Previously, mari's paris life


"La France traverse une phase de vulgarite. Paris, centre et rayonnement de betise universelle" - C. Baudelaire :p
父のフランス語
妹が結婚したことが大きいのか、それとも妹が、かねてより半分本気、くらいの意気で学んでいた両親に、「そんなことじゃかわいい孫と話せんよ!!」と言って喝を入れようとしたのが功を奏したのか、ここのところ、以前よりもまして、いや、異様に、両親はフランス語の勉強に熱心である..。




いや、前からね、父などは特に、もともと勉強するのが好きという変わった人であることもあって、中国語なんかもここ10年くらい延々と同じこと(のように見える、私には・・)を学んでいるのだが、この勉強好き、語学好きが高じて、やっとフランス語を本気で学び出した。



今私は実家にこもって、家で仕事しているんだけど、おかげで日中、ただでさえ仕事で分からないフランス語、複雑な案件のメールが次から次に飛び込んできて、『もうフランス語いや〜〜っ!』と、自分でもノイローゼになるんじゃないかってくらい、ハードな日々が続いていたのだけれど、私がPCの前で苦労していようとしていまいと、そんなことは父におかまいなし。



最近はまっている、お気に入りのNHKのテキスト(テレビとラジオ版、両方愛用している)を片手に、ペンを持ち、一生懸命何やら発音し、おまけに予習までしているというのだから、その姿はやっぱり微笑ましく、私もノイローゼになりつつも、教えてあげたりするのだ。



すると、隣で母まで、父が「こっちのテキストの方が易しいよ」と言ったことが発端で、それまで読んでいた、初心者用と書いてあるのにどうやら難しいらしいテキストを置いて、父おすすめのに乗り換えたならば、確かにそちらの方が易しいらしく、母まで熱心に学び始めた様子。


昨日は一日中、ずっと母音の発音や簡単な挨拶などを練習していた。ソファで私が働いている横で、「うー」、「ゆうー」、「うぅー」と口をすぼめて練習しているものだから、つい、笑ってしまう。(どうやらuを練習していたらしい)






まだ勉強を始めたばかりの、初心者の方の方が、ネイティブや上級者がすっかり気づかない、考えもしないような独特で新鮮な視点を持っていると思うのだけど、そうこうしていたら、先日、夕食の席で父が、



「マリさん(父は昔から私のことをなぜかさん付けで呼ぶw)、納豆ごはんはエかね、アベックかね」と真面目な顔で問うてくるではないか!!XD



「はっ(笑)?」と笑い死にするのを必死で(すでにおかしい)、彼は一体私に何を聞きたいのだろうと、その声に耳を澄ましてみると、どうやら言いたいのはこういうことらしい。




「納豆をごはんにかけて食べる場合は、Gohan et natto(ごはんと納豆)なのか、それともGohan avec natto(ごはんに納豆)なのか」という質問であるらしかった。



そこでしばし、確かにそうだよなぁと私も箸を止めて考えてみる。待てよ、レストランなんかで頼む時は、私よく、(例えば)「ん〜ガトーショコラにコーヒーで」ってなんか言いたい場合、"Hmm, moi un gateau chocolat avec un cafe"って言うなぁと思い、それはなんとなく、私の感覚では、ガトーショコラというメインのデザートに、コーヒーという飲み物はあくまでも単独ではなく、付随物なのだという観点からなのだけど、この感覚で、納豆はごはんへの付属物だろうと思い、


「ん〜。私だったらGohan avec natto(ごはんに納豆)かな」と答える。



「まぁNatto sur le gohan(ごはんの上に納豆。ごはんはなんとなく男性名詞w)とも言えると思うけどね、それはちょっと違うかな」と答えると、父は負けじと、



「でも、ごはんと納豆別々に食べる場合はどうなる、別々に食べる場合と、載せて一緒に食べる場合とではやっぱり違うでしょう」と、真面目な顔して質問してくるもんだから、この人一体私をどうしたいのかと不思議に思うと同時に、おかしくてたまらなくなる。


まぁ確かになぁ・・。あらかた、週2回(?)通っているフランス語教室(ちゃんと市内在住のフランス人が教えてくれるらしい)で、ちょうどetとavecの使い方でも習ったんだろう。それで目の前につい納豆があったもんだから、考えたんだろうけど・・・



しかし。やはりどんな小さいことでも、言葉につっかかりがあるのが私であって、気になって誰かに聞きたくなってたまらなくなるのだ。



結局、納豆ごはんはetか、avecか、という我々の動議は(くっ、くだらない・・・!XD)、フランス人に確認する、というところで一致した。あとは、どのフランス人に聞くかである。フランス語教室の講師、リュック(会ったこともないのに呼び捨て)に呆れられるのを覚悟で父質問するか、もしくは、ナポレオン、もしくは・・・あ、ぽむくん(妹の旦那)!





