Previously, mari's paris life


"La France traverse une phase de vulgarite. Paris, centre et rayonnement de betise universelle" - C. Baudelaire :p
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シャルリー・エブドに捧ぐ
大変なことが起きてしまった…。緊張がみなぎる中、今朝はまた、パリ郊外の南に当たる地区で、警察官に対する発砲事件が。昨日の事件との関係性は、今のところまだ不明だけれども、昨日の事件以来、アラブ系の商店が攻撃されたり、暴力の連鎖が止まない。暴力の連鎖が一番怖い。


フランスは、昨日から酷い、暗い気分で、喪に服している。オランド大統領が募って、正午には一分間の黙祷が各地で行われ、ノートルダム大聖堂の鐘は、弔いの鐘を鳴らした。ジャーナリスト達はペンを持って共和国広場に集まり、ジャーナリストではない人々も、同様に集まった。今日の夜もデモは続き、土曜に予定されていたデモは日曜日に持ち越されたが、今回の惨劇を受けて、フランス全土が報道の自由と博愛の名のもとに、一丸となって集まり、祈りを捧げる姿はとても美しく、心からの敬意を払う。


特に日本のメディアで、「ひどい風刺画を描いたという事実を忘れてはならない」等の意見も目にした。それは最もな意見だが、ここフランスでは、『あんな風刺画、描かなけりゃよかったのに』、『描いた人たちに責任がある』という声は、一切聞かれない。ここは、カトリックの国、フランスで、自由と平等、博愛のもとに、フランス人は自国に誇りを持ち、愛を持ち、暮らしている。フランスはイスラムの国ではない。フランスでは、すべて、何にでも自由に言う権利がある。対象が、例え宗教であろうとも、それは決してタブーではない。すべては自由、言論の自由という基本構想のもとに、許される、何ら問題のない行為なのだ。それが、世界的によく知られ、悪く言えば「自分勝手」と理解される、フランス人の性格、国民性を表している。(同居人とも話したが、例えば犯される子どもなど、非道徳的で、イモラルな内容は別だろうし、規制されるべきだろう。)


私も始めは、挑発的な風刺画のはらむ危険性の方に危惧した。けれど、それは間違いで、繰り返すが、ここはフランスなのだ。何度攻撃の恐怖に晒されても、表現することを諦めてはならないし、シャルリー・エブドの風刺画家たちも、同様に、描くことを、新聞を発行することを止めなかった。テロの脅威に屈しない精神こそが、彼らが風刺画家たる所以であるし、彼らには、自由に、何にでも - 標的は何もイスラム原理主義だけでなく、カトリック教会であったり、右派であったり、何にだってなった  - からかい、嘲笑する権利があった。皮肉に笑い出し、真実を突き刺すと、絵で伝える。それこそが風刺画本来の、シンプルで、誰にでも伝わる役割だ。


また、このような「皮肉ったユーモア」は、フランス人が最も得意とするところであり、ウィットでもある。犯人たちは、これを正面から受け止め、行動に移してしまったのだろう。冗談の通じない、生真面目な人のことを、Premier degré、文字通り(第一段階で)受け取る人と言い、裏の意味(ジョーク)をきちんと理解し、一緒に笑える高尚な人のことを、Deuxième degré(二段階目)という表現があるが、今回の事件は、まさにこの「ずれ」から来ているだろう。



今回の事件で、ジャーナリズムひいては民主主義は今、危険に脅かされる形になったが、何があっても屈してはならない。その精神こそが、ジャーナリズムに任された権利であり、また、挑戦でもある。どんな記事でも、言葉にされ、記事にされる限り、どこかで誰かを必ず傷つけることになるだろう。その責任は忘れてはならない。けれど、どんな状況であっても、それが人を殺してもいい理由になることはあり得ない。何の理由だって、人を殺してもいい理由にはならない。



一部の過激派のおかげで、一般のイスラム教徒も、迷惑を被る。イスラムは本来、「平和への道」という意味だというのに、コーランのどこにも、人を殺してもよいなどという記載はないのに、行き過ぎた誤解のみが、次々に暴力を生み出し、こうして悲惨な事件が生まれた。フランスに数多く暮らす、イスラム系家庭の二世の子どもたち、若者も、この野蛮で、暴力的な事件に、「自分がイスラム教徒でも、(犯人に対し)何のつながりも感じない、ああいった行為はイスラム教の定義するところではない」と話す姿を見て、胸を熱くし、共感するとともに、起こってしまった惨劇に、本当に悲しく、残念に思う。



昨夜はあちこちのチャンネルで、被害に遭ったジャーナリスト四人の特集が組まれ、釘付けになって見た。四人とも、慈愛溢れる優しい目をしている。彼らが亡くなってしまったことが、残念でならない。


ヨーロッパで一番多いとされるイスラム教徒の住むフランス、また、フランスからイスラム国へ参加するべき、旅立った人の数も一番多いとされる。その事実だけでも、政府を悩ます問題であったというのに、昨日の事件では、それが実行に移されてしまった…。



シャルリー・エブドには、まずは来週の水曜を始めとして、これからも発行し続けて欲しい。その姿勢こそが、彼らの存在理由であり、政治的スタンスであり、今回の事件への答えにもなり、何より今後への挑戦になる。被害に遭った12人の方、またその家族、友人に対し、心からお悔やみを申し上げます。



フランスで働くの巻 comments(4)
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comment
>特に日本のメディアで、「ひどい風刺画を描いたという事実を忘れてはならない」等の意見も目にした。

とありますが、日本でもそういう報道ばかりではありません。パリにいるからといってあなたも日本人であることに変わりはないのですから、すぐに日本へと矛先を向けるのは(日本はおかしい、といったような考えを持たれるのは)やめたほうがいいと思います。
mimi 2015/01/10 23:41
mimiさん、

