由が分かる方がいらっしゃれば、どうか教えて欲しい・・・。





とまぁ、どうして渋滞が出来上がるのか、その仕組みを学び、度肝を抜かれたことは普段なかなか得られない経験であったし、感謝している。が、まだまだ度肝を抜かれたことがあったのであって・・・。例えば、40分タクシーの中に閉じ込められて(渋滞に遭って)、ガラス越しに照りつける日差しは強く、右の頬骨辺りがじりじりと音を立てて日焼けしそうになった後、やっとの思いで到着し、出社した際、ホコリっぽいな〜、なんか手を洗いたいな〜と思って会社のトイレの洗面所へ行ったならば、そこでふっつーに野菜(青菜とミニトマト)洗ってる人がいて、び・・・・・・・っくり!!!したことなどだけど(しばらく凝視した後、「どうしてトイレで野菜を洗っているのですか?」と聞いてみた。すると返事は、「今から電子レンジで朝食のスープを作るのよ」ということであった)、まぁ13億個くらい、いろいろとネタが尽きないので、続きはまたの機会に・・。とりあえず明日日本に帰ります。はは。おやすみなさい!
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中国に行ってきた!
さて(と突然始めてみる)、中華料理が大好きなのと、北京支社の子達と仲良くなって、会いたくなったのと、いろいろあってものすごーく気分転換が必要となって、この度北京へ行ってきた。3泊4日の格安ツアー(もちろんフリープラン!)。結果から言うと、とても楽しかった。見るものすべてが強烈で、新しかったし、街なんて、東京よりきれいだと思った。ゴミなんて落ちていなかったし、空気も心配していた程ホコリっぽくもなく(超乾燥していて喉は壊したがな!)、お腹も壊すことなく、日本ではよく、中国のことをネガティブに報道されることが多いが、メディアから知っていた情報とはまったく違って、実に楽しく、いい旅であった。



同僚の女の子と一緒に行ったのだが、北京は上海に比べ、昨今観光地としてあまり人気がないようで、滞在中は、日本人観光客を一人(それもバックパッカー風の女の人)と、帰りの空港にてビジネスマンの日本人男性二人しか見なかった。女の子二人で北京に行くのは相当珍しいようで、行きの空港にも、観光風の人もいることはいたのだが、他は皆、中国へ帰る中国人ばかりであった。のっけから、見知らぬおばさんに「機内預かりの荷物が多いから、手分けして欲しい」と無茶難題を要求され、『さすが中国人・・』とびっくりするものがあったが(もちろんそんなことは無理で、後できちんと断った)、こんな風にびっくりしたのは、もちろんこれだけでなく。電車に乗るのは、降りる人が先に降りてからというルールがまかり通っている日本と違って、ニュースで見聞きしていた通り、中国人はどんどん乗り込んでしまうし、バス停には、ニュースで見た通り、「1の付く日は並びましょう」となんともこっけいな看板が立っているし、胡同では、おじさんにはっと腕を掴まれたかと思うと、そのおじさんは自転車に乗っていて、人混みの中を掻き分けて進むため、近くにいた私の腕をぱっと取り、そのまま踏み台にして、私の腕をぱっと離し、勢いを付けると、そのまますいーとこいで行ったのであった。あれには笑ったxD! それから、アジアでは珍しい風景ではないらしいが、赤ちゃんの服の、おしりの部分が破け、みんなおしり丸出しなこと!私は初めて目にしたので、写真を撮ったが、写真に写すと、なんだが余計にいやらしい感じになり(笑)、これでは私の方が性犯罪で捕まりそうである。トイレをさせるのに、オムツと比べ時間がかからず、汚れを拭く手間もはぶけるので、便利らしいが、それにしても三歳までみんなこれって・・みんな三年間おしり丸出しかーいxD 二日間も休みを取り、案内してくれた北京支社の男の子も、「僕もあれだったよ」とつぶやいていたが・・いやーびっくりした。



とにかく、スタンダードが日本と違う。アメリカとも違うしヨーロッパとも違う。思うに、各国ごとに、その国の豊かさを定義づける基準のようなものがあると思うが(だから、フランスがあれ程働かないのに対し、豊かだったりするのだ!)、今回初めて中国に行って、自分が今まで見聞きしてきたものとはまったく違って、よく言えば、それらの情報に左右されることなく、私は自分の目で真実かどうか確かめようとしたし、また、確認したかった。だてに名前は真理ではにゃい。その結果思ったのが、中国人はこれで幸せなんだということだ。中国を、ワールドスタンダード(って何だ?)で見てはいけないと思う。確かに、オリンピック誘致、また決定、開催によって、近年急速に発展し、街もきれいになったのだろう。その取り組み、心がけは大きい。しかし、外国人の私達がぎょっとするようなことがあっても、それは彼らにとっては至って普通のことなのだ。それが中国基準なだけであって、決して外の世界の目線を持ち込んで非難してはならないだろう。ガイドに徹底してくれた彼が気を遣ってか、私達はそんなに高級なところでなく、みんなが普段行くようなレストランでよいのに、相当きれいで高級そうなところにばかり連れて行ってくれたのだが(事実高級で申し訳なかった・・)、例えば、帰りの早朝、目にしたような、道ばたで大きなアルミ缶のようなもので肉を調理したり、雲南料理屋ではイモムシがごちそうであったり、スーパーに行けば、スイカの種の中に入ってる部分がおいしい!とパック詰めで売られていたり・・。スイカの種の中がおいしいなんて、一体誰が見つけたのだろう?そういった光景は、今まで目にしたことがなかったし、私はこの通り、かなりフランス人化しているので、イモムシなどは決して食べられないが・・でもこういったことは、彼らの四千年も長きに渡る歴史の中で、至って普通のことであり、これで中国人は幸せなのだ、スーパーに行けば、スイカの種まで調理され、加工されて、パック詰めで売られていることは、この国の豊かさを表すのだと推測した。(が、当たっているかどうかはやはり分からない)



