スポンサーサイト
2017.07.14 Friday
一定期間更新がないため広告を表示しています
- -
さよならフランス
2005.06.23 Thursday
悲しいことも楽しいこともすべて、フランスが教えてくれた!
「普通」の語学留学のはずが・・ パリ・コレにも行けたし、ミラ・ジョボヴィッチとは写真撮れちゃうし、最高の友達に巡り会えたし、全然普通じゃなかった。
始めはどうなるかと思った十ヶ月半。先が見えなくて、どこまでフランス語も習得出来るのか不安で、ってその他にもたくさん不安なことがあって、どうなるどうなる・・と思っていたのに・・。
物事に慣れると後は簡単。人生楽しくなると充実してくれちゃって、おかげで時間が経つのが早い早い。
神様、お父さん、お母さん。皆、どうもありがとう。出来るだけのことはやったんだ、これからの人生の糧になるような十ヶ月間をどうもありがとう。
悔いの残ることもありますが・・ ちょっとぐらい不満足の部分を残しておく方が、次への更なるステップ、闘争心になっていいのかも。友達にも、完璧主義者過ぎると言われたし。。バレてましたか。
永遠にこんな毎日が、ずっと続くといいけど・・ そう思ってるのは私だけじゃないけど・・ ここは大人しく帰ります!!
今まで私のblogも読んでくれて、皆どうもありがとう。日本で久しぶりに会うことになる友達、帰ったらすぐに遊ぼうね〜〜〜!連絡するよー!
さよならフランス。大好き!!
「普通」の語学留学のはずが・・ パリ・コレにも行けたし、ミラ・ジョボヴィッチとは写真撮れちゃうし、最高の友達に巡り会えたし、全然普通じゃなかった。
始めはどうなるかと思った十ヶ月半。先が見えなくて、どこまでフランス語も習得出来るのか不安で、ってその他にもたくさん不安なことがあって、どうなるどうなる・・と思っていたのに・・。
物事に慣れると後は簡単。人生楽しくなると充実してくれちゃって、おかげで時間が経つのが早い早い。
神様、お父さん、お母さん。皆、どうもありがとう。出来るだけのことはやったんだ、これからの人生の糧になるような十ヶ月間をどうもありがとう。
悔いの残ることもありますが・・ ちょっとぐらい不満足の部分を残しておく方が、次への更なるステップ、闘争心になっていいのかも。友達にも、完璧主義者過ぎると言われたし。。バレてましたか。
永遠にこんな毎日が、ずっと続くといいけど・・ そう思ってるのは私だけじゃないけど・・ ここは大人しく帰ります!!
今まで私のblogも読んでくれて、皆どうもありがとう。日本で久しぶりに会うことになる友達、帰ったらすぐに遊ぼうね〜〜〜!連絡するよー!
さよならフランス。大好き!!
フランスから世界を
2005.06.23 Thursday
フランスから世界を見渡すと、他の国からとは異なった点が目に入ると思う。
それは、北アフリカなど旧植民地を始めとする、アラブ世界への展望。また、アフリカ系労働移民もよく見かける。メトロに乗っているだけでも、民俗衣装を身にまとったアフリカ系マダムをよく見かけるけれど、なかなか迫力があります。アフリカの女性の民族衣装って、様々な柄がある様で、惹かれる。
アメリカにいると、南アメリカからのヒスパニック系の民俗をよく見かけるけれど、フランスではアフリカが中心になるだろう。
アメリカにしろフランスにしろ、それは今までの植民地政策や外交、経済状況などがが大いに絡んでいて、地理的な要因もあるだろうけど、顕著に現れるから面白い。
始めは北アフリカのアラブ圏の国々や、他のアフリカについても全然知らなかったのに、今ではアルジェリア出身の友達やチュニジア出身の友達も出来、何度か民俗料理も一緒に食べたし、いろいろ話を聞いて、どんどん視野が広がっていく。今まではまったく何も知らず、『どんな国なんだろう』とただ漠然と考えているだけだったのに・・ 友達も出来たことだし、自分の勉強も兼ねて、いつか見てみたい・・アフリカの国々。そこはまた、きっと独特の文化、伝統が存在しているんだろうな。違うことを目にし、理解しようとし、受け入れることが、理想的な異文化理解への近道だと思う。ただ想像を張り巡らせているだけでは、文化は理解出来ない。文化は生きていて、そこに生活する人によって守られている。
そしてフランスにいると、ただメトロに乗っているだけでも様々な人種で溢れていて、北アフリカ出身の人を見かけない日はないのでした。
-----
それは、北アフリカなど旧植民地を始めとする、アラブ世界への展望。また、アフリカ系労働移民もよく見かける。メトロに乗っているだけでも、民俗衣装を身にまとったアフリカ系マダムをよく見かけるけれど、なかなか迫力があります。アフリカの女性の民族衣装って、様々な柄がある様で、惹かれる。
アメリカにいると、南アメリカからのヒスパニック系の民俗をよく見かけるけれど、フランスではアフリカが中心になるだろう。
アメリカにしろフランスにしろ、それは今までの植民地政策や外交、経済状況などがが大いに絡んでいて、地理的な要因もあるだろうけど、顕著に現れるから面白い。
始めは北アフリカのアラブ圏の国々や、他のアフリカについても全然知らなかったのに、今ではアルジェリア出身の友達やチュニジア出身の友達も出来、何度か民俗料理も一緒に食べたし、いろいろ話を聞いて、どんどん視野が広がっていく。今まではまったく何も知らず、『どんな国なんだろう』とただ漠然と考えているだけだったのに・・ 友達も出来たことだし、自分の勉強も兼ねて、いつか見てみたい・・アフリカの国々。そこはまた、きっと独特の文化、伝統が存在しているんだろうな。違うことを目にし、理解しようとし、受け入れることが、理想的な異文化理解への近道だと思う。ただ想像を張り巡らせているだけでは、文化は理解出来ない。文化は生きていて、そこに生活する人によって守られている。
そしてフランスにいると、ただメトロに乗っているだけでも様々な人種で溢れていて、北アフリカ出身の人を見かけない日はないのでした。
-----
フランス語学習者に朗報
2005.06.22 Wednesday
『そんなのもうとっくに知ってるよん』と言う人もいるかもしれませんが・・私、すごい発見を致しました。
前にも書いたけど、フランス語の名詞には、男性・女性・そして中性と、性別がある。
何が厄介かって、単語を見るだけでは性別が分からないのだ。スペイン語の様に、語尾が○○で終わっていたら男性、△△だったら女性・・という風に、見て取れないから辛い。従って、覚えるしかないから辛い。まぁ始めは単語に性別がある、っていう価値観が日本語にはないので辛いのだが、次に来る名詞の性別によって前置詞が変化する・・って動作がフランス語ではあるので、一緒になって名詞の性別も覚えちゃう、ってのが一番楽だと思う。慣れたら・・。
そして、何を発見したかと言うと・・
名詞の語尾が、"-tion"、または"-sion"で終わるものは、すべて女性名詞。
例)・nation(なしおん・国家)
・passion(ぱしおん・情熱、熱情)
・convocation(こんう゛ぉかしおん・呼び出し、召集) などなど・・ 辞書を引いてみると一目瞭然。面白いのでやってみてね。
次に、語尾が"-ette"で終わるものも女性名詞だ。
例)・serviette(せるう゛ぃえっと・ペーパーナプキン)