ということで、その週の日曜日、なんとなく恒例になっているSkypeで、この疑問をふと思い出した父は、「アントワーヌに聞いてみよう!」ということになった。


アントワーヌなら、日本のごはん事情も知ってるし、納豆ごはんだって食べたことあったかも




「ねーねー、ちょっと質問なんだけどさぁ」まず私が妹に聞く。


「お父さんが最近習ったらしいんだけど、それで疑問に思ってるらしいんだけど、納豆ごはんってフランス語で言いたい場合って、etかなぁ、avecかなぁ?ちょっとぽむくんに聞いてみてくれる?」真面目な顔で私。



すると画面の中にいた妹が、何やらちょっと離れたキッチンで作業しているぽむくんに、「しぇりーーー。納豆ごはんって言いたい場合は」と叫んで、説明してくれた XD




ぽむくんからしたら、『なんで急にそんなこと知りたいの』っていう感じだったと思うが、こちらは真面目にそれが知りたいんであーる。




するとぽむくん、キッチンの方からこれまた叫んで・・・




とここで、正解は何だったでしょう??!?!?!?(ワクワク) フランス語のできる方、何だったと思いますか?私の脳ではせいぜいavecが限界だったのだけれど、これしか思いつかなかったので、ぽむくんが正解を言った際には膝を打つ思いだったのです・・・XD







答えは・・・



"Gohan au natto" だったのでーーーす!!!XD



・・く、くっだらない・・・・X'D (ことを真剣に追う人々。それが私。と父。)




なるほどね。なーるほどね。私はこのau(オ、英語のいわゆるtoに当たる、実際はオと短く発音するよりも気持ちちょっと長い、と思う)をすっかり忘れておったよ・・。目からウロコが取れた。間違った日本語。




そうである。確かに。料理名なんかではau(オ)である。またまた例が甘いもので恐縮だが(甘党なわけではない)、確かに苺のタルトなんかでも、日本でも言いますがTarte aux fraises(タルトオフレーズ、この場合は複数形)だもんね〜。すっかり忘れておったよ、この、陰の立役者、オの存在を・・・。



あああ。






というわけで、これまた一本ぽむくんにやられた、ってな感じで、我々の最高にくだらないかつ高尚な疑問は、無事、解決したのである・・。




目からウロコの体験もできたし、膝も打てたし。めでたしめでたし この地方は今日も平和だ。





父のフランス語については、まだまだ面白いことがあるのでそれは是非次回、今度!











mari






















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Discover the beauty.....
 







Please go and discover beautiful things...... what is beautiful.... 
what's the beauty this weekend in Paris....... 

Her bijoux de tete is a true jewelry for all women. 







ドロテが今週末、パリで展示会を開くようです。そのご案内の招待状?が昨日アップされてて、すっかり忘れてたからびっくりしたよ!XD



お近くの皆様、パリ在住の皆様、この週末はちょっと出かけてもらえると、とっても美しい彼女が作る、美しい美しいヘアアクセサリーに出会えると思います。ので、おすすめ。




Samedi 10 decembre 13h - 19h /
Dimanche 11 decembre 12h - 18h

La Cour du Marais
81, rue des Archives 75003 Paris







(これはファニー様の。ちょっと前にやった展示会のみたい。力強い美しさがとっても素敵な写真・・!ドロテは写真も巧いよ。。ファッション誌のフォトグラファーも出来ると思う!ファニーもそう言っていた。)






ドロテのヘアアクセサリーは、付ける人をも美しい気持ちにさせる・・まるで女性を変化(へんげ)するような・・・絶対に、そんなパワーを秘めていると思うの。それは、作り手のドロテもいつも夢見てるような、ふわふわとした、素敵な空気をまとっている人だからだろうか :) なんて想像してみたりするんだ。



9月のとある、曇った肌寒い日に、女子四人でワーワーと楽しく行った撮影の様子が。ちょっとお見せします






この方がよく見えるから、これも載せちゃう!(招待状も人物メインの写真じゃなくて、ヘッドドレスメインの写真でよかったのにな〜〜〜!)