よく、フランスで聞いたジョークの中に、「中国人はテーブル以外の四足の付いたものならなんでも食べる」というものがあったが(笑)、今回の旅で、それはほんとにそうだと確信した。繰り返すが、誰がスイカの種の中をほじって、開けて、その中にある身(なのか?)が美味しい!と発見したのだろう(笑)?想像するとなんだか笑ってしまって、ちょっとおもしろい。けれど、各国には立派な食文化があって、フランス人だってかわいいかわいいウサギをぺろりと食べてしまうのだから、引き合いには出せまい。日本人だって鯨を食べると、国際社会からは批判されているではないか。とにかく、どんな食料危機が襲っても、中国人は生き延びると確信した。また、我先に!と電車に乗り込む姿や、あまり列に並ばない姿勢を見て、同僚の子と話したのは、「中国では一人っ子が多い。そのため大事に大事に育てられる。なので、こうした自分第一の性格に育ってしまうのではないか。よく言えばマイペースだし、悪く言えば自分勝手&本意。私達だって、そんな風に育てられたら、きっとそう成長するに違いない」。これが私達の推測した結論である。(余談だが、コンビニやスーパーなどあちこちで、大量にコンドームが売られていたが・・あれは、一体・・・(笑)。日本よりも堂々と、それも数多く積み上げられていたが、やはり一人っ子政策に関係しているの?誰か教えて!)



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行きの機内で出会った、パンダパンダビール。かわいいドキドキ大



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オリンピック効果で、食器は各レストラン内で洗うのではなく、専門の、外注の、工場のようなところへ運ばれていくのを見た。そしてこの通り、きれーいにパックされてまたテーブルへ・・。素晴らしい・・。



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またコイツに出会ってしまった!ザリガニ・・スウェーデン以来の宿敵じゃ。まさかまた会う日が来るとはなっ。私は・・食べませんでした:3 ほじる割合に身が少ないのをよーく知ってるからなっ!



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今回食べた、珍しい食べ物第三位に入るこれ。お店の前にある、生簀のようなところから、店のおっちゃんがタモ?でえいっと釣って、道路にばしゃ!そして編みに入れられ・・数分後・・・・



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美味しそーうに調理されて出てくるー。ナマズくんでしたー音符白身でおいしかったです。でも、食べた後自分の息が・・あぁ川魚を食べたんだと実感したっすドクロ



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滞在中、ずっと好きで飲んでたココナッツジュース。日本にも買って帰った。



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道端で何かゲームをしているおじいちゃん達。胡同にて。一昔前の、日本のよう。平和でいいですね。



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后海の夜。美しかった・・キラキラ



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北京支社が入っているビル!立派なビルじゃー。



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雲南料理のお店にて。米酒初体験!微炭酸で美味しかったですハート100%お酒ではないらしい。



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唯一観光らしいこととして・・天安門の他に、北京動物園に行ったよ!人生初パンダ!(フランス語では)ポンダ!ポンダ!パンダパンダ館に入って、すぐ手前にいる子が一番好みでしたラブいやーあんなに萌えるとは・・パンダってずるい。
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NYで出会ったヨーロッパの若者
ニューヨークに行くまで、「アメリカは多民族国家だ」とか、「ニューヨークは人種のるつぼだ」とか聞かされていたけど、正直これ程までと思わなかった。

ちょうど、私達(そうです、友達と二人で行ったのです)が訪れた時期はアメリカ中間選挙の期間で、民主党と共和党が日々争っていました。

テレビを見ても、「どの政党には票を入れるな」、「奴は○○にはふさわしくない」など、『ここまで相手のこと悪く言っていいのかな!?こんな選挙運動アリ?』と思ってしまうような程、熱く繰り広げられていました。

と同時に、候補者の名前を街中でも見ると、その苗字が外国に出自を持つものばかりだったりして、特に改めて、アメリカにおけるヒスパニック移民の台頭みたいなものを見せつけられました。明らかに、アングロサクソンではない苗字や、イタリアやヒスパニック系と分かるもの、はたまたドイツ系だったりユダヤ、ポーランド系だったり。

