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自由な風
2005.12.10 Saturday
「フランスのどこが好き?」と聞かれたら、「自由なところ」、と答えることにしている。
こんな広義な答えを投げかけてごめんなさいね。でも本当にそうなんです。
自由という言葉では、確かに意義そのものが広過ぎるのだけど、フランス、それも特にパリにいると、私もいっちょまえに自由な風というものを感じる。
上手く言い表せないのだけど、日本にいると、私を定義付けるものや縛るものがたくさんあるのだ。
それは学生であったり、日本人であったり。岡崎さんであったり。これが一番かも。
そしてこの様に肩書きが決められているということは、それに似合った行動をしなくてはならないということであって・・ 時々、非常に疲れる。期待されている様にいつも振舞えないよ。
反対にパリにいると、私はいつも私であった。私以外の何者でもなかった。
日本人であることを唯一、それも外国にいるから余計に色濃く意識するぐらいで、その他は何もなかった。留学生であることは特に強みを持たなかった。パリにいる人は誰でもパリ人だった。私も一時の、パリの子だったのだ。
言葉が出来ればなお自由だった。言いたいことや、聞きたいことを聞く権利はいつでもこちら側にあった。
同じ言葉を解していれば、コミュニティにだって入っていくことが出来るし、そこで求められているのは学生であるかどうかとか、そういった社会的な所属を示す肩書きではなくて、私という意思を持った人間であるかどうかであった。
誰一人、私がそう、学生として、ふさわしい行動をするかなんて期待してなかった様に思う。私は私であった。私らしく振舞えばよかったのだ。
メトロに乗っていて、よく、気が付くとアジア人は私だけということが何度もあった。
それでも周りの人はお構いなし。私も何ひとつ気に留めることなく乗っていた。それだけだった。
初めて出会う人にも、自己紹介が終わったら、後は私がどう思うか、これは非常にフランス的だと思うのだけど、意見を求められるだけで、私が何人であるかとかその様な類いの質問は、後から来るものであったと思う。
一人の人間として見られるということは、逆に言えばそれだけかかってくる責任も大きいということである。
学生であるということや外国人であるということは、それ程の意味、抗力を持たない。
この様な、一見クールに見えるヨーロッパにおける市民という感覚が、私は非常に楽で好きだった。自由だった。
あの、自由な空気が懐かしい。自由な雰囲気、そしてそれを取り巻く環境、風・・。
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こんな広義な答えを投げかけてごめんなさいね。でも本当にそうなんです。
自由という言葉では、確かに意義そのものが広過ぎるのだけど、フランス、それも特にパリにいると、私もいっちょまえに自由な風というものを感じる。
上手く言い表せないのだけど、日本にいると、私を定義付けるものや縛るものがたくさんあるのだ。
それは学生であったり、日本人であったり。岡崎さんであったり。これが一番かも。
そしてこの様に肩書きが決められているということは、それに似合った行動をしなくてはならないということであって・・ 時々、非常に疲れる。期待されている様にいつも振舞えないよ。
反対にパリにいると、私はいつも私であった。私以外の何者でもなかった。
日本人であることを唯一、それも外国にいるから余計に色濃く意識するぐらいで、その他は何もなかった。留学生であることは特に強みを持たなかった。パリにいる人は誰でもパリ人だった。私も一時の、パリの子だったのだ。
言葉が出来ればなお自由だった。言いたいことや、聞きたいことを聞く権利はいつでもこちら側にあった。
同じ言葉を解していれば、コミュニティにだって入っていくことが出来るし、そこで求められているのは学生であるかどうかとか、そういった社会的な所属を示す肩書きではなくて、私という意思を持った人間であるかどうかであった。
誰一人、私がそう、学生として、ふさわしい行動をするかなんて期待してなかった様に思う。私は私であった。私らしく振舞えばよかったのだ。
メトロに乗っていて、よく、気が付くとアジア人は私だけということが何度もあった。
それでも周りの人はお構いなし。私も何ひとつ気に留めることなく乗っていた。それだけだった。
初めて出会う人にも、自己紹介が終わったら、後は私がどう思うか、これは非常にフランス的だと思うのだけど、意見を求められるだけで、私が何人であるかとかその様な類いの質問は、後から来るものであったと思う。
一人の人間として見られるということは、逆に言えばそれだけかかってくる責任も大きいということである。
学生であるということや外国人であるということは、それ程の意味、抗力を持たない。
この様な、一見クールに見えるヨーロッパにおける市民という感覚が、私は非常に楽で好きだった。自由だった。
あの、自由な空気が懐かしい。自由な雰囲気、そしてそれを取り巻く環境、風・・。
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ブリュネル先生
2005.12.08 Thursday
大学の図書館に入ってすぐ、左へ曲がり閲覧室へと上がる途中に、新書のコーナーがあって、いくつか原書のコーナーがある。
そこにある、フランス語のコーナーがお気に入り。閲覧室へ上がる前に、必ず足を止める場所。
たぶんあまり目を留める人はもちろん、手にとって読んでみる人はそうそういないと思うけど、『フランスで買って帰りたかったのに(例のごとく)お金がなくて・・』と泣く泣くあきらめた本、それも最新のものまで置いてあるので、『なかなかやるじゃ〜ん』と思って見ている。そして助かる。ありがたい。
ちょっとした授業の空き時間や、バイトのない放課後に、何か一冊手に取って、のんびり読むのが小さな幸せ。
ボツになった話をまとめた"Petit Nicolas(小学生の男の子、ニコラをモデルにした子供向けの本なのだけど、子供の視点で話が書かれていて、とっても面白いしほのぼのしてしまう。読みやすいしおすすめです)"も以前読んだし、最近はやっぱり、私は詩が好きなので、詩の解説書を手に取ることが多い。ランボーやボードレール、そしてアポリネール・・。詩じゃないけれど、カトリーヌ・ドヌーヴ(フランスの大女優)のバイオグラフィー本まであった(笑)!
