Previously, mari's paris life


"La France traverse une phase de vulgarite. Paris, centre et rayonnement de betise universelle" - C. Baudelaire :p
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22歳になりました
3月30日、22歳になりました。ということはこの日から一年↓











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 《この日》





さて。長い春休みが終わりを迎えようとしてます。私にしては、かなり充実した時間を過ごすことができました。中でも出不精な私にしては珍しく、そしてとても幸運、有難いことに、たくさんの友達から日々お誘いの電話をいただき、ランチやカフェへとけっこう出かける機会に恵まれました。嬉しかったです。助かりました。どうもありがとう。家でのんびりするのもいいけど、外へ出て人と会うのもいいですね。



気になる(?)今年の誕生日をどう過ごすかと言うと・・・・





逃げます。東京へ逃げます(だってだって・・・)。





あちらでは妹が、私の好きなワインとおみやげに頼んだアメリのサントラをくれる予定・・・。



楽しみです(妹よ、ありがとう。こんな風に押しかける私を許して)。





一年後、23歳になっている私が、どんなプランを抱えどんな人生を送っているのか、今のところ想像がつかない日々ですが、いずれにせよ、私は私の人生を生きようと思う。その途中、誰か愛する人と、その人生が重なればいいと思う。そんなのって素敵だ。

だからどんなことがあれど、私は私の選択をしようと思う。私の人生を選ぼうと思う。
日々のつぶやき comments(3)
ここから始まった
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2005年4月26日。真夜中のサン・ミッシェル、AM3時のカフェ。街はまだ動いていた。ギャルソンは不機嫌だった。
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たまに恋しくなるもの




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パリにある、唯一のモスクで食べる、メルゲスが添えられたクスクス。淡いけれどぴりっと辛い、ミントティー。そう言えばパリで最後に食べたのはこのクスクスであった。あの日は嵐で、シャルル・ド・ゴールが閉まる程であった。急いでモスクから出た我々は、なんとか雨をしのぐためどこかの屋根を探した。道路を、横に打つ程の雨だった。次の日は旅立ちだった。









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友達が仮住まいしていた、5区のアパルトマン。音楽一家の所有するものだった。言わば、彼らの書斎であった。

この日は本当に暑い暑い一日であった。汗をたくさんかくのと寮の洗濯機が使用中で、着る服が少なくなっていた。白いTシャツに、白い木綿のゆったりとした七分丈パンツを履いて出かけた。手にはなぜかクレープ機。サン・ミッシェルに住む友達に返しに行くためだった。しかしその前に、こちらのアパートのテラスでアペリティフのお約束。午前中に掃除を終えたアナレナと、大学登録を済ませたいフィリップと、3人だった。3人なら狭いテラスにも身が収まる。近くのアラブ屋で白ビールを買った。夏の暑い日にフランスで飲む、フランスにしかない白ビールは最高なのだ。儚い金色とも思える白い泡が、喉を潤してくれる。

「またパリに住みたいね」、と皆で笑った。真下に見えるアパルトの、日よけと外壁のクリーム色とのコンビネーションが、まるでロサンゼルスの海岸にある、コンドミニアムみたいな色の取り合わせだな、と思った。一人そのことが可笑しかった。





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最後は寮の、洗面台。このフォルムが絶妙に可愛く、顔を洗うのはご機嫌だった。そう、どんなに眠くても。疲れて遅くに帰ってきても。

基本的にフランスには、天井に作りつけになっている照明は存在しない。日本人とフランス人とでは、光の定義さえ異なる。だから彼らは間接照明を好む。よって私の部屋も、いつも卵色に快適に保たれていた。この優しい光の中にいると、私は安全だった。いつも、あたたかい白い膜が包んでくれているような気さえしたのだ。





これらのものが、たまに私を恋しくさせる。
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私がフランス語が好きな理由
なんだか最近、自分の意識としてすっかりフランス語学科に所属している気分で過ごしている。

英語のことを思うよりも、フランス語のことを日々考える割合が大きい。

今日なんか、今学期の成績を父から送ってもらって見た瞬間、自分がどちらの学科に属しているのか、やっと認識し、少し驚いたぐらいだ。『そうだ、英米だよね・・』って。



フランス語も副専攻として専攻と同じくらい、私の場合、もしくは専攻語以上に勉強できる環境にいて、まぁ感謝している。

同じ英米語の友達からは、「なぜフランス語学科に入学しなかったの」まで言われるが、これって「出てけよ・・」って意味!?