カフェに入っていても、ウエイターはほとんどがヒスパニック。

客である私達には英語で接客していても、従業員同士ではスペイン語で話している。

次に印象的だったのは、フランス、またはパリよりも、アフリカ系人口が多いということ。

それも皆、アフリカ大陸から来た顔をしている。

一年もパリにいたせいで、その土地で生まれたアフリカ系○○人なのか、純粋にアフリカから働きにやって来たものなのか、その顔を見分けることが出来るようになった。

ニューヨークで多く見かけたのは、もちろんアメリカで生まれ暮らしているアフリカ系アメリカ人の姿もたくさん見かけたけれど、5番街などショッピングゾーンで偽物ブランドバッグを売る人々は、皆アフリカ大陸から来た者の顔をしていた。生きてゆくのに必死な様子だった。来る日も来る日も、彼らは同じ場所に来て、観光客目当てにそういった鞄を売っている。夕方には簡易テーブル(この上に品物を載せている)をたたんで、鞄を大きな布に包み、どこかへと消えていく。どんなところで寝てるんだろうか、家族はいるんだろうか。移民問題に関心がある私にとって、考えずにはいられないことだった。



始めの十日間程、スパニッシュ・ハーレムと呼ばれる地区にあるユース・ホステルに泊まっていたのですが、スパニッシュ・ハーレムと呼ばれるだけあって、あの辺りは中南米、主にプエルトリコやドミニカ共和国からやって来た人々が多く住んでいるようでした。

そうなると、すれ違う際耳に入ってくる言葉はもっぱらスペイン語。必然的に、英語にも癖が現れる。

着いた時は治安を少々心配したけど(えっ、少々じゃなかったって?笑)、滞在するうちに角にあるコンビニにしょっちゅう行くようになるし、店のおっちゃんとは顔見知りになるし、のっけからすれ違う男どもには頻繁に声をかけられるしで(グッモーニン、ハイレイディーズは欠かせない)、すっかり馴染んでしまった。

コンビニやファストフード店の前でたむろしてる若者(圧倒的にアフリカ系である)のすぐ隣を抜けて行けなくてはいけない時もあったし、揉めている人々も見かけたけれど、

それでも危ない目に遭わなかったのは、英語が分かるのと私達がアジア人だからだねと話しました。一緒に旅行へ行ったY子ちゃん!あなたは中国語もベラベラで素敵過ぎますキラキラその後泊まった私の友達の家がチャイナタウンの超ど真ん中にあったので、ベジタリアン飲茶を食べに行った時や突然の雨に折り畳み傘を買った時など、あなたの中国語を話す姿が眩しかったですキラキラ



それで、至る所をウロウロ、歩いていたのだけど、すれ違う際フランス語をよく聞いた!

国連本部(模擬国連やってましたから、そりゃ見に行きまっせ!)を見に行った時も、身体チェックに並ぶ列のほとんどがフランス人観光客、家族連れだったりした。

メトロポリタン美術館を見に行った帰り、なんとなく歩いていたらコーヒーが飲みたくなって(なんせ寒かったもので)、でもファストフード店はいやだなぁ、なんかいいカフェないかなぁと歩いていたら、"Benoit(ぶのわ)"という名前の、とあるカフェが目に留まった。典型的なフランスの名前である。




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「この世にヨーロッパがあってよかった」
・・・お久しぶりでございますすいません

ニューヨーク旅行、未定ではなくて本当に行って参りました(笑)。

アメリカに着いた瞬間思ったこと、それは・・



「この世にヨーロッパがあってよかった」、でした。いや、本気で。



いきなり見せ付けられた豊満なボディ(つまり肥満体多し)、叫ぶように話される言語(英語)、ケーキに砂糖の粒が入りまくっている(つまりアイシング)、コーヒーをマグカップに大量にそそいでくれる(ありがたいけど小さなエスプレッソとは大違い)、人が着ている服のセンスの悪さ、ましてや歩き方に渡るまで、フランスとはまったく違うなぁと終始感激しておりました。

ヨーロッパはヨーロッパで、アメリカは建国たった300年足らずの国だから、比べちゃうのはフェアじゃないと思う。

けどね?

この世にちゃんと、ヨーロッパという、エレガンスが日常レベルで浸透してる国があって、よかったなぁと思ったんですよ。

それから食事!なんだあれ・・・いや、食べられるけど(もんじゃーぶるだけど!)、なんかね、こう・・一緒に行った友達と共に、着いて3日目辺りから、



『なんかこう・・凝った料理が食べたいね・・。いや、別に高い料理じゃなくてさ、こう、包丁で丁寧に切ってある料理とか(お刺身である)、味付けが繊細とかさ(フランス料理である)・・・』と声に出す回数が増える(笑)。

そういうちょっとしたところで、フランスとの格差を見せ付けられました。いいさ、何が悪い、専攻は英語だけどアメリカは(もう)嫌いじゃっ。



ニューヨーク自体は、さすが世界の大都市なだけあって、親友ジェイミーちゃんの言う通り、エキサイティングでクールで、とっても楽しんで参りましたハート

これと言って観光はしてなくて(なんせ結局、夜のエンパイアステート・ビルに始まり、自由の女神さえ見ていないという始末)、のんびり街の至る所を歩いたり、疲れたらカフェに入って店員さんとおしゃべりしたり、公園でリスを観察・・(これが一番楽しかったかも、暗い)とにかくのんびりとしておりました。

行く先々で人と話すのもまた楽しかったことのひとつだけど、アメリカ人のなんと人(他人である)に話しかける頻度の高いこと!