・assiette(あしえっと・お皿、取り皿)
・fourchette(ふるしぇっと・フォーク)
それから語尾が、今度は"-ment"で終わる名詞はすべて男性名詞。
例)・changement(しょんじゅもん・変化)
・deplacement(でぷらすもん・移動、転居)
・logement(ろじゅもん・住居)・・など、他にもたくさん・・
語尾が"-eau"で終わるものも男性名詞だ(注・de l'eau、お水は除きます。お水は女性名詞、それも部分冠詞が付きます)。
例)・agneau(あにょー・子羊)
・bateau(ばとー・船)
・cadeau(かどー・プレゼント) などなど・・
一つ目の"e"にあくそん・てぎゅが付くけれど、語尾が"-ee"のものも、大体すべて女性名詞。これは理由が分かっている。基本的に過去分詞であることを表す一つ目の"e(あくそん・てぎゅ付き)"とそれに付加している二つ目の"e"は、その過去分詞の常態に当たる動詞の性質を、「〜されたもの」と受け身の様に考えるため("pensee"がいい例だよね。動詞、"penser(考える、思う)から来ている")、常態に対して小さいと見なされ、女性的である、すなわち女性名詞になったのだ。
例)・cheminee(しゅみねー・煙突)
・epee(えぺー・剣)
・pensee(ぽんせ・考え、思い) など。
これらの法則が分かっていると、単語の性別を覚えるのは、少し楽になるのでは・・
-----
前にも書いたけど、フランス語の名詞には、男性・女性・そして中性と、性別がある。
何が厄介かって、単語を見るだけでは性別が分からないのだ。スペイン語の様に、語尾が○○で終わっていたら男性、△△だったら女性・・という風に、見て取れないから辛い。従って、覚えるしかないから辛い。まぁ始めは単語に性別がある、っていう価値観が日本語にはないので辛いのだが、次に来る名詞の性別によって前置詞が変化する・・って動作がフランス語ではあるので、一緒になって名詞の性別も覚えちゃう、ってのが一番楽だと思う。慣れたら・・。
そして、何を発見したかと言うと・・
名詞の語尾が、"-tion"、または"-sion"で終わるものは、すべて女性名詞。
例)・nation(なしおん・国家)
・passion(ぱしおん・情熱、熱情)
・convocation(こんう゛ぉかしおん・呼び出し、召集) などなど・・ 辞書を引いてみると一目瞭然。面白いのでやってみてね。
次に、語尾が"-ette"で終わるものも女性名詞だ。
例)・serviette(せるう゛ぃえっと・ペーパーナプキン)
・assiette(あしえっと・お皿、取り皿)
・fourchette(ふるしぇっと・フォーク)
それから語尾が、今度は"-ment"で終わる名詞はすべて男性名詞。
例)・changement(しょんじゅもん・変化)
・deplacement(でぷらすもん・移動、転居)
・logement(ろじゅもん・住居)・・など、他にもたくさん・・
語尾が"-eau"で終わるものも男性名詞だ(注・de l'eau、お水は除きます。お水は女性名詞、それも部分冠詞が付きます)。
例)・agneau(あにょー・子羊)
・bateau(ばとー・船)
・cadeau(かどー・プレゼント) などなど・・
一つ目の"e"にあくそん・てぎゅが付くけれど、語尾が"-ee"のものも、大体すべて女性名詞。これは理由が分かっている。基本的に過去分詞であることを表す一つ目の"e(あくそん・てぎゅ付き)"とそれに付加している二つ目の"e"は、その過去分詞の常態に当たる動詞の性質を、「〜されたもの」と受け身の様に考えるため("pensee"がいい例だよね。動詞、"penser(考える、思う)から来ている")、常態に対して小さいと見なされ、女性的である、すなわち女性名詞になったのだ。
例)・cheminee(しゅみねー・煙突)
・epee(えぺー・剣)
・pensee(ぽんせ・考え、思い) など。
これらの法則が分かっていると、単語の性別を覚えるのは、少し楽になるのでは・・
-----
英語が話せると?
2005.06.21 Tuesday
フランスでたくさん出会った、英語が出来ないという日本人の人。なのにフランス語をやっているという人。
理由が面白い。「英語は話さない・・。汚いし、好きじゃないから。話せないじゃなくて話しません」とある友達は言い切っていて、『同じじゃい』と心の中で突っ込んだ。
私はフランス語が大好きだけれど、悔しいことに、世界の公用語レベルで考えると、英語には負けてしまう。フランス語を話す国は意外と多いのだけれど、英語の様に第二外国語レベルで解する人がいるかといったら、そうではないからだ。
こうなると、より多くの機会で通用する英語の方が大事になってくる。
パリはまだ英語が通じるとしても・・ フランスの英語教育はまだまだだろう。よく言われるけれど、フランス人が決して、英語を話したくないわけではない。フランス語という母国語に、類いまれなる愛着を持っているのは事実だけれども、決して話したくないのではなく、話せないのだ・・。こないだも知り合いの家で開かれたパーティーに、スウェーデン出身のいつもの友達と一緒に出かけて行ったら、そこで知り合ったフランス人との話題は、スウェーデンでの英語教育についてだった。「どうして皆、スウェーデンの人は英語に強いの?」、「何歳から英語教育が始まるの?」、などなど。皆興味深々の様。
確かにスウェーデン人が英語に強いのは有名な話で、「すごいねぇ、いいねぇ」と呑気にコメントしていると、「一つは同じ、(北)ゲルマン語の一派だから。もう一つは、スウェーデンは900万人っていう総人口しかいなくて、スウェーデン語はそんな小さな国で話されてる言語でしかないから。英語は街中、どこにでも溢れているよ」と、ぴしゃっと言い返される。お見事です。
この留学期間で、フランス語の練習はもちろんだけど、英語もたくさん使った。パーティーなんかの場で、外国人だらけの場合や誰か一人でもフランス語が話せない人がいると、英語に切り替わるからだ。友達同士で話していて、何か知らない単語が出てきて、フランス語で一生懸命説明してもらってもそれでも分からない(うぅぅ、私が)・・、ってなると、同じ言葉をすぐに英語で言ってもらうとすぐに分かって話が早い。まぁ、この逆のことをしていると、いつまで経っても説明する力がつかないので、してはいけないのですが・・。
いきなりフランス語から入る、ってのは、あまり良くないと思う。
まぁ、個人的な理由や需要にも寄るだろうけど(それこそ、『夫の転勤が決まって、いきなり明日からフランスで生活しなくちゃいけない!』っていう場合は別として)、
「私英語話せないなぁ〜。英語もパリで勉強しよっかなぁ」とステイ先のマダムに呟いたら、
「当たり前よ!フランス語やる前に英語やりなさい、英語!私でも話せるわよ」と言い返されたという友達を、私は知っている・・・。
その他にも、モード(ファッション)学校に入ろうとしたら、「あなた英語話せる?話せないの?じゃあ駄目」と門前払いされたケースとか。
こういう話はざくざく。フランス人も、英語が話せる話せないには、ある種の危機感があるのか・・ どうやら話せるようになりたい、という気持ちは同じ様で、その裏返しでこういう反応が返ってくるのでしょう。