ランボーの解説書をパラパラめくっていると、見覚えのある名前が目に留まった。
Pierre BRUNEL。
ピエール・ブリュネル。
私と同じ時期に、ソルボンヌのフランス文明講座(ただの語学学校なのに、ものすごい名前である。さすが19世紀に、フランス語を学ぶ外国人のためにパリでいち早く設立された学校なだけある、と思わされてしまう)、に通っていた人は、この名前に聞き覚えがあると思う。
なぜならこのムッシューは、私達が通っていた文明講座を、当時、そしておそらく今でも取り仕切るディレクターであって、ソルボンヌ大学で、文学の教鞭を取っているからだ。
幸か不幸か分からないけれど、私はこの先生による、詩の講義、大教室で行われるこんふぇろんす(conference)に出席していた。ブリュネル先生はやはり多忙なのか、一週間置きにやって来る。ブリュネル先生ではない週は、前にも書いたと思うけど、ブリュネル先生とはうって変わって穏やかな、若い男の先生だった。一節、一説にとっても心、そして詩に対する愛情を込めて読む人。感動したものです。
そう、このブリュネル先生。
なぜこんなにも覚えているかというと、あれはとある、3月の水曜日(この授業は毎週水曜日にあった)。
もともと登録している生徒が少ない講義だけれど、私は一人で静かに座って、耳に入ってくるフランス語と、睡魔に対抗しながら大人しく講義を聞いていた。広い教室なのに、生徒も散らばって座っている。
しばらくすると、後ろの方にある入り口から、3人ぐらいの生徒が遅れてやって来た。
前にも書いたけど、フランスでは遅れて来てからの入室はどちらかといって禁止で、授業中トイレに立つのも禁止である。
従って、この様な生徒が遅れて、しかも堂々と入ってくると、年配であるブリュネル先生はかんしゃくを起こした。と言うか、解説をやめて怒り出してしまった。
「遅れて来ているのに堂々と、それも喋りながら入ってくるとはなんたる無礼ですか!私は話をしているのですよ!」と、その時のフランス語は、突然怒りだしたブリュネル先生にあっけに取られて、もう忘れてしまったけど、たぶん、こんなことを叫んだと思う。
大人しく聞いていた生徒はびっくり顔。
一体何が起こったんだ、と辺りが呆然としていると、先生は続けて叫んだ。
「もう結構です、そんなに無礼な生徒がいるのならば、私は出て行きます!」。
おそらく、かなりプライドの高い人である。年齢も上であるし、悪びれずに堂々と入ってきた生徒の態度が許せなかったのであろう。私の文法のクラスの担任の先生(ちえり♪)は、自分でも「途中でトイレに行く生徒はまだ大目に見るけど、途中で退出する生徒は私の授業では一度も出したことはない(イコール私の授業はそれぐらい面白いのだ、なので心して聞けよ、ということ)」と言っていたから、まだ理解があった方で・・。
しかしこのブリュネル先生は怒りを顕わにした!