すれ違うだけでも、赤の他人なのに挨拶は欠かされず、ましてや初めて降り立った街(ブルックリンでした)のベーグル屋さんでベーグルをはふはふ食べている時、隣に座っていたにーちゃんが突然、



(席が外に面した窓に並んでいて、そこは少し高台になっているので外を歩く人たちがよく見える)

「・・なんだかここって、人間ウォッチングには最適の場所みたいだ」と、

なんとも希望に満ちた目で言うじゃありませんか。



しかしここはアメリカ(フランスではここまでではなかった)、私も何食わぬ顔で普通に返しておきましたよ。「そうね、人見てるのっておもしろいわよね」と。



それからそのにーちゃんは続いて、

「今のさ、大きな黄色い自転車に乗ってた人見た?すっげーおもしろかったんだよ、車輪がパンクしてさ、こ〜んなでっかい車輪を手に持ってたんだ」、と言うではありませんか(たぶんこのことを誰かに伝えたかったんだと見える)。



なので私もそのまま、

「えっ、それは見なかったわ。本当にいろんな人がいるわね、それに皆、私達が食べてるベーグル、おいしそうに見て行くし」と答えておきました、ちゃんちゃん音符



まぁ、細かいこむずかしい話は順を追って書きたいと思います。とその前に、卒論でいっぱいいっぱいのmariでございましたすいません
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フランスから世界を
フランスから世界を見渡すと、他の国からとは異なった点が目に入ると思う。

それは、北アフリカなど旧植民地を始めとする、アラブ世界への展望。また、アフリカ系労働移民もよく見かける。メトロに乗っているだけでも、民俗衣装を身にまとったアフリカ系マダムをよく見かけるけれど、なかなか迫力があります。アフリカの女性の民族衣装って、様々な柄がある様で、惹かれる。



アメリカにいると、南アメリカからのヒスパニック系の民俗をよく見かけるけれど、フランスではアフリカが中心になるだろう。

アメリカにしろフランスにしろ、それは今までの植民地政策や外交、経済状況などがが大いに絡んでいて、地理的な要因もあるだろうけど、顕著に現れるから面白い。



始めは北アフリカのアラブ圏の国々や、他のアフリカについても全然知らなかったのに、今ではアルジェリア出身の友達やチュニジア出身の友達も出来、何度か民俗料理も一緒に食べたし、いろいろ話を聞いて、どんどん視野が広がっていく。今まではまったく何も知らず、『どんな国なんだろう』とただ漠然と考えているだけだったのに・・ 友達も出来たことだし、自分の勉強も兼ねて、いつか見てみたい・・アフリカの国々。そこはまた、きっと独特の文化、伝統が存在しているんだろうな。違うことを目にし、理解しようとし、受け入れることが、理想的な異文化理解への近道だと思う。ただ想像を張り巡らせているだけでは、文化は理解出来ない。文化は生きていて、そこに生活する人によって守られている。



そしてフランスにいると、ただメトロに乗っているだけでも様々な人種で溢れていて、北アフリカ出身の人を見かけない日はないのでした。


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Parler, parler, parler!
パーティーの場なんかだとまた別なのですが、皆で集まってカフェやバーで飲んでいる時などは、飲むという行為はもとより、話すという行為が中心になっている気がする。話すために飲む、と言っても過言ではないかも。特に、フランスの場合。



言い換えると・・話す、つまり、議論を楽しむとでもいうのか・・ カフェやバーは、話す練習をする場所。お喋り度を鍛える所。

こないだ現在ロンドンに留学している、同じ大学の男友達がパリに遊びに来ていて、せっかくなので、私の友達も一緒に、皆で集まった。

モンパルナスにある、偶然見つけたカフェ・バーで飲んでいたのだけれど・・ 彼が驚いたのは、私達のテンション。「え、こんな感じでいいん?もっとはしゃいだり、飲んだりせんの?」と言われたんだけど、私達は至って普通だった・・(笑)。そんな、はしゃいで飲むなんてことはしないし、誰かが不自然に盛り上げることもない。皆ただ淡々と、話したいことだけを話し、時に飲み・・そうやって同じ時間を過ごしていく。それだけだ。

会話が途切れることだってある。でも、ここで大事なのは、同じ空間に位置し、同じ話題を共有しているという一体感。

安心感にでも兌換しているのか・・ そうこうしているうちに、また誰かが話し出すし、気が付くと、テーブルのあちこちでいくつもの会話が繰り広げられている。



思ったんだけど、日本は真逆なのではないでしょうか・・。

まぁ、気の合う女友達とゆっくり、相談でも聞いてもらう、積もる話があるって場合は淡々と、飲みながら話すってパターンになると思うけれど、日本の場合、大人数で集まって飲む場合、誰かが盛り上げなくてはならないと勝手に任務を背負い、これが少しでも上手くいかないと、見ている方が辛い・・ってケース、よくあるよね・・。