フランス語を勉強している、英語が母国語ではない外国人同士で、何か分からない単語やフランス語で出てこない単語があると、フランス語では言えないのに皆すぐ英語で言えてしまう。こういう時も、英語の力を感じる。強さというか、影響力というか。
英語の様に解する人が多い外国語をやっていると、自然と話せる人は増えていくし、会話が弾むと後はもう楽しいことだらけで、便利だなぁっていうのが私の一番の感想かもしれない。これが、私の英語についての見解。もっともっと、かっこいい英語が話せるようになりたいし、フランス語用に形成されてしまった口から、英語の口に、少し戻さなくっちゃ・・。単語が出てくるか微妙です。やっぱり大切な、英語。
フランス語に関しては、フランス人ってフランス語でこっちが話すと喜んでくれるし、フランス文化やフランスの物が大好きなこともあるけど、一般教養、知識を高めるためにやっている・・っていうのが一番近いかも。こう書くと、『まりちゃんどんだけフランス寄りの人間に・・』と、皆呆れてしまうかもしれないけれど、特に私が興味あることや、世の中のこと全て、意外と、フランスを発祥としていたり、フランスが世界で一番伝統を誇っている・・ってことが、けっこうあるのです。特にファッション関係や、アート、映画などなど。そしてその結果、フランスに夢を抱きフランスへ渡る若き日本人留学生は後を絶たない。これが、先生が「日本におけるフランスは、いつも『いでありざしおん・理想化』だ」といった原因なり。
そして私の場合、もちろん、将来(って、そう遠くないか)するであろう仕事に、フランス語が役立てるとなおいいし、ずっと使っていたい。
国際的な流通度や、便利度は英語に譲ろう。白旗揚げちゃうよ。でも、教養になるかという観点で考えたら、私は断然フランス語をひいきしてしまう・・。
『頑張れ、フランス語!』と、密かに拳を握って、フランス語の更なる発展と流通度を応援してもいいんだけど、言語の構成、文法という観点から考えると、英語の方が遥かにシンプルなので、その点は英語の勝ちなのでした。ごめんね。
-----
理由が面白い。「英語は話さない・・。汚いし、好きじゃないから。話せないじゃなくて話しません」とある友達は言い切っていて、『同じじゃい』と心の中で突っ込んだ。
私はフランス語が大好きだけれど、悔しいことに、世界の公用語レベルで考えると、英語には負けてしまう。フランス語を話す国は意外と多いのだけれど、英語の様に第二外国語レベルで解する人がいるかといったら、そうではないからだ。
こうなると、より多くの機会で通用する英語の方が大事になってくる。
パリはまだ英語が通じるとしても・・ フランスの英語教育はまだまだだろう。よく言われるけれど、フランス人が決して、英語を話したくないわけではない。フランス語という母国語に、類いまれなる愛着を持っているのは事実だけれども、決して話したくないのではなく、話せないのだ・・。こないだも知り合いの家で開かれたパーティーに、スウェーデン出身のいつもの友達と一緒に出かけて行ったら、そこで知り合ったフランス人との話題は、スウェーデンでの英語教育についてだった。「どうして皆、スウェーデンの人は英語に強いの?」、「何歳から英語教育が始まるの?」、などなど。皆興味深々の様。
確かにスウェーデン人が英語に強いのは有名な話で、「すごいねぇ、いいねぇ」と呑気にコメントしていると、「一つは同じ、(北)ゲルマン語の一派だから。もう一つは、スウェーデンは900万人っていう総人口しかいなくて、スウェーデン語はそんな小さな国で話されてる言語でしかないから。英語は街中、どこにでも溢れているよ」と、ぴしゃっと言い返される。お見事です。
この留学期間で、フランス語の練習はもちろんだけど、英語もたくさん使った。パーティーなんかの場で、外国人だらけの場合や誰か一人でもフランス語が話せない人がいると、英語に切り替わるからだ。友達同士で話していて、何か知らない単語が出てきて、フランス語で一生懸命説明してもらってもそれでも分からない(うぅぅ、私が)・・、ってなると、同じ言葉をすぐに英語で言ってもらうとすぐに分かって話が早い。まぁ、この逆のことをしていると、いつまで経っても説明する力がつかないので、してはいけないのですが・・。
いきなりフランス語から入る、ってのは、あまり良くないと思う。
まぁ、個人的な理由や需要にも寄るだろうけど(それこそ、『夫の転勤が決まって、いきなり明日からフランスで生活しなくちゃいけない!』っていう場合は別として)、
「私英語話せないなぁ〜。英語もパリで勉強しよっかなぁ」とステイ先のマダムに呟いたら、
「当たり前よ!フランス語やる前に英語やりなさい、英語!私でも話せるわよ」と言い返されたという友達を、私は知っている・・・。
その他にも、モード(ファッション)学校に入ろうとしたら、「あなた英語話せる?話せないの?じゃあ駄目」と門前払いされたケースとか。
こういう話はざくざく。フランス人も、英語が話せる話せないには、ある種の危機感があるのか・・ どうやら話せるようになりたい、という気持ちは同じ様で、その裏返しでこういう反応が返ってくるのでしょう。
フランス語を勉強している、英語が母国語ではない外国人同士で、何か分からない単語やフランス語で出てこない単語があると、フランス語では言えないのに皆すぐ英語で言えてしまう。こういう時も、英語の力を感じる。強さというか、影響力というか。
英語の様に解する人が多い外国語をやっていると、自然と話せる人は増えていくし、会話が弾むと後はもう楽しいことだらけで、便利だなぁっていうのが私の一番の感想かもしれない。これが、私の英語についての見解。もっともっと、かっこいい英語が話せるようになりたいし、フランス語用に形成されてしまった口から、英語の口に、少し戻さなくっちゃ・・。単語が出てくるか微妙です。やっぱり大切な、英語。
フランス語に関しては、フランス人ってフランス語でこっちが話すと喜んでくれるし、フランス文化やフランスの物が大好きなこともあるけど、一般教養、知識を高めるためにやっている・・っていうのが一番近いかも。こう書くと、『まりちゃんどんだけフランス寄りの人間に・・』と、皆呆れてしまうかもしれないけれど、特に私が興味あることや、世の中のこと全て、意外と、フランスを発祥としていたり、フランスが世界で一番伝統を誇っている・・ってことが、けっこうあるのです。特にファッション関係や、アート、映画などなど。そしてその結果、フランスに夢を抱きフランスへ渡る若き日本人留学生は後を絶たない。これが、先生が「日本におけるフランスは、いつも『いでありざしおん・理想化』だ」といった原因なり。
そして私の場合、もちろん、将来(って、そう遠くないか)するであろう仕事に、フランス語が役立てるとなおいいし、ずっと使っていたい。
国際的な流通度や、便利度は英語に譲ろう。白旗揚げちゃうよ。でも、教養になるかという観点で考えたら、私は断然フランス語をひいきしてしまう・・。
『頑張れ、フランス語!』と、密かに拳を握って、フランス語の更なる発展と流通度を応援してもいいんだけど、言語の構成、文法という観点から考えると、英語の方が遥かにシンプルなので、その点は英語の勝ちなのでした。ごめんね。
-----
Parler, parler, parler!