これは、前に話した私がもう一役、ミューズの写真。クッションをやぶいて羽を飛ばしたんだよ!XD











三人で。あーーー楽しかったー I love those creative days!






All the photos by Dorothee Flores.









mari






(それにしても、こういう写真を見ると余計に、もう2ヶ月近く日本にいるもんだから、パリが恋しいし、『私ほんとにフランスに住んでたのかしら?!』って感じの、わけの分からない、混乱した感覚に陥る。戻るのはいつになることやら・・・遠い目。)




































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I belong to nowhere
 

自分がどこにも属していないような気がする。どこに住むべきなのか、どこに住んでいるのか、どこにいるべきなのか、どこにいるのか。そんな単純なことが分からなくなる。部屋はパリにある。けれど、体は日本。では、心は・・?その答えはまだ出ない。



諸々の事情で、まだもうちょっと日本にいることになりそう。私はいつも単体だ。一人で動く。誰かや組織に属したい気持ちはあるけれど、自由を足かせにかけられたくない。翼を手で閉じてしまいたくない。閉じられたくもない。自由奔放で、いつも明るく笑っていたいけれど、ほんとはものすごく脆くて弱いことも知って欲しい。どっちが自分の気持ちなのか分からない。相反する。



気持ちが、スピードについていかないのだ。そして心と、物質的な身体と。距離と、時間と。空間と、環境と。



自由で縛られたくない。拘束されたくない。けれどどこか一定に属したい気持ちはある。いつも身勝手でいたから、余計に怖いのか・・




フリーでいるには、それなりの強さと孤独。その両方を持ち合わせ、両方に戦っていける術を持たなくてはならないのだな。そういうことを考えたりもする。





私はこの先どうなるのだろう?どこかに根を張りたい気持ちはあるのに、どこかの土地に根を生やしたい気持ちはあるのに。今は時間がひどくのろい。










明日、4年半住んだ部屋を出る。あまり物を持たずに暮らしたいと願うけれど、現実はそうもいかず、実際にはものすごい量の処理をした。部屋を明け渡す際にはどんな気分だろう。たぶん泣くだろう。目に見える形では泣かなくても、心の中では涙を流すだろう・・・










mari































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The wedding - #2
 








Day 2.




















































































































Love fills the air!








mari















































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The Wedding.
 





Day 1.























Love is everywhere if you can feel it.










***





遅くなってごめんなさ〜い!


The Day 2.もお楽しみに ;)




mari





















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しばしお休み
 


更新できなくてごめんなさい!実は両親が来てるのと、妹が結婚する関係で、あちこち家族で挨拶に行ったり(ノルマンディー)、先週ロンドンにも一緒に行き、今週末はついに結婚式があって、私までなんだか精神的にバタバタ、そわそわ(言うなればドレスがない!買いに行く時間もない!)、加えて、一番の原因は、ここのところ仕事が山場で、猛烈に忙しい日々を過ごしています。。。


10月になったら少しは落ち着くでしょう。。。10月にはファッションショーを観に行けるかも?!覚えてる人いるかな、オランダの友達ピーターとも、6年ぶりに再会できそうな予感!


ロンドンの写真も合わせて、落ち着き次第すぐ更新しまーす。ごめんなさい!



mari





























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That is why great designers do exist
 



















































Photo by Fanny E. and Dorothee Flores









日曜日。またもこんなことをしてました、朝の8時半からw




目的はドロテの新作秋冬コレクションのカタログ撮影だったんだけど、ファニー様が持ってきた衣装のドレスを、三人全員で着まわし、すると、着る人によってドレスの表情が変わるという、素晴らしい魔法を体験したのです。






ドレスは、ハイダー・アッカーマン。折り畳むと小さな小さな生地しか分量がないんだけど、着ると、この存在感・・・・・
シャープなカッティングが完全に計算しつくされていて、何通りもの着方もあれば、どう着てもこのように、必ずフィットする・・・



単純な切り込みに見えても、こうして全体像として見てみれば、圧巻!
まさに、魔法のドレスだったの。






黒は、やっぱり女っぷりを上げるね!
ファニー様いわく、「計算しつくされているから、ブラジャーなしでもなんか安心感があるのよね」とのこと(笑)。分かる!XD



なんかまるで、『女性の体の上でそのままハサミ入れて切ったんじゃないの?!』ってくらい、体にぴたっと吸い付く、まるで着ている感のないドレスなのだ。






三人が三通りに着こなして、それぞれ写真撮影した後、つい、なんとなく口をついた出た言葉が、


「だから偉大なデザイナーって存在するのね!着た瞬間に分かる、誰か着るかによっても変わる、着るだけで、気持ちをぐんと変えてくれる・・・ 身につけた瞬間、それは私ではなくなるの、別の誰かなの。一瞬にして、連れ去ってしまう、完全に気分が変わってしまうの、すごい、魔法だわ」だった。





袖を通す者にしか分からない、その生地に触れることを許された者にしか分からない、大いな悪なる喜び・・・・・ C'est du mal, mais c'est un grand plaisir... 相反する。こんなことがあっていいんだろうか?