そんな、無理に盛り上げなくても、話す話題さえあれば、自然とテーブルは盛り上がっていくものなのではないでしょうか・・。



そして、自然と議論になる、というヨーロッパの場合、的確に話せなくても話すことが大事。ここでもまず、話すことが大事。自分が思っていることを、自分の意見を相手に伝えることからコミュニケーションは始まる。そして、そのコミュニケーションに少しでも火が点くと・・議論へと発展していく。

あとは自分がどう思うか、その都度意見を言っていけば、相手もヒートアップしている限り、話が終わることはない。そう例え、こちら側が疲れてきても・・・


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ぽわぽわ ふらんす -フランス人の顔-
人類学的に、フランス人という人種は存在しない。そりゃそうだ。ヨーロッパのほとんどがそうであるように、「おじいさんはイタリア人・・」、「お母さんが日本人で・・」、「両親はアルジェリア出身だけど自分はフランスで生まれたの」、など、実に混ざり混ざっているからだ。



始めは、『う〜ん、この人のルーツって何だろう』と『???』な人でも、一度見方が分かると、大体の人のルーツが分かるようになってきた。お父さんがアルジェリア出身という寮にいる女の子は蜂蜜色の肌をしているし、お父さんがヴェトナムの血を引いているというまた別の女の子は、黒い髪、黒目がちの大きな瞳を持っている。



「両親はポルトガル移民よ」、「お母さんがイタリアと中国のハーフで、お父さんが・・(忘れた)」、「お父さんはアルジェリア人でお母さんはヨルダン出身」などなど・・ 純粋なフランス人とはどうやら存在しない様。最も、それはフランスに限ったことではありませんが・・



しかし。やはり、同じ国に生きている人同士、共通するものがある。

特に男の人!どんなルーツを引いていても、おそらくフランスで生まれ育ったんだろうなという男の人は、やっぱり皆たれ目〜(笑)。そのせいか、皆、甘い顔。前にも書いたけど、チョコレートが大好きって顔。

同じ言葉を解し、同じ文化の中で生活し、その国が作り出す物を食べていると・・やっぱり同じ顔になるのかしら、とか思ったりして・・。
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国籍の認識
違う国出身の人の中で過ごしていると、いかに自分の国を認識しているかということが問われると思う。

ひょっとした日常の中での会話でもそうだし、一度日本のことを聞かれて、いかに上手く、かつ的確に日本文化について話すことが出来るか。

言語の運用レベルにももちろんよるだろうけど、それよりも、まず、母国語でも日本文化について十分理解していなければ、外国語で話す話さないの問題以前で、ただ話せないからという言い訳は通用しないだろう。



外国に出る、違う国でやっていくということは、もう既に、今までの文化、価値観、流儀が通用しないということで、理解してもらえるということはあっても、まったく同じ価値観をシェアしているわけではない。私にとっては○○風に振舞うのが文化的に普通なことだとしても、別の文化で育った人にとっては、まったく「?」、な行動だったりするわけである。これを、『どうして分かってくれないの?こっちは恥ずかしいからこうやって振舞ってるのにぃ!』と、例えばね、こちら側の言い分があったとしても、その様な解釈は同じ国出身の人でないとなかなか理解してもらえないものであるので、恥ずかしいということを気付いてもらえなく、そういう風に報われないのも悲しいので、ストレートに感情をぶつけるのがベストであろう(って何の話じゃ・・?)



この様に、異文化出身の人にとっては一見「???」な行動でも、同じ文化、つまり、規範の中で生きてきた人同士には、何の説明も必要なく、理解してもらえることがある。

しかしここは外国。外国語。もう日本ではない。

なので、いかに自分が十何年日本で育ってきたとしても、一旦異国の地へ足を踏み入れたなら・・郷に入れば郷に従え(このことわざって好きだなぁ)、今までのルールが通用しないものだと、ほぼ思って間違いはないだろう。むしろ、誰か、異文化出身の人と相互理解をしていかなくてはならないのなら、共通のルールを作った方がより建設的だと思う。お互い自分の文化を盾に、言い張るのでなく、自分達の言い分を二人で作っていく。



文化は気付かない程自然に、私達の中に染み付いているものだけれど、その分、どこか違う国出身の人と触れ合う度に、色濃く浮き彫りになっていく。文化が総合的な、一個人の言い訳にはならない。人間を文化的に構成している理由のひとつに、間違いなく自国の文化、良識はインプットされていると思うけど、それが個人を表すかと言ったらそうではない。あくまでも、日本人である私を表すもので、私という個を語られては、情けないではないか。日本の社会、文化によって、私が教育を受け、影響を与えられてきたのは確かだけれど、私という人間は文化だけではない。私という、自我を持っている。何が食べたいか、何を好むか。こういったことは、ひとつの国の文化を越えた、一個人としての、感覚である。