2005.06.21 Tuesday
パーティーの場なんかだとまた別なのですが、皆で集まってカフェやバーで飲んでいる時などは、飲むという行為はもとより、話すという行為が中心になっている気がする。話すために飲む、と言っても過言ではないかも。特に、フランスの場合。
言い換えると・・話す、つまり、議論を楽しむとでもいうのか・・ カフェやバーは、話す練習をする場所。お喋り度を鍛える所。
こないだ現在ロンドンに留学している、同じ大学の男友達がパリに遊びに来ていて、せっかくなので、私の友達も一緒に、皆で集まった。
モンパルナスにある、偶然見つけたカフェ・バーで飲んでいたのだけれど・・ 彼が驚いたのは、私達のテンション。「え、こんな感じでいいん?もっとはしゃいだり、飲んだりせんの?」と言われたんだけど、私達は至って普通だった・・(笑)。そんな、はしゃいで飲むなんてことはしないし、誰かが不自然に盛り上げることもない。皆ただ淡々と、話したいことだけを話し、時に飲み・・そうやって同じ時間を過ごしていく。それだけだ。
会話が途切れることだってある。でも、ここで大事なのは、同じ空間に位置し、同じ話題を共有しているという一体感。
安心感にでも兌換しているのか・・ そうこうしているうちに、また誰かが話し出すし、気が付くと、テーブルのあちこちでいくつもの会話が繰り広げられている。
思ったんだけど、日本は真逆なのではないでしょうか・・。
まぁ、気の合う女友達とゆっくり、相談でも聞いてもらう、積もる話があるって場合は淡々と、飲みながら話すってパターンになると思うけれど、日本の場合、大人数で集まって飲む場合、誰かが盛り上げなくてはならないと勝手に任務を背負い、これが少しでも上手くいかないと、見ている方が辛い・・ってケース、よくあるよね・・。
そんな、無理に盛り上げなくても、話す話題さえあれば、自然とテーブルは盛り上がっていくものなのではないでしょうか・・。
そして、自然と議論になる、というヨーロッパの場合、的確に話せなくても話すことが大事。ここでもまず、話すことが大事。自分が思っていることを、自分の意見を相手に伝えることからコミュニケーションは始まる。そして、そのコミュニケーションに少しでも火が点くと・・議論へと発展していく。
あとは自分がどう思うか、その都度意見を言っていけば、相手もヒートアップしている限り、話が終わることはない。そう例え、こちら側が疲れてきても・・・
-----
言い換えると・・話す、つまり、議論を楽しむとでもいうのか・・ カフェやバーは、話す練習をする場所。お喋り度を鍛える所。
こないだ現在ロンドンに留学している、同じ大学の男友達がパリに遊びに来ていて、せっかくなので、私の友達も一緒に、皆で集まった。
モンパルナスにある、偶然見つけたカフェ・バーで飲んでいたのだけれど・・ 彼が驚いたのは、私達のテンション。「え、こんな感じでいいん?もっとはしゃいだり、飲んだりせんの?」と言われたんだけど、私達は至って普通だった・・(笑)。そんな、はしゃいで飲むなんてことはしないし、誰かが不自然に盛り上げることもない。皆ただ淡々と、話したいことだけを話し、時に飲み・・そうやって同じ時間を過ごしていく。それだけだ。
会話が途切れることだってある。でも、ここで大事なのは、同じ空間に位置し、同じ話題を共有しているという一体感。
安心感にでも兌換しているのか・・ そうこうしているうちに、また誰かが話し出すし、気が付くと、テーブルのあちこちでいくつもの会話が繰り広げられている。
思ったんだけど、日本は真逆なのではないでしょうか・・。
まぁ、気の合う女友達とゆっくり、相談でも聞いてもらう、積もる話があるって場合は淡々と、飲みながら話すってパターンになると思うけれど、日本の場合、大人数で集まって飲む場合、誰かが盛り上げなくてはならないと勝手に任務を背負い、これが少しでも上手くいかないと、見ている方が辛い・・ってケース、よくあるよね・・。
そんな、無理に盛り上げなくても、話す話題さえあれば、自然とテーブルは盛り上がっていくものなのではないでしょうか・・。
そして、自然と議論になる、というヨーロッパの場合、的確に話せなくても話すことが大事。ここでもまず、話すことが大事。自分が思っていることを、自分の意見を相手に伝えることからコミュニケーションは始まる。そして、そのコミュニケーションに少しでも火が点くと・・議論へと発展していく。
あとは自分がどう思うか、その都度意見を言っていけば、相手もヒートアップしている限り、話が終わることはない。そう例え、こちら側が疲れてきても・・・
-----
ぽわぽわ ふらんす -フランス人の顔-
2005.06.21 Tuesday
人類学的に、フランス人という人種は存在しない。そりゃそうだ。ヨーロッパのほとんどがそうであるように、「おじいさんはイタリア人・・」、「お母さんが日本人で・・」、「両親はアルジェリア出身だけど自分はフランスで生まれたの」、など、実に混ざり混ざっているからだ。
始めは、『う〜ん、この人のルーツって何だろう』と『???』な人でも、一度見方が分かると、大体の人のルーツが分かるようになってきた。お父さんがアルジェリア出身という寮にいる女の子は蜂蜜色の肌をしているし、お父さんがヴェトナムの血を引いているというまた別の女の子は、黒い髪、黒目がちの大きな瞳を持っている。
「両親はポルトガル移民よ」、「お母さんがイタリアと中国のハーフで、お父さんが・・(忘れた)」、「お父さんはアルジェリア人でお母さんはヨルダン出身」などなど・・ 純粋なフランス人とはどうやら存在しない様。最も、それはフランスに限ったことではありませんが・・
しかし。やはり、同じ国に生きている人同士、共通するものがある。
特に男の人!どんなルーツを引いていても、おそらくフランスで生まれ育ったんだろうなという男の人は、やっぱり皆たれ目〜(笑)。そのせいか、皆、甘い顔。前にも書いたけど、チョコレートが大好きって顔。