そんな〜・・ 置いてくださいーー。



先程の質問と、同じぐらいの頻度で聞かれる、また別の質問がある。それは、「どうしてそんなにフランス語が好きなの?」というもの。

まぁね、いいじゃないですか・・・。好きなものは好きなんだもの。と軽く交わして答えていたものの、改めて考えてみると、それはとても不思議で、自然なことなのであった。いい機会なので、ここでついでに考えてみようと思う。



まず始めに、フランス語でしか言い表せない独特の表現があるということ。そしてこれらの表現が、自分が普段日本語で考えている思考にちょうどよく、日本語で物を言う時と同じくらいの一体感で言い表すことができるからだ。私の母国語は日本語である。日本語で物を考えているままの思考意識(と言っていいだろうか)で、外国語で物を言い表せるのは幸せなことだ。

例えば、フランス語には英語にあまり存在しない、「やっぱり」や「面倒くさい」などの表現がある。

どちらもフランス語独特の表現で、英語には見当たらない。先日初めて、信頼するアメリカ人教授の口から「でも・・ やっぱりね」という、フランス語をまさにそのまま英語に置き換えた表現で喋っているのを耳にして、驚いた程だ。



「面倒くさい」については、日本語でもあまりいい言葉ではないのだがそれはフランス語でも同じで、あまり口外してよい単語ではない。

つまり、フランス語のスラングを用いることになるので、一般的なテキストには載っていないだろうしおすすめしていいものでもないと思うけれど(だからここでは書かないっ)・・ 使ってしまうのだから仕方ないね。



それからフランス語には、「〜したい」と同時に、「ちょっと〜したいなぁ・・」という、軽い願望を言い表す言葉が存在していて、これは英語だと"I want to〜"としか言えず、ちょっとこれではきついという気がしてくるのだ。これも、英語がどれ程はっきりした言語なのか分かる瞬間である。

"Je veux"と"J'ai envie de"の違い、私は使い分けたい。



それからフランス語には、英語にはない敬語的な表現があって、日本語が母語であり日本社会、一般的には縦社会、目上の人を思いやるという文化の中育った者には話しやすさを覚える。

君、という主語と、あなたという目上の人に使う主語とが存在していて、これは割りと日本語を話す者にとって使い分けは容易いであろう。反対に私の彼はこの使い分けが難しかったらしく、今でこそ間違えることはないらしいのだがフランス大使館での研修中、どちらを、また、誰に使えばいいのかかなり混乱したらしいから、これは文化の違いなんだなと思ったものである。スウェーデン語にも、昔、フランス語の"vous"に当たる、目上の人に対して使う主語が存在していたらしいが、80年代の若者運動の一環で、年齢だけによる謙譲的な話し方はやめようという運動が起こり、この言葉を使うことが消えてしまったらしい。これもまた面白い話である。



従って先生や年上の方、そしてなおかつ自然と尊敬できる人には"vous"を使うことに私は楽だ。私だって縦社会が好きなわけではないし、そういうものを重んじる性格ではないけれど、自然と心から、尊敬するなと思う人には気軽なものではなく、自発的に敬意を込めた話し方をしたいだけだ。



それから、英語でいう"I miss you"、日本語訳すとなんか変な感じなのだが「会いたい、恋しいわ」ぐらいが妥当なのだろうか、これもまた、フランス語では"Tu me manques"、これは英語とはまったく逆の思考回路を伴っているのだ。

どういうことかというと、直訳すると「あなたは私を恋しくさせる」と言っているんですね。まだ勉強期間の乏しかった頃、英語と同じだろうと浅はかな考えで"Je te manque"と、つまり英語の"I miss you"のまま置き換えて喋っていたところ、友達に言い直された。「フランス語では"Tu me manques"、つまり考え方としては"Je manque a toi"と考えるんだ」、そうである。前置詞の"a"が入っているということは、「あなた」が私に欠けているとでも言うのか・・ うーん、何って言ったらいいんだろう、「あなたが欠けているから恋しい」という考え方をフランス語ではしていて、これではまるで、「だからあなたが私を恋しくさせるのよ!」と叫ぶ、往年のフランス女優(誰か)辺りが目に浮かんでしまう、のは私だけだろう・・。