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色と天気
最近の悩み・・ それは、天気。

晴れているとものすごく暑いので、当然薄着になる。足元もサンダルになったり、ビーチサンダル。アジアっぽいぞうりタイプのものも、人気。よく見かける。

しかし・・ いい天気は長続きせず、昨日は暑かったのに、今日は曇り空。ましてや雨模様。傘持っていかなくちゃ、ってことも。



そうなると、意外と冷える。昨日の延長線で、『今日も暑いだろう』と思って薄着のまま外へ出ると『寒い!』ってことになって、風邪を引く、よくあるパターン。情けない・・。

『今日も暑くなると思ったのに・・』と着てきた服を後悔しながら、しかし待ち合わせに遅れてしまうので家に帰って着替えることも出来ず、大人しくメトロのホームでメトロを待っている・・ってこと、しょっちゅう(笑)。いやですね〜。



皆一体、どうやって衣替えしてるの?昨日は薄着の人で溢れていたのに、今日は寒い、ってなると、皆また、秋物に逆戻り。

見事な適応力。フランス人は衣服に柔軟なのか。フランス人の、この季節のクローゼットの中を、一度見てみたいものだ。



天気が悪いよりは、太陽が出ている方がいいに決まってるんだけど、その分、日に焼ける焼ける・・。

ちょうど、お父さんが来ていた五月の頭、バカンスの頃、猛烈に天気がよい日々が続いていて、いつも通り、銀色のバレエ・シューズを履き、父の通訳にとあちこちに歩き回っていた私は、気が付くと靴の形に、足に日焼けが出来ていた・・・。

これって、ものすごく美しくない。大体何って言うわけ?呼ぶわけ?靴焼けか・・?



ジーンズからちょっと出てる、足でもこんなに焼けてしまうってことは、いくら顔に日焼け止めを塗っていたって、焼けているのでは・・?という疑念が後を絶たない。

心なしか、前は着れていた色が、顔写り悪くなったような気がして・・・ 何を着てもうれしくない。楽しくない。

プラス、毎日ころころ変わる天気のため、その日の天気に合わせて適応しなくてはならないし。これでは一体何を着ればいいのやら、出かける前に悩むことしょっちゅう。そして、遅刻する。



お日様がぎらぎら照っているよりも、パリは、ちょっとぐらい曇りの方が似合う。

薄い水色、もしくはグレーに曇った空。

雨が降っていると、ジーンズの裾が濡れるので嫌なんだけど、小雨でもいいかもね。

かんかん照りのお日様が似合うのは、カフェのテラス席か公園にいる時だけ。そういう時は思いっきり太陽を浴びたい。



ころころ変わる、パリの天気だけれど・・ パリには薄い水色の空が似合う。

そして古い街並みや歴史的モニュメント、古いアパルトマンの外壁が、パリという街の雰囲気を作り出している。

どこか街全体が静かで、落ち着いているなぁと感じさせるのは、こういう天気が手伝っているのかもしれない。

ロンドンに行った時は、これとまったく反対のことを感じて、最も天気についてはいきなりどしゃ降りの雨が降ったりと、いわゆるイギリスらしい天気に遭ったわけですが、街の色は至ってポップ。看板も、街のあちこちに貼られているポスターも、色とりどり。なのに、建物の外壁はまったく新しい、ガラス張りのものだったり、茶色いレンガ造りだったりするので、そのギャップが、あのクールなロンドン独特の雰囲気を作り出していると思った。街に溢れる色が、パリとはまったく違う。パリは、もっと静か。派手な色はあまり見かけない。そういうとこも、私がパリが好きな理由。こじんまりとしていて、それでいてまとまっていて・・ 大都会のくせに、小さなところが好き。街を構成している一因に、色と天気は関係してるかもね。


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日本を好きになって
えーとですね。個人的なことをあまり書かないように、そのつもりでずっとこのblogを続けてきたわけですが(こう書くと、『既に十分個人的だよ〜』と言われそうではありますが)、今付き合ってる人がですね、非常に面白いので、ちょっとその彼について書きたいと思います。



前出の・・ 既に、「多面的な人」、及び、「Super friendly」な人なわけですが、付き合い始めて早一ヶ月。いろんな面白い言動、発見がありました。

違う国出身の人と付き合うのは初めてではないものの、特に日本に興味がある、もしくは日本語を勉強している、日本が好き!というわけではない異文化出身の人と付き合うのは初めて。今の彼はスウェーデン出身で、大学入学資格を取得後、一月から半年間、フランスに留学しに来ている人。すなわち、まだ大学に入ってはいない!8月中旬に入学式があるらしい。なんて奴・・。子供じゃないかぁ。私はもう、二年半も大学でやったつーの。普通に進級してたら、もう4回生だっつーの。まわりの友達は就職活動してるっつーの。それがあなたはこれからfreshman。私は帰ったらjunior、そしてseniorだっつーの・・・・。まったく年こそ一個しか違わないものの、やってきたことが違い過ぎて、嫌になってしまいます。。