同じ言葉を解し、同じ文化の中で生活し、その国が作り出す物を食べていると・・やっぱり同じ顔になるのかしら、とか思ったりして・・。
-----
始めは、『う〜ん、この人のルーツって何だろう』と『???』な人でも、一度見方が分かると、大体の人のルーツが分かるようになってきた。お父さんがアルジェリア出身という寮にいる女の子は蜂蜜色の肌をしているし、お父さんがヴェトナムの血を引いているというまた別の女の子は、黒い髪、黒目がちの大きな瞳を持っている。
「両親はポルトガル移民よ」、「お母さんがイタリアと中国のハーフで、お父さんが・・(忘れた)」、「お父さんはアルジェリア人でお母さんはヨルダン出身」などなど・・ 純粋なフランス人とはどうやら存在しない様。最も、それはフランスに限ったことではありませんが・・
しかし。やはり、同じ国に生きている人同士、共通するものがある。
特に男の人!どんなルーツを引いていても、おそらくフランスで生まれ育ったんだろうなという男の人は、やっぱり皆たれ目〜(笑)。そのせいか、皆、甘い顔。前にも書いたけど、チョコレートが大好きって顔。
同じ言葉を解し、同じ文化の中で生活し、その国が作り出す物を食べていると・・やっぱり同じ顔になるのかしら、とか思ったりして・・。
-----
ワイン病
2005.06.20 Monday
フランスにあるもので、確実に恋しくなるものと言ったらいろいろ挙げられるけど、間違いなくその中に、ワインがある。
今、宅急便でワインをいくつか自宅に送ろうかとも企んでいて・・
ワインのない生活なんて辛い、と半分冗談で友達に言っていたら(半分冗談ですよ!)、「川島なおみみたいなこと言うねぇ」と言われてしまった。川島なおみって・・・
フランスに来たばかりの頃は、ワインのことはほぼ何も知らず、「ボルドーはいつもおいしい」と言ったフランス人の友達の言葉が頭に残り、大体いつもボルドーばかりを飲んでいたんだけれど・・ そのうち味を占めると、『ボルドーのワインはちょっと自分にはきついなぁ・・』ということに気付き、スーパーのワイン売り場の、違うコーナーへと足を運ぶようになった。
そして行き着いたのが、南フランスであるコート・デュ・ローヌ産のワイン。最近はパーティーに持っていくのもコート・デュ・ローヌばかり。部屋で飲むのもコート・デュ・ローヌばかり。
柔らかくて、かと言ってブルゴーニュ産のものの様にアルコール度が低くなくて、おいしい。聞いたら、フランス人の友達も、ほとんど「コート・デュ・ローヌが一番よ」と言っていた。外国人の友達、クラス・メイトも皆、「コート・デュ・ローヌが一番」と言う。大賛成!!
フランスのもので、好きな食べ物は何、と聞かれるとちょっと困る。
高級なフレンチ・レストランに行く機会なんてなかったし、寮のキッチン設備では料理も思うように出来ない。
しかし。好きな食べ物に当てはまるのかどうかは謎だけど、パン(バゲット)とチーズ、ワインがあればもう幸せ。単純です。
パンとチーズさえあれば幸せ・・と感じさせてくれる国って、フランスの他にないと思う。「世界的に定評のあるワイン産国は、フランスの他にない」、と、フランス人の友達がすべて口を揃えて言っていたように、フランスは食べ物王国。何でもおいしい。一つに、地理的に恵まれているのが挙げられるだろう。南へ行けば海もあり・・ お魚も取れる。中央フランスはおいしいチーズの産地として有名だ。
こうなったらコレステロールなんて気にしてらんないね(笑)。いやおととい、年配の方(お父さんのお友達)にディナーに招かれていて、そういう話になったのです(笑)。「食べてる時にこんな話もだめだけど・・」と言いながら。。
「フランスの食事は高カロリーなものばかりだよ。だから皆肝臓を駄目にする」、とそのムッシューは言っていて、私は思わずフォアグラが頭に浮かんだ(食べたことないけど)。確かに・・昔の皇帝は食いしん坊で、皆早く死んだという話を聞いたことがあったっけ。マダムも、「食いしん坊だったら・・大変よ。食べることは大きな喜びですもの」と一言。
滞在が終わりに近付いて、いかに自然の力がフランスでは大きいか、ということに気が付いた。反対に、いかに私は今まで不自然なことばかりしてきたか、ということにも・・。
食事にしても、おいしいものを食べることは自然の恵みを授かることであり、それを自分の力とし、体内に摂り込み、働き、バカンスを謳歌する。人生を楽しむことは自然に近付くことだと思う。自分を見せかけの姿に繕うことは不自然なことだ。
食べるという行為においても、新たな一面を与えてくれたフランスに感謝。私も食べることが大好きだから、日本に帰ったら辛くなるなぁ・・(まぁそれはそれで、おいしい和食が恋しいんだけど♪)。
-----
今、宅急便でワインをいくつか自宅に送ろうかとも企んでいて・・
ワインのない生活なんて辛い、と半分冗談で友達に言っていたら(半分冗談ですよ!)、「川島なおみみたいなこと言うねぇ」と言われてしまった。川島なおみって・・・
フランスに来たばかりの頃は、ワインのことはほぼ何も知らず、「ボルドーはいつもおいしい」と言ったフランス人の友達の言葉が頭に残り、大体いつもボルドーばかりを飲んでいたんだけれど・・ そのうち味を占めると、『ボルドーのワインはちょっと自分にはきついなぁ・・』ということに気付き、スーパーのワイン売り場の、違うコーナーへと足を運ぶようになった。
そして行き着いたのが、南フランスであるコート・デュ・ローヌ産のワイン。最近はパーティーに持っていくのもコート・デュ・ローヌばかり。部屋で飲むのもコート・デュ・ローヌばかり。
柔らかくて、かと言ってブルゴーニュ産のものの様にアルコール度が低くなくて、おいしい。聞いたら、フランス人の友達も、ほとんど「コート・デュ・ローヌが一番よ」と言っていた。外国人の友達、クラス・メイトも皆、「コート・デュ・ローヌが一番」と言う。大賛成!!