「あなたが恋しい・・」と英語の様に直接言い表すのではなく、「あなたが恋しくさせるの・・」と言うフランス語では、どちらがセクシーだろう。これも好きな理由の一つである。直接的ではなく、間接的、"vous"があったりして謙ることもできれば距離を置いて付き合うこともでき、なんてフランス語はさりげないのだ。



フランス語のことばかり書き立ててしまったけれど、日本語にしかない表現だっていっぱいあるよね。

「お疲れさま」、とか、「お世話になりました、おかげ様で」などなど。

前者は言われて気持ちのいい、いい言葉だと思うのでこれが外国語では言えないとちょっと辛い。ちょっとだけね。

しかし誰かさん曰く、アラビア語にはこの語に相当するものが存在するらしく、同じことを言っていた。

それもまた、文化の違いであり、言葉を文化までを実に自然と、反映している証拠であろう。面白いね。




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Europe 2
最近フランス語学科の女の子達と仲良くさせてもらっていて、けっこう頻繁に何か一品持ち寄っては、誰かの家で食事したりと・・

まるでフランスにいた頃の延長線上で楽しくしている。



本当に、こういう集まりって心が温かくなる。

寮で生活していたから、何時に一階にあるサロン(日本でいうロビーです)に降りても、何時に帰宅しても、サロンにはインターネット回線が寮で唯一繋いであるから、いつでも誰か、女の子がいて、たまに夜警のお兄さんやおじさんがテレビを見ていたりして、いつも誰かがいたのだ。

そんな生活の後の一人暮らしはけっこうきつい。今はもう慣れたけれど、食事だって寮にいた頃は地下にある食堂で、友達と一緒に取っていたのだ。一列に並び、シェフがのんびりと配膳してくれるのをただ待ちながら、仲良しの顔に出逢ったりして。



とにかく、そんなそわれ、夕べを過ごすフランス語学科の女の子達は、教養豊か!話していてとっても楽しい。

フランス語専攻なので、自然とヨーロッパのことに興味があって・・、他国のこともよく知っている、とても敵わない。

何よりとってもフランス的!

ファッションでも仕草でも、考え方でも話し方でも・・ フランスを体現しているような女の子達で、本当に本当に素敵なのです!

これからも仲良くさせてください!!



そんな素敵な女の子達のひとりに、インターネットでフランスのラジオを聞く、ということを思い出させてもらった。

以前、フランスにいた頃と同じ番組を聞こうと思って、番組のサイトを探し、トライしたことがあったのだけど、なぜか上手くいかなかったのです。

その日彼女の家で、見事なイタリアンをご馳走になっていて、彼女の部屋にはフランスのラジオが流れていた。

Europe2。

主に音楽やDJの陽気なお喋りが中心の番組。彼女は「頭を使わなくてもいい番組・・」と命名していた。その通り(笑)!



早速家に帰ってから、私もこの番組サイトを探し、今度は上手くいった!日本にいながらフランスのラジオが聞けるなんて、なんて怠けた頭をリフレッシュしてくれるんでしょう、なんでもないDJのお喋りでも、このパリ訛り、いい加減な早口はとっても懐かしい!



何より、寮のあの、狭い狭い部屋にいた、いろんなシチュエーションでの自分を思い出す。

朝食を取って、学校に行くまで身支度している間に聞いたラジオ。

一人で勉強している時に、少量のボリュームで流しておいたラジオ。

ベッドに座って、ワインを飲みながら外の景色を見て、感傷にひたっている自分。

夜、眠る寸前までラジオを付けっ放しにしていて、途中電波の入りが悪くなっているにも関わらず聞き続けた自分。

貧しい寮は突然停電することが多くって、コンセントの電力からパワーをもらっていたラジオは、突然ぷつっと切れたっけ。その度に時計の時刻を、再度入力しなければいけなかった。デジタル式の時計が付いていたので、大変便利だったのだ。

ボリュームや、周波数を変えるスイッチの感触まではっきり覚えている。あれはそう、寮を出てアパートへと移り住む友達に、お古としてもらったんだった。今、誰が使っているんだろう。



私がその頃聞いていた番組は、音声学の先生お薦め、フランス語学習者の外国人にも分かりやすい、ヨーロッパの主要ニュースを押さえた教養番組、Europe1でも聞けばよかったのに、部屋に音楽、それも洋楽がないのは耐えられなかったので、アメリカの音楽ありフランスの音楽ももちろんあり、若者向けの(つまりいい加減な)Voltage、ヴォルタージュを聞いていたっけ。好きな人や、街で見かけるあの人への告白しちゃうコーナーまであった。これにはこちら側が赤面したものです。