「私も始めは、挑発的な風刺画のはらむ危険性の方に危惧した。」と書いている通り、私も始めは日本人的な感覚として、挑発するような・イスラム教徒の気分を害すような風刺画を描いた方が悪いのでは、と思ったんです、真っ先に。ですが、その後のフランスでの報道のされ方を見て、言論の自由、フランス共和国における自由について改めて考えさせられる中で、自分は間違った解釈をしていたのだと気づかされました。

おそらく私の意図した正しい意味が伝わっていないかと思います。文章の稚拙さのせいでしたらお詫び致します。

それから私はパリに暮らしていようとも、日本人にはまったく変わりがありませんし、自分の日本人的なものの考え方から離れることも、何かにおいてフランスの方が優れているなどと思うことも、発言したことも、一度もありません。過去記事を読んで頂ければ理解して頂けるかと思いますし、最近の記事「迫り来る金太郎の恐怖」内で書いたように、日本ラブです。自分の日本人的感性を失うことなく、大事にして行きたいと思っていますので、「すぐに日本はおかしい」などというスタンスも、攻撃するつもりも微塵もありませんよ。
mari 2015/01/11 01:41
はじめまして、サキと申します。私もフランス在住8年です。今回のことは本当に残念の一言です。私の場合、たまたま仕事で事件前から今現在も日本に来ている為、家族やネットからフランス国内でどのような状態になっているのか見聞きしてはいますが、実体験していないのでマリさんのように現地で体験されている怖さというのは分かっていないかもしれません。

さて。本題に入らせていただきます。実は今回の事件を通してマリさんのこちらの記事に辿りつかせていただきました。今回のこの事件については確かに色々な方向から物事を見る方がいますね。マリさんの記事を拝見して、私も自分の意見を言ってみたくなり(笑)一個人の意見ですが書かせていただきたいなと思いました。

私は以前からシャルリー・エブド社の風刺に対してあまり印象は良くありませんでした。(例えば、フランス在住日本人の方には有名な福島原発関連の記事など。私は祖父母が福島在住なのであれらの記事によってとても深く悲しみ、怒りもありました。私にとっては全く風刺でも何でもなかったです。あれらの記事について、マリさんはどう感じられたのかも出来ればお伺いしたいです。)風刺というのは基本的に権力に対して行うものであって、人が命をかけて信じているようなものでクスッと笑おうとすることを是とすることが表現の自由なのかな、と思うからです。自由という言葉をはき違えていると私は感じました。

以上が私の意見です。何となく書きたいと思ったので書いた次第です。受け流してください^^
サキ 2015/01/11 18:31
サキさん、

初めまして、こんばんは!コメントありがとうございます。

フクシマの風刺、ありましたね。腕が四本生えたお相撲さんの表紙で。よく覚えています。あれにはもちろん、私も気分を害されました。すぐに当時の日本の首相が抗議の手紙を送りつけたということで、正しい反応がなされたと思います。そしてそこで思うのは、あの風刺画によって日本人は気分を害し、深く傷ついたけれども、在仏日本人もしくは日本に暮らす日本人、誰も編集部を攻撃するような野蛮な行為に出なかったことです。それが、今回の事件とは異なる点で、我々は常識に基づいた、正しい行動に出た、正しい方法で遺憾の意を示した、ということが言えるかと思います。

サキさんがおっしゃる通り、基本的には風刺は権力に対して、というのは本当に同感です。弱者を風刺するのは辛辣以外の何者でもありません。
同居人のフランス人にも話しましたが(一番身近なフランス人のため、、、)、"C'est pas faux."と言っていました。それから彼が付け加えたので印象に残ったのは、「誰でも風刺の対象に成り得た、けどそれは、まったくもって意地悪な意図がないもの(sans esprit m&#233;chant)」とのことでした。

フランス人らしく、理屈をほじくっては自分なりの理屈を見つける、という感じですが、編集部にとっては、すべてユーモアで、ギャグだったのだと思います。そこに、今回論じられている「(編集部側の)言論の自由」が関与してくると思うのです。もちろん、気分を害する人もいるでしょう、そういう人は、シャルリー・エブドを手に取らない、という選択肢をするべきだ、と言っていました。鼻先で笑って、受け流す、という感じでしょうか。理想論ですが、大人の対応ですね。

理想論と書いた通り、人間なかなかそういうクールな態度は取れないものです。ですから、本文中でも「それが、世界的によく知られ、悪く言えば「自分勝手」と理解される、フランス人の性格、国民性を表している。」と書いた通り、私は今回の件で『フランス人はつくづくエゴイストだなぁ』と思っています。その後の報道で、サン・ドニの中高生の間からは、「私たちはシャルリーじゃない。行き過ぎたと思う、尊敬の念を欠いていた」という声が聞こえましたが、そういった意見があるのは最もかつ事実で、十分理解出来ます。
どんなに気分を害すような風刺画を描いても、「描いた人を殺す方が悪い」、その理論が何よりも勝ち、上に出るため、今回このような野蛮な行動を起こし、自分たちの自由を脅かされたフランス人は怒っているのではないでしょうか。誠にご都合主義だと思いますし、本当にフランス人らしいと思います。だから、今回の事件を正しく理解するには、フランス的精神がなければ・フランス人でなかれば、正しく理解出来ないとさえ思うのです。(なので、日本人である私も始め悶々とし、理解するのに時間がかかりました...)

日本でのお仕事が終わって、フランスに戻って来られる際にはどうか気をつけて下さい!とりあえずはほっとしていますが、いつ第二次テロがあるか分かりません。私はそれを恐れています。

またいつでも何なりとどうぞ!:)
mari 2015/01/12 03:54

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