フランスのもので、好きな食べ物は何、と聞かれるとちょっと困る。
高級なフレンチ・レストランに行く機会なんてなかったし、寮のキッチン設備では料理も思うように出来ない。
しかし。好きな食べ物に当てはまるのかどうかは謎だけど、パン(バゲット)とチーズ、ワインがあればもう幸せ。単純です。
パンとチーズさえあれば幸せ・・と感じさせてくれる国って、フランスの他にないと思う。「世界的に定評のあるワイン産国は、フランスの他にない」、と、フランス人の友達がすべて口を揃えて言っていたように、フランスは食べ物王国。何でもおいしい。一つに、地理的に恵まれているのが挙げられるだろう。南へ行けば海もあり・・ お魚も取れる。中央フランスはおいしいチーズの産地として有名だ。
こうなったらコレステロールなんて気にしてらんないね(笑)。いやおととい、年配の方(お父さんのお友達)にディナーに招かれていて、そういう話になったのです(笑)。「食べてる時にこんな話もだめだけど・・」と言いながら。。
「フランスの食事は高カロリーなものばかりだよ。だから皆肝臓を駄目にする」、とそのムッシューは言っていて、私は思わずフォアグラが頭に浮かんだ(食べたことないけど)。確かに・・昔の皇帝は食いしん坊で、皆早く死んだという話を聞いたことがあったっけ。マダムも、「食いしん坊だったら・・大変よ。食べることは大きな喜びですもの」と一言。
滞在が終わりに近付いて、いかに自然の力がフランスでは大きいか、ということに気が付いた。反対に、いかに私は今まで不自然なことばかりしてきたか、ということにも・・。
食事にしても、おいしいものを食べることは自然の恵みを授かることであり、それを自分の力とし、体内に摂り込み、働き、バカンスを謳歌する。人生を楽しむことは自然に近付くことだと思う。自分を見せかけの姿に繕うことは不自然なことだ。
食べるという行為においても、新たな一面を与えてくれたフランスに感謝。私も食べることが大好きだから、日本に帰ったら辛くなるなぁ・・(まぁそれはそれで、おいしい和食が恋しいんだけど♪)。
-----
シャイな壁をぶち壊せ
2005.06.19 Sunday
外国語をやる上で、何が損かと言ったら、シャイであることが挙げられるだろう。
決して悪いこととは言わないけれど・・ もしその言語を習得したいんだったら、まずは勇気を持って話さなきゃ。
話すことから言語の体系付けは始まる。そして、聞くことによって体系付けられていく。『あぁ、こういう風に言うんだ、こういう言い回しがあるんだ』ってね。
だから、たくさんお喋りすると同時に、たくさん聞くことが大事だと思っている。
最も、聞くことに関しては、誰かまわりに、ネイティブ・スピーカーの友達がいなくても十分出来る。自分で、その言語の音楽を聞いたり、映画を観たり。外国語に触れようと思えば、いくらでも可能だ。例え、日本にいても。まぁ24時間すべて、まわりを包む言語がその外国語・・っていうのは、その言語が話されている国に行かない限り残念なことに不可能ですが、自分でも聞こうと思えば、いくらでもその環境を作り出すことは出来る。
現に、高校生の頃、洋楽(主に英語)や洋画・海外ドラマ(主に英語)を四六時中観たり、聞いたりすることしかしていなくて、お母さんにいつも呆れられてた。そのおかげでたくさんの表現に触れて、発音を聞いて勉強になったのは確かだけれど、今思えば、もうちょっと机に向かって、勉強に励む高校生をするべきだったかも。ちょっと反省。。
また、発音に関しても、たくさん聞くことから始まるだろう。
せっかく外国に来ても、母国語ばかりを喋っていたら、いつまで経ってもなかなか母国語の癖は抜けない。
たくさん聞いたら、後は実践するのみ。聞いたばかりの表現や、こないだ習った!って言い回しを使うチャンス。喋っていなくても、知ってる表現を誰かが使っていると、『あぁこういう風に、本当に使うんだな』って、いい確認になる。こうなると忘れることはない。いい様に、頭に入るから。
高校生の頃の自分を振り返ると・・今よりももっと無鉄砲で、それが若かったってことなんだろうけど(笑)、自分は何でも出来ると思ってた(うわ恥ずかしー)。だからアメリカにいた時も、「マリは全然シャイじゃないよね」といつも言われていたし、日本人としては例外的だと、驚かれること多々。
21歳になり・・フランスという国を始めとして、ヨーロッパという大きな一つの共同体を覗き、新しい文化・価値観・伝統を目にして、どんどん新たな視野が開拓されていった。世界はアメリカだけじゃないんだ、と悟ったのも、この頃。目が覚めました。
そんなこんなで、今は最低限の羞恥心があり、すっかりフランスという国に魅せられ・・ まったく恥ずかしいことがないかと言ったらそうではない。前よりはずっとシャイになったと思う。
だけど、人前でははっきり喋っていたいし、言いたいことは何でも伝えたいと思う。分かってもらいたいと思う。
私は最低限シャイだけど、昔の私よりもずっと恥ずかしがり屋になったけれど、それでもコミュニケーションはちゃんとする。
文法力や知識はあるのに・・話さないのはもったいないよ。それではいつまで経っても、その外国語がなめらかになることはないし、いつまでも「話すのが怖い・・」という言い訳は通用しない。
一つの言語を習得するのは、書く力・読む力・話す力・聞く力とすべてが一緒になって初めて機能する。
双方から刺激されて、初めて頭にインプットされ、伸びていく。
一つでも欠けると・・例えば話す力。十何年後にはぺらぺらになってるかもしれないけど、時間が掛かるのは間違いないだろう。
その理由が、その外国語を話すのが恥ずかしいということだったら・・ もったいないよ。残念なことでしかない。
外国語は外国語なのだ。結果として、ネイティブ・スピーカー並みに上手く話せるようになったとしても、過程は外国語であるということ、話し手である自分は、外国人であるということがベースになっている。
間違えても当然のこと。だって、外国語なんだから。母国語ではない。
このある種の「あきらめ」、または開き直りとでも言うのか・・を認めるのは、ある意味勇気が要ることで・・私だって、いくらフランス語が列記とした外国語であっても、出来る限りきれいに話したいし、よりたくさんのことを伝えたいと思う。日本語の訛りがあるよりはない方がいいに決まってる。だからそのための努力だったら何でもするのだけれど、それでも母国語の癖、訛りがあるのは、どうしても仕方のないこと。だって、私の母国語は日本語なんだから。私のフランス語に日本語の訛りがあるということは、私は日本語を知っているという事実に当たるのだから。
シャイだという皆さん・・。一緒にシャイな壁をぶち壊そうではありませんか。少しぐらい間違えたって、話している方が楽しいし、幸せだよ。
決して悪いこととは言わないけれど・・ もしその言語を習得したいんだったら、まずは勇気を持って話さなきゃ。
話すことから言語の体系付けは始まる。そして、聞くことによって体系付けられていく。『あぁ、こういう風に言うんだ、こういう言い回しがあるんだ』ってね。
だから、たくさんお喋りすると同時に、たくさん聞くことが大事だと思っている。
最も、聞くことに関しては、誰かまわりに、ネイティブ・スピーカーの友達がいなくても十分出来る。自分で、その言語の音楽を聞いたり、映画を観たり。外国語に触れようと思えば、いくらでも可能だ。例え、日本にいても。まぁ24時間すべて、まわりを包む言語がその外国語・・っていうのは、その言語が話されている国に行かない限り残念なことに不可能ですが、自分でも聞こうと思えば、いくらでもその環境を作り出すことは出来る。