他にも音楽中心の番組は、ヴォルタージュ(ボルテージのことである)の他に、Energie、エネルジーことエネルギーと、なぜこうにもかくにも電力、電圧を表すような力強いネーミングが多いのだろうと、常々不思議に思っていた。この謎は、未だに解けることがない。



そして今回、Europe2を聞いている。数字違いのEurope1はニュース中心だが、2の方はヴォルタージュと変わらない、陽気過ぎるDJが延々とハイテンションで喋り続け、ヒット・ソングを流してくれる番組である。



正直言ってこんなシェンヌ、番組ばかり聞いていてはリスニング力が付かないし向上しないのだが・・

そのうち、この調子で他の番組もインターネットから聞けるよう、ちょこちょこやってみようと思う。





それにしてもフランスのラジオは、法律で決まっているのか最新中の最新、という曲はなかなかかからない。今回Europe2を聞いて一番驚いたのは、私が留学中にもかかっていた、今はお馴染みになってしまった曲まで変わらずかかっている、という点である。

新曲をラジオで放送すると、ネットから違法ダウンロードする人ができるから、という話も聞いたけれど・・。

ちなみにフランス、自国の音楽、つまりフランス語の曲をラジオで流すこと、60%以上と法律で決められています。お隣ドイツは50%らしいので、どれだけフランスが、フランス語の保持に努めているか分かるでしょう。
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Belle Ville、美しい街か
おひさしぶりです!

更新する・・と言っていたものの、ついに3月になってしまいました。ゴメンナサイ。



二度目のパリ行きが決まりました。お約束のように、スウェーデンにも行ってきます。

これには個人的な旅行と、ある種賭けのような意味が込められています(勝手に)。

4月13日からスウェーデンへと行くわけですが(パリにはスウェーデンから行く)、帰国して月日が経った今、パリは以前と同じように、私に優しく微笑みかけてくれるのか心配です。



さて。

パリに行くと決まったはいいものの、今回はもう、あの寮に住んでいるわけでもないし、一緒に行く人も住んでいたアパートを手放してしまったので、泊まる所がありませんでした。

安いホテルでもよかったのですが、ホテルだと、どうしても外食になるので、出費を抑えたい私達には課題だったのです。



そこで探したのが、短期滞在者用のアパート!

大体一週間から借りられるようになっていて、安い地区やオフ・シーズンを選べば、ホテル一泊当たりの料金よりも、安く泊まることができます!

それにキッチンもあれば、食事だって作ることができるし、朝近くのパン屋さんでパンを調達して来れば、朝ごはんだって部屋の中で取ることができる!何回かはきっと、外で食べる&飲む・・ことになるとしても、ちょっとだけ、節約できるわけです。



しかし、これがなかなか決まらなかった。

大体私(セーヌを挟んで左岸好き、わりときれいな地区が好き)、そして彼(今度は右岸、大衆的な街に住んでみたい)、である。短期型のアパートに泊まることはお互い納得していたものの、まず、どの地区に住むか、料金はどれぐらいまでが限度か・・など、言い出すとお互い止まらない。。そして、以前、彼の家族がスウェーデンから迎えに来た際泊まっていた、私の住んでいた寮のほんと近くにある、お母さんのお友達であるフランス人女性のアパートに泊まれたら・・と、お願いしてみたのだけど、あいにく私達が入りたい時期は既に他の方から予約があり、入れなかったのです。



とりあえず、一週間300ユーロぐらいまでが限度だよね、ということになり、その当たりを絞って探すことに。

すると、いくつかのアパートが候補に浮かび上がってきました。



まず一つ目は、これまた住んでいた寮のすぐお隣、下にもある15区のヴォジラー。

私は15区大好き!しかし彼は「15区なんて・・ il y a rien la(なんにもないじゃない)」、というスタンスなので、私は説得に奮闘することに。



「いいじゃない、15区!スーパーもいっぱいあって(重要)、住みやすいし、住むためには最高の地区なんだから!」と、私は声を張り上げる。「(彼が住んでいた5区、パンテオンの裏辺りなんて)何もないじゃない!メトロだって遠いし、不便だし、3回も乗り換えないと会いに行けなかったんだよ?」と、昔のことまで引っ張り出す始末。。



この私の押しに折れてくれた(のか)彼が、このヴォジラーのアパートの空室状況を知ろうとメールで問い合わせると、不幸なことに、このアパートも既に予約済みだった。



『やっぱり15区は人気なのね、だって15区ですもの・・』と、肩を落とす私(ごめんなさい、半分大げさです)。



次の候補は予算である300ユーロを切る、バスチーユ近くのロドリュ・ロランという駅の辺り!