そして私が年の差を卑屈に感じていると、



「そんなマリ〜。マリは21歳風に振舞わないじゃない」、と、なぐさめなのか何なのか、訳の分からないコメントを・・・・(涙)。

年を言うなぁ、年をーーー。



私は日本出身で、彼も日本のアニメや漫画、ゲームがそこそこ好きなものの、とりたてて日本という国に興味があるわけではない。

母国語のスウェーデン語はもちろん、スウェーデンでは10歳から始まる英語教育によって英語もぺらぺら、両親はアルジェリア出身なのでフランス語もほぼ完璧に話し・・そしてアラビア語も解し・・・ 常々、「僕の話す外国語は、全部子供の頃から来てるんだ。何かまったく新しい、変わった言語をやりたいよ」という彼の希望、つぶやきにより、時々日本語を教えている。まぁ、ちょこちょこフレーズを。

誕生日には、日本語ひらがな・カタカナ練習帳をプレゼント。いつ勉強しているのか知らないが、気が付くとそこそこ読めるようになっていた。何か日本語が書いてあるものを見ると、読める文字を見つけては、つぶやいている。例えば、



「『あ』と『お』って似てるよねぇ、これはどっち?」、とか(笑)。



私が爆笑していると、「そりゃ読める人には似てないだろうけど、完璧に違う文字だろうけど、分からない人にとっては似てるんだって!」と言い張った彼。

また別のとある日には、



彼:「まったくなんで文字が二種類あるの(漢字除く)?」

「同じ言葉でも、ひらがなで書くかカタカナで書くかによって、ニュアンスが変わるからよ」と私(この時はまだ冷静)。

彼:「僕みたいな分からない人には、どうだっていいよ・・。一個でいいじゃない」、と奴は言い放った!!!



日本語は表記に深さがある言語というか・・。確かに彼の主張も分かるのですが、同じ言葉でも、ひらがなで書くかカタカナで書くかによって、ニュアンスが変わると思うのは、私だけでないはず。

今までは日本語が好き、という人に会う方が多かったので、「どうだっていいよ・・。一個でいいじゃない」なんて言われるとですね、



?『む、喧嘩売ってるな、こいつ』

?『しょんなこと言われても・・二つあるんだからどうしようもないじゃない!ニュアンスが変わるんだってば』

?『そんなこと言わずに、日本語を好きになって〜〜(涙)。』

?『大体日本語は難しい難しい、なんで文字が二種類もあるんだってよく言ってるけど、そういうあなたはアラビア語だって話すじゃない!あの難しそうなアラビア語を(怒)!!』



・・とですね、以上の様な複雑な感情が一気に私を襲ってきてですね、言い返すのに疲れてしまうわけです。思わず言葉を失ってしまうわけです。最も、日頃のコミュニケーションはフランス語で問題無いので(幸運にも)、彼が必ずしも日本語をマスターしなくてはいけない需要はさらさらないのですが(そんなことになったら私だってスウェーデン語やらなくちゃいけないだろうし)、「何かまったく新しい、変わった言語をやりたいなぁ・・」と言ったのは自分。あなたよあなた。もう覚えてないわけ?と私は思うわけです(心の中で)。

極め付けには、「カタカナってださくない?ださいよ・・・」と奴は言い放った!

この反応を聞くのは実は初めてではなく・・前にも、イギリス人の先生が同じようなことを言っていたので、まだ大きな気持ちで聞く私。

まぁ確かにね、カタカナってかくかくしてるし・・硬いよね。直線だしね。しかし、20%ぐらいの小さな怒りを覚える瞬間・・。



ちょこちょこフレーズを教えていると書いたけれども、彼が覚えたフレーズと言えば、?むかつく、?腹立つ、?最低、?くそ(まったくののしり言葉ばっかり!私は教えたくなかったのですよ〜、私は!!)、?お父さん・お母さん、?〜でしょ?、?相槌の、そうそう、?うん、ううん、?小泉純一郎・・・ と、これはフレーズじゃなぁ〜い!



「"Premier ministre(総理大臣)"を付けたらどう言うの?」と聞かれて、「そうりだいじんこいずみじゅんいちろう」と私が言うと、『ひゅうう!!それは無理だぜ』という顔を彼がしたので、私は、「無理じゃない、言えるってば」と反論。そして何故か、って別に自然なことなのですが、彼的に小泉首相のフルネームは難しいらしく、普通にローマ字読みで読んでくれればいいものを、何故かスペイン語風に、



「コイズミ、ユンイチロウ」と読む。

「ユじゃなくてジュ!」と私が言うと、なぜかそこが難しい様子。なぜにスペイン語で読む・・。"Jyu"は「ジュ」だよ・・。



その他にも、フランス語で言う"Attention(あとんしおん)"、「気をつけて」が難しいらしく、彼的に長い、と感じるらしい。

長いと言ってもですよ、「きをつけて」。たった、5文字なわけです。これが長いと言われちゃあ・・・ スウェーデン語の、「う゛ぉーしゅぐーと」、私が知っている、数少ないスウェーデン語のひとつ、「どういたしまして」はどうなる!!ひらがなでこうやって書くより、もっと複雑じゃないか!!音の平坦な日本語を難しいと言われちゃあ・・・ 母音が16個もあるフランス語はどうなるよ。。



こないだの金曜日の夜、お好み焼きを作った。正式に言うと、作ってあげた。

19歳でスウェーデンからやって来て、初めての一人暮らしなのは分かる。そう、彼はまったく料理が出来ない。普段何食べてるのか謎。ちゃんとしたキッチンがあるにも関わらず。

まぁパスタとかは作っているらしいものの(ってそんなの茹でるだけじゃい!)、頻繁にマックをテイクアウトしてるようだし、私としては、『あなたの健康が心配です』と思うわけです。口に出しては言わないものの。



そんなこんなで日本食を作ってみることに。彼的にも、いろいろ食べてみたいらしい。

『日本食と言ってもなぁ・・。何作ろう』と考えに考え、そしてちょうどこの日のパリは、気温30度と猛烈に暑かった!