現に、高校生の頃、洋楽(主に英語)や洋画・海外ドラマ(主に英語)を四六時中観たり、聞いたりすることしかしていなくて、お母さんにいつも呆れられてた。そのおかげでたくさんの表現に触れて、発音を聞いて勉強になったのは確かだけれど、今思えば、もうちょっと机に向かって、勉強に励む高校生をするべきだったかも。ちょっと反省。。
また、発音に関しても、たくさん聞くことから始まるだろう。
せっかく外国に来ても、母国語ばかりを喋っていたら、いつまで経ってもなかなか母国語の癖は抜けない。
たくさん聞いたら、後は実践するのみ。聞いたばかりの表現や、こないだ習った!って言い回しを使うチャンス。喋っていなくても、知ってる表現を誰かが使っていると、『あぁこういう風に、本当に使うんだな』って、いい確認になる。こうなると忘れることはない。いい様に、頭に入るから。
高校生の頃の自分を振り返ると・・今よりももっと無鉄砲で、それが若かったってことなんだろうけど(笑)、自分は何でも出来ると思ってた(うわ恥ずかしー)。だからアメリカにいた時も、「マリは全然シャイじゃないよね」といつも言われていたし、日本人としては例外的だと、驚かれること多々。
21歳になり・・フランスという国を始めとして、ヨーロッパという大きな一つの共同体を覗き、新しい文化・価値観・伝統を目にして、どんどん新たな視野が開拓されていった。世界はアメリカだけじゃないんだ、と悟ったのも、この頃。目が覚めました。
そんなこんなで、今は最低限の羞恥心があり、すっかりフランスという国に魅せられ・・ まったく恥ずかしいことがないかと言ったらそうではない。前よりはずっとシャイになったと思う。
だけど、人前でははっきり喋っていたいし、言いたいことは何でも伝えたいと思う。分かってもらいたいと思う。
私は最低限シャイだけど、昔の私よりもずっと恥ずかしがり屋になったけれど、それでもコミュニケーションはちゃんとする。
文法力や知識はあるのに・・話さないのはもったいないよ。それではいつまで経っても、その外国語がなめらかになることはないし、いつまでも「話すのが怖い・・」という言い訳は通用しない。
一つの言語を習得するのは、書く力・読む力・話す力・聞く力とすべてが一緒になって初めて機能する。
双方から刺激されて、初めて頭にインプットされ、伸びていく。
一つでも欠けると・・例えば話す力。十何年後にはぺらぺらになってるかもしれないけど、時間が掛かるのは間違いないだろう。
その理由が、その外国語を話すのが恥ずかしいということだったら・・ もったいないよ。残念なことでしかない。
外国語は外国語なのだ。結果として、ネイティブ・スピーカー並みに上手く話せるようになったとしても、過程は外国語であるということ、話し手である自分は、外国人であるということがベースになっている。
間違えても当然のこと。だって、外国語なんだから。母国語ではない。
このある種の「あきらめ」、または開き直りとでも言うのか・・を認めるのは、ある意味勇気が要ることで・・私だって、いくらフランス語が列記とした外国語であっても、出来る限りきれいに話したいし、よりたくさんのことを伝えたいと思う。日本語の訛りがあるよりはない方がいいに決まってる。だからそのための努力だったら何でもするのだけれど、それでも母国語の癖、訛りがあるのは、どうしても仕方のないこと。だって、私の母国語は日本語なんだから。私のフランス語に日本語の訛りがあるということは、私は日本語を知っているという事実に当たるのだから。
シャイだという皆さん・・。一緒にシャイな壁をぶち壊そうではありませんか。少しぐらい間違えたって、話している方が楽しいし、幸せだよ。
好きなコーナー
2005.06.19 Sunday
私の部屋の壁に作り付けになっている本棚。
日本に送る荷物を作らなければならなかったため、もう片付けてしまったんだけど、私はこのコーナーがすごく好きだった。
日曜日の市場で買った、古本の詩集や、友達に誕生日にもらったジャズのCD。
ガイドブックや、パリについての本。
DVDや、読みかけの本がたくさん。
特に詩集、フランス語での本が集まっていくと、全部読み終わってもいないのに、気分よかった(笑)。
古本市で少しずつ集めていくのは小さな喜びであったし、好きな詩人の本を見つけると、すぐに手に取ってしまう。そうやって購入したのはアポリネールの撰集「アルコール」。これはたった50サンチームだった。70円ぐらい?ヴェルレーヌの詩集を買ったのも、ムフタールの本屋さんだったけ。ボードレールの、「悪の華」も。これも本屋さんで買ったのに、ともに2ユーロ。
ちょっと時間がある時や、待ち合わせ先まで長くメトロに乗らなくてはならない時、これらの詩集が活躍。
特に、メトロで本を読むのは意外といい気持ち。
素敵な一節に出会うと、メトロに揺られながら詩を味わうのは、なんとも言えない贅沢感。そうしているうちに、待ち合わせの駅に着いてなおよろしい。
私は、フランス語を話すのも好きだけど、特にフランス語で読むことが好きだということに気付いた。
理解出来るものなら、何だって読みたい。読みたい欲求に駆られている。
日本に帰る飛行機は、途中香港乗換えのため計17時間掛かってしまう。何か一冊、本を携帯していかなくっちゃ・・。
洋書も日本で買うと高いので、読みたいものは、今のうちにすべて買い揃えておこうと思う。
-----
日本に送る荷物を作らなければならなかったため、もう片付けてしまったんだけど、私はこのコーナーがすごく好きだった。
日曜日の市場で買った、古本の詩集や、友達に誕生日にもらったジャズのCD。
ガイドブックや、パリについての本。
DVDや、読みかけの本がたくさん。
特に詩集、フランス語での本が集まっていくと、全部読み終わってもいないのに、気分よかった(笑)。
古本市で少しずつ集めていくのは小さな喜びであったし、好きな詩人の本を見つけると、すぐに手に取ってしまう。そうやって購入したのはアポリネールの撰集「アルコール」。これはたった50サンチームだった。70円ぐらい?ヴェルレーヌの詩集を買ったのも、ムフタールの本屋さんだったけ。ボードレールの、「悪の華」も。これも本屋さんで買ったのに、ともに2ユーロ。
ちょっと時間がある時や、待ち合わせ先まで長くメトロに乗らなくてはならない時、これらの詩集が活躍。
特に、メトロで本を読むのは意外といい気持ち。
素敵な一節に出会うと、メトロに揺られながら詩を味わうのは、なんとも言えない贅沢感。そうしているうちに、待ち合わせの駅に着いてなおよろしい。
私は、フランス語を話すのも好きだけど、特にフランス語で読むことが好きだということに気付いた。
理解出来るものなら、何だって読みたい。読みたい欲求に駆られている。
日本に帰る飛行機は、途中香港乗換えのため計17時間掛かってしまう。何か一冊、本を携帯していかなくっちゃ・・。
洋書も日本で買うと高いので、読みたいものは、今のうちにすべて買い揃えておこうと思う。
-----
映像のない劇
2005.06.18 Saturday
当たり前のことを言います、当たり前のことを書きますが、フランス人も人間なんだな〜って思う。