なんだか「ら行」が多くて言いづらいのだが・・・(笑)。私が一回だけ行ったバレエ教室は、この地区にありました。同じこの地区にある移民局で、レントゲンまで取って滞在許可証を申請済み、よく知っています。



彼は「バスチーユなんて・・何があるの?サルサ・バーしかないじゃない」と、相変わらず悪態をつく奴。

「まぁまぁいいじゃない、値段も切ってるし(重要)、それに中心部に近いからさ、きっと便利だよ、(メトロの)1番線ですぐだよ」と言う私。



ちなみに私達が見ていた専用サイトでは、部屋の内装も見られるようになっている。

ロドリュ・ロランのこの部屋は、部屋こそ小さいものの、一週間しか滞在しない私達には何の問題もありません。



早速予約するも、またしてもここも、予約済みとのお知らせが・・。



残念。管理人のお兄さんは(会ったこともないのだが文面から若い人だと想像)、12区ナシオンの近くにある、また別のアパートを紹介してくれました。しかしここは一週間330ユーロ。ユーロ沸騰中の私、日本人にはきつい。。

このアパートも中の様子が見れたのですが、とっても可愛いのだけどちょっと予算オーバーなので・・ 丁重にお断りする。



始めのヴォジラー(愛する15区)から、どんどん彷徨い12区までやって来たのに・・ なかなかアパートは決まらない。決まるのかな、入れるのかな、と不安になっていると、彼から一通のメールが届いた。見ると10区、ベル・ヴィユ、300ユーロ、と、また別の新しいアパートだ。どうやらここは空いているらしい。



10区には、友達が住んでいたし無料でクスクスが食べられるバーがあるので、ちょこちょこ遊びに行っていた地区。

しかし一歩通りを間違うと、危ない・・というか、移民の多い地区でもあります(うぅ〜私の興味をそそる、移民!)。



問題のアパートは、10区と言ってもお隣19、20区寄りで、ほぼベル・ヴィユ、フランス語で「美しい街」という名を持つ辺りです。



しかし。しかし。

パリをよく知っている人なら分かると思うけど、この名前に騙されてはけない!

メトロ2番線に乗るとこのベル・ヴィユ駅を通過する、しかも路上駅なので、メトロから見下ろす街の姿と言ったら・・

一言で言うならひしめきあっている。そこに定番である古く美しいパリのイメージはほとんどなく、むしろ、北アフリカからの移民が働く姿や所々に見えるアラビア文字、アラブ地域へとかける長距離電話店(タキシー・フォンと言う、普通の公衆電話からかけるよりもうんとお得なので、地方や旧植民地より働きに来ている人々は、この電話を使って祖国にいる家族に電話をするのだ。相手先、モロッコやレバノン・・などによって、定額が決まっている所もある。でもさすがに日本への電話はそんなに安くないかもしれないなぁ)・・が軒を連ねていて、ここはそう、新しいパリを作る一部なのだ。



正直に言おう。始めは抵抗がありました。しかし次第に、私の考えは変わっていったのです。

今度は一週間しかいられない、15区にはもう住んだ、じゃあ今度は、まったく知らない新しい地区に住んでみようじゃないか、まだよく知らないパリの生活を垣間見てみようじゃないか・・



それに一緒に旅する彼はアラブ人(笑)。

私も一人でふらふらすることはないと思うので、まぁ大丈夫でしょう。少なくとも入るアパートの管理はしっかりしている(当たり前だ)。



さぁてベル・ヴィユ、降り立つのは初めての街(遊びに通ったぐらいならあるんだけどね)。

4月どうなるかしら。美しい街だといいな。



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おまけの写真は7区、去年の4月下旬のある日、ボン・マルシェ(デパート)横の公園で散歩していた時のものです。いや何も別に、こ〜んな閑静なアパートに住みたいわけじゃないけどさ、もちろん。とてもパリらしく、きれいだったもので。)
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