『授業、どうなるんだろう・・』と誰もが思っていると、先生は教室を出て、それからしばらく戻ってこなかった。おそらくはこのこんふぇろんすが行われる校舎の責任者の所へ、文句を言いに行ったに違いない。
この間、30分。
残された生徒は、先生がいつ戻ってくるのかも分からずに、ただただ座って先生の帰りを待っていた。遅れて入ってきた生徒の姿はとっくに見えない。
私もしばらくは座って待っていたのだけれど、そのうち「あほらし・・」と思うようになり、ジャケットを着て帰ろうと思ったら、その時後ろの方に座っていた今の彼氏が話しかけてきて、この後この授業を取っていた私、彼、ギリシャ人の女の子(この子は彼のことが好きだった!)、そして同じクラスだったアルバニア人の男の子の4人でカフェに行き、愚痴り、つまりこの事件がきっかけで仲良くなったのでした・・・。
なのでブリュネル先生に感謝っちゃ感謝だけどね・・・・。
説明が長くなりましたが、この事件以来、先生は懐を悪くしたのか、文法のクラスの校舎には、先生の名前入りでとあるポスターが貼られた。ディレクターであるゆえに、ソルボンヌ全体に注意が行き通ったのか、担任の先生もある日の朝、この話を持ち出す。「ディレクターは相当怒ってらっしゃる。以後この様なことがないように・・」etc。
そして文学専門の大先生であるがゆえに、ある日私は、同じ様に図書館で、ランボーの解説本をぺらぺらとめくっていたら、ブリュネル先生の名前が目に入った。先生が発表した、学説だった。
先生私は、個人的に仲良くしていた訳でもないし話したことだってないけど、むしろ先生の、甲高い声と、古い眼鏡と薄い頭しか覚えていないけど、あの時怒って教室を出て行く様なことがあってごめんなさいと思った。
遅刻してきた生徒は私ではない。そんなこと分かってる。でも、きっと彼のプライドは傷つけられたのだ。ソルボンヌの文学者である。きっとフランス中、もしかしたら世界中の文学関係者の中で、彼の名前を知らない者はいないくらいの。
そんな先生だったから、憤慨するのは当然のことであったのだ。
あの時、一生懸命聞いてもよく理解出来なかった先生の講義を、今はまた、ここ日本で、自分のペースで読み、理解出来るよう、先生の書いた文章だけは最後まで読もうと思った。
文語を用いた堅い文献から、先生の甲高い声と、独りよがりな授業が伝わってくるようであった。あの時理解したくても、自分のフランス語力のせいで理解出来なかった授業。やっぱり悔しいから。
新書のコーナーに置いてあるだけでも、私がその後調べただけでも先生が書いた文章は全部で3つあった。3冊の本に入っていた。いずれも、ランボーの研究書。
先生、ランボーが好きなんだね。ランボーの専門家だったのね・・。
私も好きです、ランボー。自由な所が好きです。
あの時を思い出して、今日もページをめくる。
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そこにある、フランス語のコーナーがお気に入り。閲覧室へ上がる前に、必ず足を止める場所。
たぶんあまり目を留める人はもちろん、手にとって読んでみる人はそうそういないと思うけど、『フランスで買って帰りたかったのに(例のごとく)お金がなくて・・』と泣く泣くあきらめた本、それも最新のものまで置いてあるので、『なかなかやるじゃ〜ん』と思って見ている。そして助かる。ありがたい。
ちょっとした授業の空き時間や、バイトのない放課後に、何か一冊手に取って、のんびり読むのが小さな幸せ。
ボツになった話をまとめた"Petit Nicolas(小学生の男の子、ニコラをモデルにした子供向けの本なのだけど、子供の視点で話が書かれていて、とっても面白いしほのぼのしてしまう。読みやすいしおすすめです)"も以前読んだし、最近はやっぱり、私は詩が好きなので、詩の解説書を手に取ることが多い。ランボーやボードレール、そしてアポリネール・・。詩じゃないけれど、カトリーヌ・ドヌーヴ(フランスの大女優)のバイオグラフィー本まであった(笑)!