カフェに一人でいる際、フランス語が分からない振りをして、まわりの人の会話を盗み聞くという私の究極の一人遊びがありまして、そんな、いや、滅多にしないんですけど、勝手に耳に入ってくるって言い訳だって出来るんですけど、リスニングの練習なの、とも言えるんですけど、ふとした会話が耳に入ってきて、その内容が面白いものだったりすると、おかしくてしょうがない。
例えば、先日の出来事。カフェのテラスで、太陽をいっぱい浴びながらお昼ごはんを食べていると(もちろん日焼け止めは塗っています)、隣のテーブルに、おじさん二人がやって来た。ビールから始まって、ハンバーガー・セットみたいなお昼ごはん、締めはもちろんコーヒーで・・と、絵に描いたような食いしん坊っぷりが横目に見ていて気持ちよかったんだけど、している会話と言ったら、目の前の大通りを自転車に乗った女の人、例えば美人!って感じの人が通ると、
「おい見ろよ、いい女だ」とか(笑)。
そしてそのすぐ後ろを、今度はちょっとぽっちゃりした女の人が、同じく自転車に乗って通り過ぎて行くと・・・
「ほらまた見ろ、今度はあれだぜ」などなど。まったく何見て生活してんだか。正直過ぎる。。
私が座っていたテーブルの後ろでは、食後のお喋りに華を咲かせていたマダム何人衆が、お金払ったちゃんと置いた?の話になり、いざ幾らか足らないとなると、誰が払った払ってないの話し合いに。
「私は○○ユーロ置いたわよ、あなたは?お釣り、何ユーロ取った?」「あーら私だったわね、ごめんなさい」・・という会話が繰り広げられる。
その他にも、夕暮れ時に人込み、例えば横断歩道を渡っている時に、後ろから、雑踏の中一組のカップルの話し声などが聞こえてきて、
「○○から行った方が近いかな、それともあっちの道?」なんて話していると、これから誰かの家で"Aperitif(あぺりちふ・食前酒)"でも飲むのかなと想像したりして、微笑ましくてよい。
「そうそう、あの事件どうなった?」、「あのコ元気にしてる?」等、今日も人込みの中から聞こえてくる声はたくさんある。
これらの全てに言えるのは、皆、人間味溢れる会話だということ。
カフェのテラスで過ぎ行く人を品定めするおじさん達にしてもそうだし(まぁ品定めはされたくないものの)、やれ金額が足りないと話し出すおばさん達にしてもそうだし、皆、堂々と自分達の話したいことを喋っていて、会話に夢中で・・ 誰かに聞かれたって構わないわ、だって話したいんですものとでも言いそうなくらい、あちこちで会話が飛び交ってる。
私だけが静かに、一人で座っていると、突然取り残された様な気になるのだ。突然辺りから、切り取られた様な気分になる。この大声の波の中で、私だけが一人、ぽつん。何も、話していない。なのにあちこちから話し声は聞こえてきて・・ 映像のない、劇でも聞いている気分になるのだ。
始めは何て話しているかさっぱり理解出来ず、聞こえてくる音だけが頼りで、きれいな言語だな、これを操るフランス人ってすごいな、と思っていたのに、何を話しているか、一度その内容が聞こえてくると、フランス人の新しい一面が見えてくる。
陽気、おしゃべり好き。そして、人間味に溢れている。
フランス語って、音も響きもとっても可愛くって、きれいな言語だなと思うのだけど、最近は、それ以上に、とっても明るい言語だな、と思うようになった。伊達に、ラテン語のルーツを引いていないかも。伊達に、イタリアはお隣ではない。
うれしいニュースも、愚痴も、フランス人が話していると、その感情がすべて色濃く伝わってくる。言葉の波、抑揚と共に。
ただ意味を伝える、という機能だけではなく、言語の中に、人の感情が溢れているのって素敵だな。私も、ちゃんと、自分の感情伝えられているかな。うれしいことも悲しいことも、皆すべて、言い表したいよ。フランス語で。
カフェに一人でいる際、フランス語が分からない振りをして、まわりの人の会話を盗み聞くという私の究極の一人遊びがありまして、そんな、いや、滅多にしないんですけど、勝手に耳に入ってくるって言い訳だって出来るんですけど、リスニングの練習なの、とも言えるんですけど、ふとした会話が耳に入ってきて、その内容が面白いものだったりすると、おかしくてしょうがない。
例えば、先日の出来事。カフェのテラスで、太陽をいっぱい浴びながらお昼ごはんを食べていると(もちろん日焼け止めは塗っています)、隣のテーブルに、おじさん二人がやって来た。ビールから始まって、ハンバーガー・セットみたいなお昼ごはん、締めはもちろんコーヒーで・・と、絵に描いたような食いしん坊っぷりが横目に見ていて気持ちよかったんだけど、している会話と言ったら、目の前の大通りを自転車に乗った女の人、例えば美人!って感じの人が通ると、
「おい見ろよ、いい女だ」とか(笑)。
そしてそのすぐ後ろを、今度はちょっとぽっちゃりした女の人が、同じく自転車に乗って通り過ぎて行くと・・・
「ほらまた見ろ、今度はあれだぜ」などなど。まったく何見て生活してんだか。正直過ぎる。。
私が座っていたテーブルの後ろでは、食後のお喋りに華を咲かせていたマダム何人衆が、お金払ったちゃんと置いた?の話になり、いざ幾らか足らないとなると、誰が払った払ってないの話し合いに。
「私は○○ユーロ置いたわよ、あなたは?お釣り、何ユーロ取った?」「あーら私だったわね、ごめんなさい」・・という会話が繰り広げられる。
その他にも、夕暮れ時に人込み、例えば横断歩道を渡っている時に、後ろから、雑踏の中一組のカップルの話し声などが聞こえてきて、
「○○から行った方が近いかな、それともあっちの道?」なんて話していると、これから誰かの家で"Aperitif(あぺりちふ・食前酒)"でも飲むのかなと想像したりして、微笑ましくてよい。
「そうそう、あの事件どうなった?」、「あのコ元気にしてる?」等、今日も人込みの中から聞こえてくる声はたくさんある。
これらの全てに言えるのは、皆、人間味溢れる会話だということ。
カフェのテラスで過ぎ行く人を品定めするおじさん達にしてもそうだし(まぁ品定めはされたくないものの)、やれ金額が足りないと話し出すおばさん達にしてもそうだし、皆、堂々と自分達の話したいことを喋っていて、会話に夢中で・・ 誰かに聞かれたって構わないわ、だって話したいんですものとでも言いそうなくらい、あちこちで会話が飛び交ってる。
私だけが静かに、一人で座っていると、突然取り残された様な気になるのだ。突然辺りから、切り取られた様な気分になる。この大声の波の中で、私だけが一人、ぽつん。何も、話していない。なのにあちこちから話し声は聞こえてきて・・ 映像のない、劇でも聞いている気分になるのだ。
始めは何て話しているかさっぱり理解出来ず、聞こえてくる音だけが頼りで、きれいな言語だな、これを操るフランス人ってすごいな、と思っていたのに、何を話しているか、一度その内容が聞こえてくると、フランス人の新しい一面が見えてくる。
陽気、おしゃべり好き。そして、人間味に溢れている。
フランス語って、音も響きもとっても可愛くって、きれいな言語だなと思うのだけど、最近は、それ以上に、とっても明るい言語だな、と思うようになった。伊達に、ラテン語のルーツを引いていないかも。伊達に、イタリアはお隣ではない。
うれしいニュースも、愚痴も、フランス人が話していると、その感情がすべて色濃く伝わってくる。言葉の波、抑揚と共に。
ただ意味を伝える、という機能だけではなく、言語の中に、人の感情が溢れているのって素敵だな。私も、ちゃんと、自分の感情伝えられているかな。うれしいことも悲しいことも、皆すべて、言い表したいよ。フランス語で。
1/3PAGES >>