『冷やしうどんでもいいかも。』と思っていると、部屋の食料品ダンボールの片隅に、お好み焼きの粉を発見。

『普段屋台のクレープ(ニュテラ、もちろん)よく食べてるし・・お好み焼きでもいいかも』と思い、早速メールで聞いてみることにした。本人に聞くのが一番、いっそ、選ばせたらいいんじゃぁ〜んと思い。



"J'y reflechis encore... Laquel t'attire le plus? Des nouilles froides ou bien une crepe salee(まだ考えてるんだけど・・ どっちの方が強く惹かれる?冷たい麺か、ごはんのクレープ)?"と聞くと、すぐに返事が返ってきた。



"Une crepe salee pourrait faire un coup(クレープの方が一撃をくらわしてくれるだろう)..."と、予想通りの返答が(やっぱりクレープ好き)。



他にもダンボールの中をごそごそ見渡していると、インスタントのわかめスープが出てきて、『お好み焼きに合うかも』と思い、持っていくことに。

お好み焼き自体は豚肉をのっけ、食したわけですが(彼的にもグーだったらしい◎よかった)、お好み焼き一枚で、予想以上にお腹いっぱいになってしまった私達は、「スープなら入るかも」、ということになり、わかめスープを試してみることに。



確かにわかめや海苔などの海藻類や、外国人にとって異色の食べ物であるのは分かる。我々日本人は、お味噌汁の中にも入れるし、お寿司に海苔は欠かせないし、『ん、何これ』と疑問に思うことはないと思う。

彼もまったくダメ!というわけではなかったようですが、「どう?大丈夫?」と聞くと、「んー」と少し考えて、



「んー・・(まだ考えている)。そんなにビッグ・ファンってわけじゃないけど、大丈夫。おいしいよ」と言った。ビッグ・ファン・・・(笑)!

そして海苔も日本人はよく食べるよねぇと言う話になって、

「なんでそんなに海藻類を食べるの?」と一言。彼の瞳は好奇心と不思議な光で満ちていた・・。



その他にも面白エピソード(?)は山程あり・・・

ある日、マレ地区という、パリのユダヤ人街を歩いていると、日本の無印良品(パリにも進出しています)の横を通った。無印は日本のメーカーだよねぇという話になって、彼が一言。

「いつも同じような色でつまんなくない?服とかさ、いつもカーキか赤、黒、白、茶色だ」。



こないだ私がDVDをいくつか買って、その中のひとつに、ソフィア・コッポラの"Lost in translation"があった。スカーレット・ヨハンソンもビル・マーレーも大好き。この映画の中の東京も、coolで好き。なのに鑑賞後の彼の感想と来たら、

「本当にあんなにネオンばっかりなの?あんまり日本に行きたくなくなったよ」。正直って素晴らしい〜〜〜。けど、がく。確かに自然溢れる、湖のほとりに住んでいるというスウェーデンでの環境に比べたら、日本に来たら、彼は呼吸困難を起こしてしまうかもしれない・・・(大げさ)。



ある日、クラスのコで集まって飲んでる時、韓国人の女の子が韓国のタバコをネットで買いだめていた。そのコが持っていた、韓国語の、「タバコは毒です」みたいなパッケージに書いてある文字を見て、

「この文字かっこいいねぇ!!」と大興奮。



彼に、日本は向いてないのかもしれない・・(涙)。彼の興味は、お隣・韓国に行ってしまったようです(涙)。。





・・・と、いろんな発見がある毎日を過ごしているわけですが、彼のこの様な率直、かつ、核心を付くコメントを聞く度につい反論してしまう自分に対して、改めて日本語に対する自分の愛着、また、日本という国に対して、少なからずの愛国心を感じるわけです。自分が『なぁ〜んだあたし、日本のこと好きじゃ〜ん』と感じるのは、こういう瞬間。誰かまったく違う、新しい文化出身の人と話していて、初めて浮かび上がる、異文化という一面。そしてその異文化に対して、自分がどう感じるか。始めにも書いたけど、いわゆる外国の人とお付き合いしていて、日本に興味のある人ではないのが初めてなため、非常に面白い。今までは、「日本語ってきれいだよね」、「ね」、で終わっていた会話が、違う広がり方をしていく。彼の目を通して見える日本という国は、今まで出会った大半の外国人が賞賛してくれたものとはまったく違っていて・・ その度に私も新しく気付くことがあり・・面白いのでした。



まぁ日本のことを好きになってくれたら嬉しいけどね。強制はしないさ。


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