やっぱり買い物は喜びである。いい店で買うからには、一流のサービスを受けたいし、その瞬間、買い物は「経験」だ。「体験」でもあり「経験」だ。
だからこそ、一流店には忘れ得ないサービスが求められるのだと思うし、一度その味を味わってしまったものには、何度も足繁く通ってしまうという、罰が待っているのだと思う・・・








なんかこんな自分の(気取った)写真ばっか気持ち悪いけど、
それはそれは楽しい、クリエイティブな、芸術的な日を過ごした!

(私は二役演じたの!肌も白く塗ったり、初めてあんなつけまつ毛付けたよ)




この写真の他にも、ドロテの新作ヘアアクセサリーが写った写真もいっぱいあるので、近日中にお見せしまーす♪ お楽しみにー♪




楽しんでくれたなら幸い :D





mari



































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またフランス風邪
 

出来ればやって来て欲しくないけれど、あーらなんだかこれはフランス風邪?いじわる野郎(隣の席のAくん、例の、悩まされているお人。。。。。)が連日ゴホゴホしてるせいで、ついに私まで今日、あれ、なんだか体が熱いな、熱っぽいな、なんか扁桃腺が腫れてるぞ?喉も痛いぞ?になってきたじゃないか!!



困るよーう。明日大事な会議があるっていうのに・・・ 病院にも行かなければ薬局に行って薬も買わず、マスクもせずタバコはいつも通り吸い、そこら中に病原菌を撒き散らしやがって!!移ったじゃないかー



まーね、昨日日曜日は、私は懲りずにまた(?)、いつもの女友達とPhoto shootingに励んでおったのですが、ドロテの新作秋冬コレクションのカタログ撮影なもんだから、黒い、ベアトップのワンピース一枚で道路に立たねばならず(私はファーがかけれなかった・・・)、ちょっと秋めいてきた最近のパリでは、鼻はかじかみ、体はブルブル。そんなことをしてるので、まぁ一概に、Aのせいには出来ないのだけど・・・・・(でも絶対少しは由来してると思う、絶対に)





帰り道、薬局で一通り症状説明して、優しいマダム(薬剤師さん)だったし、ちょっとハッピー。心は緩み、仕事でイヤなことがあったばっかりだったので癒される。でも、こんなに必要なのか・・?こんなに重症なのか?私・・ってなくらい大量の薬を買わされた買ったけど、まぁいいのさ。へへん だって絶対また風邪引くもん♪ いつか役に立つ時が来るのさ。一緒なのさ。




今日の夕ごはんは日本から持ってきた、貴重な貴重なインスタントのお味噌汁だけにしようと思ってたけど、スーパー寄ったら普通に買ってしまった・・・生肉。えへ。最近カルパッチョにハマってまして・・・(カルパッチョと言うとかっこいい) ファニー様おすすめ、お墨付きのバジルソース付きのカルパッチョ。チーズを振りかけるタイプもある(そっちも食べた)。


フランスはどっかの国と違って(もちろん日本である)、ちゃんと生食用のは国や関係機関がコントロールして、取り締まってるらしい。安全らしい。ファニー様談。




まぁ、それがほんとなことを祈ってw、今日はもうお風呂入って寝ます・・・・・ 悪化しませんように!!































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最近の悩み
 


次回はファニー様のことを、と書いたくせに、なかなか更新できなくて。ちょっと最近、大きなストレスがあり、悩んでいるのと忙しく、ゆっくりパソコンに向かう時間がない私です。(あっでもYoutubeでビデオ観たりしてしまう。間違った時間の使い方だぜ。ま、たまにはいいけどね)



もうお気づきかもしれませんが、ブログのタイトルを変えました。こっそりと。写真と共に。留学時代になんとなく作ってしまって、その場でよく考えず、なんとなく簡単に決めてしまったものだから、あれからもう6年くらいが経って、そろそろ大人っぽいものに変えたいな〜と思っていたんだよね。(けれど、mari's paris lifeで覚えて下さってる方もいると思うので、サブタイトルで残すことにしました。Previouslyってのも気に入ってる



