Previously, mari's paris life


"La France traverse une phase de vulgarite. Paris, centre et rayonnement de betise universelle" - C. Baudelaire :p
紫蘇ちゃんと夏、さようなら


またアホなタイトルを付けてしまった。これは、何の鉢でしょう?答えは、夏の間、日本へ帰国していた私の習字の先生の代わりに、預かっていた紫蘇の鉢植えでした!アパートの、一番陽が当たる場所に置き、私は毎朝「しそちゃん」と呼び、霧吹きで水をかけてやり、甲斐甲斐しく話しかける様を、ある週末に目撃したコーチは、「それちょっと、まじで頭おかしい人みたいだから、やめた方がいいよ..…」と、ほんとにこの絵文字みたいな顔をして、絶句していたが、気にしない、気にしない。どんな植物にも話しかけた方がいいのだ!(と信じている) 


その甲斐あってか、しそちゃんは毎日毎日、「私を食べて!」と言わんばかりにぷんぷんぷんと新しい葉っぱを付け、おかげで私は、暑いお昼には梅しそ入り冷やしうどんを食べてみたり、またある時には、梅じそパスタを作ったりと、美味しく食すことが出来た。どうよ!パリでである。感謝。しかも買うとしその葉って、高いのよね〜。ほんとうはジントニックにも入れてみたかったけど、時間がなくて、断念。



しかし紫蘇でも何でも、植物がいて、毎日水をかけてやり、話しかけることがどんなに癒されることか、よーく分かった。予想以上の愛と、喜び、可愛さがそこにはあった。それに答えるように、毎日小さな葉っぱをぽんぽんと付けてくれるしそちゃん。残念ながらもうお家に帰っちゃったけど、お返ししなくちゃいけなかった昨日は、朝から悲しかったものである。私、しそちゃんに情が…. しっかり移ってる!!これってほんとに危ない人?いやいや、ほんとうに可愛かったんだから。この夏、濃密な一時を過ごしたわ、私としそちゃんは。先生いわく、この苗は日本からやって来た種で、一年草で、この夏でそろそろ終わりというしそちゃんも、私には最後の(?)頑張りを見せてくれた。まったく毎日話しかけた甲斐があったというもの。美味しかったよ、しそちゃん… また、会えるよね…...





昨日8月27日は、フランスというかとにかくパリでは珍しく、一日中しとしとしとと、それはもうしつこく雨が降り続き、止むことがなかった。どんよりとした、グレーの空よ、再び。こうなると、感じるのは秋の気配である。パリは、8月27日にはもうしっかりと秋でした。涙。。南仏から引っ越してきた友達は、びっくりしていた。そりゃそうだよね、まだ曲がりなりにも8月だもの、葉月ですよ。それなのに、この冷ややかさ、冷たい雨…。あぁパリにも、日本のような美しい秋晴れがあったなら。東京のように、見事な冬晴れがあり、青い空に冬の太陽が輝いていたらと、まるで昔の日本を夢見たゴッホのように思ってしまう私である。どんだけw




毎年書いてるけど、夏の終わりはあっけなくて、もどかしくて、引き留めたいにも引き留められなくて、悲しい。それは新たに巡り来る、新しい季節に胸が騒ぎ、また忙しい時期がやってくるなと、不安に思う気持ちが入り混じった、ざわざわとした気持ち。今年は言わば毎日バカンス、まるで日曜日の状態で、働いていないからいつもよりストレスはましだけど、やっぱり苦手な時期に変わりはない。それは一つに、ヨーロッパで一番素晴らしい季節でありつつも、一番短い夏という季節があっけなく去ってしまう無常さ、悲しさのせいなのだ。なんで夏はこんなに短いんだよーう!いつになったら慣れることやら。あぁまたこうして、秋がやって来ては、冬が来る。なんだかいつも薄暗い世界を生きているような気がする。一年が回っていくなぁ。こっちのカレンダーにももう随分慣れて、お盆や終戦記念日を感じることよりも、ついうっかり8月15日は聖母昇天祭という、カトリックの祝日で、休みになるということの方をしっかり意識してしまう始末。うぅ、「この、非国民!」とか呼ばれたらどうしよう、呼ばれたくない。。。ほんとうは、(まだ先だけど)ガレットデロワなんかどうでもよくって、鏡餅とか七草粥が食べたいのだ、私は!w



だいぶ身に沁みてきた通年行事というか、リズムというか、それを得るごとに、元々の体に染み付いていた日本の行事やカレンダーをどこかに引き換えにして、忘れてしまう寂しさ。いつも言ってるけど、いつだって私は私で、心は日本に。ふとバスの中から見えるカフェのテラスに、もうすっかり、そうした「洋100パーセント」の光景に心が驚かなくなっていること、それが、すっかり自然の、日常の景色となっていること、びっくりする。私は日本の野山や田んぼが見たいよ。そしてそういった光景が、本国日本ではどんどんと少なくなろうとも、私は私が生きた日本を忘れることはないし、それは間違いなく、故郷の姿であるし、湖沿いで見た夕日だったり、登下校して歩いた、あぜ道だったりする。そうして少しずつ、日々「ずれ」が生まれていき、これからますますフランスで生きていく度に、私の中だけで止まった、私だけの時間、日本という光景が出来上がっていく。アメリカに住む伯母なんか在米50年近いから、もっとひどくて(苦笑)、従姉妹に子どもが生まれた時、生まれてきた子は男の子だったのだけど、日本名を考えていた時に、日系だから、両方のおじいちゃん(子どもから見たら曾おじいちゃん)から取って、「守政(もりまさ)って名前はどうかねぇ?!」と、真剣に母に電話で聞いてくるものだから、あの人は絶対に、「キラキラネーム」なんて概念など、知るはずもないであろう...。伯母の中での日本が、時間が、止まっているから。それは誰のせいでもないのだけれど。(そして無事、生まれてきた子は守政(もりまさ)ではなく、けれど日本とのつながりを感じるような、いい名前になった。よかった……。もちろん、ちゃんと英語名もあるし、普段はみんなそっちで呼んでいる。)



脳裏にちらつく、刺繍なのか布で出来たものなのか、額に入った、金太郎の絵の恐怖。もうすぐそこにやって来るのだろうか、私は壁に掛けてしまうのだろうか。(ちょっと前の記事を参照にして下さい……) それは依然として、私の中にある。ちなみに我が家に、そういう金太郎の刺繍こそないものの、小さい浮世絵は、ある。コーチが5月に、ニューヨークでお買いになりました。買った時にも言われて、半信半疑だったのだけれど、その後猛烈にリサーチした結果、なんと本当に安藤広重、歌川広重のものらしいので、二人ともほっ。と同時に、ガッツポーズ!Yay!


浮世絵なんだけど、漫画みたいな構図と絵で、なかなか面白いんだよ。それはコーチの趣味である、古い中国の家具の上に立てかけてあり、その隣には、私が書いた習字が何作か…. ちゃんと額に入れて、表装して、ある。(自分で表装しました!)そしてそのすぐ上の壁には、アフリカから来たマスクが数個…… なんか、こうして文字で書くだけでも凄いね。強烈。私はそういう、超絶エギゾチックなインテリアの家に住んでいるのだw
機会があれば、また写真に撮ってお披露目しようと思います。

フランスで働くの巻 comments(0)
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