ランボーの解説書をパラパラめくっていると、見覚えのある名前が目に留まった。
Pierre BRUNEL。
ピエール・ブリュネル。
私と同じ時期に、ソルボンヌのフランス文明講座(ただの語学学校なのに、ものすごい名前である。さすが19世紀に、フランス語を学ぶ外国人のためにパリでいち早く設立された学校なだけある、と思わされてしまう)、に通っていた人は、この名前に聞き覚えがあると思う。
なぜならこのムッシューは、私達が通っていた文明講座を、当時、そしておそらく今でも取り仕切るディレクターであって、ソルボンヌ大学で、文学の教鞭を取っているからだ。
幸か不幸か分からないけれど、私はこの先生による、詩の講義、大教室で行われるこんふぇろんす(conference)に出席していた。ブリュネル先生はやはり多忙なのか、一週間置きにやって来る。ブリュネル先生ではない週は、前にも書いたと思うけど、ブリュネル先生とはうって変わって穏やかな、若い男の先生だった。一節、一説にとっても心、そして詩に対する愛情を込めて読む人。感動したものです。
そう、このブリュネル先生。
なぜこんなにも覚えているかというと、あれはとある、3月の水曜日(この授業は毎週水曜日にあった)。
もともと登録している生徒が少ない講義だけれど、私は一人で静かに座って、耳に入ってくるフランス語と、睡魔に対抗しながら大人しく講義を聞いていた。広い教室なのに、生徒も散らばって座っている。
しばらくすると、後ろの方にある入り口から、3人ぐらいの生徒が遅れてやって来た。
前にも書いたけど、フランスでは遅れて来てからの入室はどちらかといって禁止で、授業中トイレに立つのも禁止である。
従って、この様な生徒が遅れて、しかも堂々と入ってくると、年配であるブリュネル先生はかんしゃくを起こした。と言うか、解説をやめて怒り出してしまった。
「遅れて来ているのに堂々と、それも喋りながら入ってくるとはなんたる無礼ですか!私は話をしているのですよ!」と、その時のフランス語は、突然怒りだしたブリュネル先生にあっけに取られて、もう忘れてしまったけど、たぶん、こんなことを叫んだと思う。
大人しく聞いていた生徒はびっくり顔。
一体何が起こったんだ、と辺りが呆然としていると、先生は続けて叫んだ。
「もう結構です、そんなに無礼な生徒がいるのならば、私は出て行きます!」。
おそらく、かなりプライドの高い人である。年齢も上であるし、悪びれずに堂々と入ってきた生徒の態度が許せなかったのであろう。私の文法のクラスの担任の先生(ちえり♪)は、自分でも「途中でトイレに行く生徒はまだ大目に見るけど、途中で退出する生徒は私の授業では一度も出したことはない(イコール私の授業はそれぐらい面白いのだ、なので心して聞けよ、ということ)」と言っていたから、まだ理解があった方で・・。
しかしこのブリュネル先生は怒りを顕わにした!
『授業、どうなるんだろう・・』と誰もが思っていると、先生は教室を出て、それからしばらく戻ってこなかった。おそらくはこのこんふぇろんすが行われる校舎の責任者の所へ、文句を言いに行ったに違いない。
この間、30分。
残された生徒は、先生がいつ戻ってくるのかも分からずに、ただただ座って先生の帰りを待っていた。遅れて入ってきた生徒の姿はとっくに見えない。
私もしばらくは座って待っていたのだけれど、そのうち「あほらし・・」と思うようになり、ジャケットを着て帰ろうと思ったら、その時後ろの方に座っていた今の彼氏が話しかけてきて、この後この授業を取っていた私、彼、ギリシャ人の女の子(この子は彼のことが好きだった!)、そして同じクラスだったアルバニア人の男の子の4人でカフェに行き、愚痴り、つまりこの事件がきっかけで仲良くなったのでした・・・。
なのでブリュネル先生に感謝っちゃ感謝だけどね・・・・。
説明が長くなりましたが、この事件以来、先生は懐を悪くしたのか、文法のクラスの校舎には、先生の名前入りでとあるポスターが貼られた。ディレクターであるゆえに、ソルボンヌ全体に注意が行き通ったのか、担任の先生もある日の朝、この話を持ち出す。「ディレクターは相当怒ってらっしゃる。以後この様なことがないように・・」etc。
そして文学専門の大先生であるがゆえに、ある日私は、同じ様に図書館で、ランボーの解説本をぺらぺらとめくっていたら、ブリュネル先生の名前が目に入った。先生が発表した、学説だった。
先生私は、個人的に仲良くしていた訳でもないし話したことだってないけど、むしろ先生の、甲高い声と、古い眼鏡と薄い頭しか覚えていないけど、あの時怒って教室を出て行く様なことがあってごめんなさいと思った。
遅刻してきた生徒は私ではない。そんなこと分かってる。でも、きっと彼のプライドは傷つけられたのだ。ソルボンヌの文学者である。きっとフランス中、もしかしたら世界中の文学関係者の中で、彼の名前を知らない者はいないくらいの。
そんな先生だったから、憤慨するのは当然のことであったのだ。
あの時、一生懸命聞いてもよく理解出来なかった先生の講義を、今はまた、ここ日本で、自分のペースで読み、理解出来るよう、先生の書いた文章だけは最後まで読もうと思った。
文語を用いた堅い文献から、先生の甲高い声と、独りよがりな授業が伝わってくるようであった。あの時理解したくても、自分のフランス語力のせいで理解出来なかった授業。やっぱり悔しいから。
新書のコーナーに置いてあるだけでも、私がその後調べただけでも先生が書いた文章は全部で3つあった。3冊の本に入っていた。いずれも、ランボーの研究書。
先生、ランボーが好きなんだね。ランボーの専門家だったのね・・。
私も好きです、ランボー。自由な所が好きです。
あの時を思い出して、今日もページをめくる。
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