新しいタイトルは、ある日突然頭の中に降ってきたもので、気に入っていたものです。たまたまバックがエッフェル塔の画像ですが、別に「エッフェル塔の輝きの中で」とかそういうイタイことを言いたいんじゃなくて。たまたまいい、合う画像がなかったからですw とりあえずはこれで。光のボケ具合が気に入ってる。車の中から携帯で撮ったものだけど。







なんか、二週間前までは優しかった同僚が、最近急に冷たくて、私が何か聞くと決まって不機嫌、最近では目も合わせずに答えをくれることもあり、原因が分からないので、いっこうに分からない。「なんでも質問してね、そのためにいるんだから」とか言ってくれてたのになー。何なんだろ。



まるで、一回しか同じ質問をしちゃいけないみたいなのだ。でも、メモ取っててもつい不安だったり、分からなくなったり、確認したくなることってあるじゃない?特に、大事なことだったりする時は。なのに、同じ質問を二回聞くと、ものすごーーく冷たいのだ。

おまけには、「前に言ったじゃない」とか、「それドキュメントに書いてあるよ」とか、「だからさっきからそう言ってるじゃない」とか言われる始末。





彼だけじゃないけど、なんか普段、私だけがほぼ唯一の外国人で(非ヨーロッパ人や、旧植民地圏出身じゃないのは私だけなのだ)、なんかみんな、私がフランス語が母国語じゃないってこと、忘れてるような・・・気がする。




そりゃ、ぺらぺら喋ってるかもしれない。けれど、分からない時・分からないこともいっぱいあるし、聞き間違えだってあるし、私はこうだと思ってた・理解してたけど、後になって実はそうじゃなかった、勘違いだった、って判明することがいっぱいある。



つい、日本人的に、何度も聞くのは悪いような気がして、引っ込み思案になることもあった。けれど、ある時から、分かった振りをして聞き流すのが一番よくない、それが一番トラブルを引き起こす。結局、後になって自分の首を絞めるのは自分だ、ということが分かってから、臆せず、分からない時は分からないと、素直に、強気で言うことにした。そしてよく見てみると、まわりのフランス人だって、理解できなかった時は普通に"Hein? J'ai pas compris(へっ?よく分からなかった)"とかって言ってるもんねー。




だから、「さっきからそう言ってるじゃない」とか言われても、二回目になって初めて分かることも余裕であるわけで、それでなくてもみんな超早口で、さらさらって喋られて意味が掴めないまま終わる、なんてこともザラにあるわけで。


「前に言っただろ」って言われて、その「前」がいつだったかすぐに思い出すことが出来ても、「再確認」したい時は五万とあるのだ、何と言われても。







私の仕事は、特に日本に関係があるわけではなくて、翻訳でもないし、日本企業でもないし、日本に関する仕事をしているわけでもない。日本語を使うことは皆無だし、日本人だから選ばれたわけでもない。そのことが、私を少し、誇りに思わせてくれるけれど、それは同時に、「フランス語は母国語ではない、母国語と同等に理解出来るわけではない」という言い訳が、立派に通用しないこともあるわけで・・・。




だから、今こんな風に、時に冷たくあしらわれて、落ち込むことがあっても、「しょうがないじゃない!母国語じゃないんだから!」と切れて、反論してしまっては、自分で一番、自分の負けを認める行為につながるような気がして、出せない。それは、一番出してはいけないカードのような気がする。




もちろん、まわりの皆も、私がフランス人ではないこと、フランス語が母国語ではないってこと、顔立ちからしてもちろん理解してくれてると思うけど、フランス人は特に、「フランス語を話せれば外国人ではない、通じる」という伝統的価値観があって、そのせいなのか、そういうことを忘れがちな気がする、普段。




まぁ、そう言うフランス人にしても、そこまで意味のない、意味を込めてない、軽い気持ちなのかもしれないけど、この土地で外国人であるというハンデが伴って、そういう言葉は時に、ズサリと私に刺さるのだ。




冷たく言う彼に対しても、「お前もなー!いきなり異国の土地で一人で仕事してみろ! 引継ぎ受けてみろ! で、二回目に同じ質問して冷たくあしらわれてみろっ」って言ってみたくなるけど、彼がいるのもあと二週間なので、それまでもう少し、辛抱しようと思う。





なんか前にも、新卒で入った最初の会社の時に、同じように気分屋、時によって態度が違う、冷たくあしらわれることのある同僚(フランス人)がいたけど、その頃を思い出すなー


