Previously, mari's paris life


"La France traverse une phase de vulgarite. Paris, centre et rayonnement de betise universelle" - C. Baudelaire :p
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苦しかった時のこと
最近、またまた珍しくバイトに励んでいます。気が付いたら(っておい)、週4日の割合で入っていた。ゆっくり宿題する暇もないくらい。でもそこは、なんとか時間を作らなくては。



あまり「忙しい、忙しい」とまるで心を失くしてしまったかの様に言いたくないのだが、どんなに忙しくても、昔、これよりもずっと苦しい経験をした、それを乗り越えたんだ、と思うと、どんなに忙しくても頑張れる気がする。



『自分はこんなに苦しかったんだよ〜』とも言いたくないけれど、きつかったこと、と言葉を変えれば、それはもちろん、留学中の学校でしょう。

恐ろしい数の活用、動詞の語尾変化を頭にたたき込み、週明け月曜日の小テストに記憶から答えをつまみ出してめいいっぱい記入したこと。週1の割合で文学作品を読み、全部で250語にもなる単語テストの範囲が発表されたと思ったら、テストに出るのはそのうちたったの10個。



春学期になる前の、秋学期の頃はもっとひどくて、フランス語のレベル的な問題もあるけれど、何よりもっと、個人的なことで先が見えない、片付かないってことに囚われてた。いつまでも、ずっと答えが出ないものの堂々巡り。あんなのはもう嫌だ。自分から傷つきたくない。



今までで一番辛かった経験を既に経験していれば、免疫が付くのか、前よりは少し、強くなれるような気がする。今、どんなに忙しくても、バイトするのは自分で選んだことだし、お金が必要だから仕方がない。あの時の経験に比べれば、ずっとましだから。耐えられる。
日々のつぶやき comments(3)
耳から牛乳
水曜日の3限目は、留学に行く前から履修していた上級フランス語会話の授業。

先生ととっても仲が良くって、留学中も手紙を書いてた。

私がフランスから無事、充実した日々を終えて帰国したことを喜んでくれて、私もそんな、陽気な先生が大好き。



ある日、何の話をしていたのか忘れたけれど、留学前の私と、留学後の私の話になった。

すると先生は、

「まりちゃん(私はいつもこう呼ばれている)は変わったよね。フランスに行く前はまだちょっと赤ちゃん・・子供、という感じで、耳からこうミルクが出そうな感じだったけど、今はいつもハッピーで、大人になった、しっかりした」と一言。



耳から牛乳!?



フランス語でどう言うのかちょっと忘れてしまったのですが(すいません、またフランス人の友達に聞いておきます、ていうか本当に、こういう表現ってあるのだろうか・・はて。)、

少なからず、自分でも老けたと言ってはナンだけれど、大人になったと思う。

前とは違う考え方をしているということ、前はこうは思わなかったのに・・ということが、今ではけっこうあるから。そして、それが自分の思想経路において、気が付くと当たり前になっていたということ。



フランスが私に与えてくれたことはたくさんある。

ここでその全てを述べることはしないが、その中に間違いなく、強さを与えてくれたと言えることだろう。

ただ寮にいるだけでも、周りのフランス人のコとは精神年齢が違うなということは感じていた。

仲良くなった女友達と話していると、それはもっと明解だった。

私にも、きっと、日本特有の女の子らしさや幼さなんてものが、あったんだと思う。その部分を、完全に消してしまいたいわけではないけれど、今の方がずっと、居心地がいい。今の自分が好きだ。



またまた変なタイトルを付けてしまったけど、少なくとも、私の耳からもう牛乳は、こぼれ出ていない様です。




ふらんす comments(6)
私だけのParis
最近パリ時代の仲間が一人、パリにいた際の写真をほとんどすべて、とあるホームページに載せ、皆にその旨をメールに書いて連絡してまわっていた。イベントごとや、街、と、カテゴリーに分けて載せている。



何でもいいのだけれど、特に街の風景が当たり前に美し過ぎて、目を奪われてしまう。思わず息を呑んだ。ちょっと前まで、暮らしていた街なのに・・。改めて、自分は本当に幸運だったなぁと感じる。目にする物すべてが、当たり前に美しい生活、そして、その何もかもから、少なからずの伝統と文化の厚みと、少しばかりのプライドを感じる生活。



寮へと曲がる角から振り返ると必ず見える、夜のエッフェル塔や、部屋の中から見える、人々の暮らし。ただ乗客だけを乗せ、どこまでも走るかの様に続いていく無機質で、可愛らしいメトロや、照りつけるけれど、どこか冷静さを忘れない初夏の陽射し。乗り換えるのが嫌で、11区にある友達の家までセーヌ川沿いをひたすら歩いた夜のこと。初めての待ち合わせの、サン・ミッシェルでの夜。AM3時のカフェ。そして、放課後のカフェ。すべて、昨日のことの様に思い出せるのに・・。



あの頃は本当に(と言ってもそう遠くはない頃のことなのだけれど)、毎日刺激に満ち溢れていた。金曜の午後から始まる週末は、どこかに絶対皆で出かけて行く。理由は何だっていい。文法なんて気にしなくていい。話したいことは何だって話していた。辺りにいるフランス人顔負けのなりきりっぷりで、皆、話す話す話す・・。



毎日いろいろな人に出会い、語り、時間が過ぎるのがあっという間だった日々よ。

これからの人生をもっと潤してくれるような経験を、パリは私にもたらしてくれた。そして、かけがえのない出会い達も。



パリ。その街は、きっと今日もたくさんの人々を惹きつけてやまない。現実だらけで、夢の様なあの街で、暮らしてみたいと日本を飛び出す人がたくさんいる。



私の中のフランスは、今、どこにいるのかな。それは記憶の中に留まるだけ?

私だけのフランスを、今また、ここ京都で模索している。頭の中は、いつもパリ。ここを、いつか、抜け出したいの。




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