しかし、その後、すっかり打ち解けあって、理解し合って、気が付くと、今ではすっかり、大事な友達の一人だったりする。ほんとに。



やっぱりフランス人って、仕事場でのコミュニケーション能力は皆無な気がする。。あああ これは、通過儀礼の儀式なのだろうか・・・・・







だから、もしかしたら、フランス人とは大概にしてこういうもので、この期間が終われば、彼とも普通に友達になれるかもしれない。と、明るい展望を目にしているようにしよう・・。健気な私。



友達?・・・別になりたくないけどっ











































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良き意味での孤独
 

少し広いスペースに普段いる。私にはチームがいない。一人なのは気楽でいいけれど、時に、やはりさみしくもある。達成感を分かち合う仲間や、実用的に言えばタスクを分け合う仲間もいない。最も、フランス人とのチームにはどこまで協調性が持てるかが未知の領域だけれど・・・。



まわりは賑わっている。私はまだ、80%か90%くらいしか「彼女たち」の言うことが分からないので、複雑な冗談だと、リアルタイムでは到底着いてゆけない。分かる時は笑い、私にもきちんと理解力はあるのだと、ものを言いたい時は言い、私にも自由に発言する勇気と権利があるのだと、少しでも示すようにしている。ただ縮こまって、黙っている大人しいアジア人ではない、私は。どちらかと言えばうるさい方だ。早く私を知って欲しい。私という存在が謎なのは分かるが(名前も手伝って・・・)、私はここにいる。いつも自然体だ。飾ることなく、私はここにいるのだ。



大きな騒音の中、私だけがただ、一人、ぽつりと存在している。そんな、カオスの中での孤独を、日中、または19時過ぎのメトロの中では甚だ感じる。ひしひしと。私は単調で、つまらない存在で、たった一人で、この地に根を・・・・・・・・ いいや、そんな大袈裟なものではない。私がいた。確かにこの地に存在したのだと、たった一部の人にでも、痛烈に記憶に残ればそれで良い。




日本にいる友から、メールをもらう。パリに来て一ヶ月が経った。私は筆不精ではないけれども、ついうかつに、すっかり連絡するのを忘れていて、彼女からのメールをもらうまで、時の経過を認識しなかった。そしてまた、今日、昔の同僚からメールをもらう。忙しいくせに。出発直前に会ったからか、私の極度の緊張と不安を目にしていたからか、こうして遠くから、時間を見つけて一言書いてきてくれる、その心遣いが嬉しい。文字はその人の人となりを伝え、温度も伝え、それは想像するよりもすごいキャパシティだ。(そう感じるのは私だけだろうか) なんてことない数行のメッセージでも、一言書いてくれた気持ちが嬉しい。すぐに返事をした。







数週間ぶりに、とある人に会った。私は知らなかった、つい、少し前まで。彼こそが、私の人生を変え、大いに揺さぶる、偉大なる人物だったことを。

12月に古びれたビルで会い、それ以降大半の時間を共に費やした、その人物こそが・・・・・ どうやら今のところ、私の人生のカギを握っているらしい。






言葉でもなく、もったいぶった仕草でもなく、ただ、そこにいるだけの、人となりの温度で、その人らしさを十分に伝えることが出来たら・・・・・ それはもう、言葉も必要がない、高い、高い次元でのコミュニケーション。だと思うのだ。




そんな風に、自分でも自分らしさを伝えられたら・・・ 存在感、空気、温度、振る舞い、仕草、ちょっとした目の動き、気遣い・・・・・



私達が人間である限り、言葉を司り、自分の感情を露わにすることが出来る。それは、言語をも越えた、思慮のコミュニケーション。




・・話が反れた。







こんな風にして、物質的な距離をも越えて、人と人は、つながることが出来る。十分に。地球の反対側にいる、遠く離れた誰かからの、突然のメッセージ程心躍るものはない。行間の一つ一つに、その人となりを感じたい。感じる。文字だけでも、それは十分伝わるのだ。痛い程に。





こうして、時に孤独でも、こうして、誰か遠く離れた誰かが、人知れず私のことを気遣ってくれている・・・・・ 人間は孤独だ、やはり。(昔小論文で書かされたのを思い出す) 人は一人で生まれてきて、一人で死ぬ。私はしばらく長く、一人でい過ぎる。・・それは別の問題だ。こうして簡単にも、誰かとつながることが出来る。言葉が温度を、その上でそっと伝えてくれる限り。







































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