Previously, mari's paris life


"La France traverse une phase de vulgarite. Paris, centre et rayonnement de betise universelle" - C. Baudelaire :p
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まだ未定なのですが。
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アクセス解析と思い出話
私・・このブログに、どうやって訪ねて来てくださったかリンク元を検索できる機能があること、つい先日知りました汗



うぅ、もっと早く気付いていれば・・まぁここで悔やんでもしょうがないので、いくつか目に付いた、おもしろいものを挙げてみます。





まずは「あくそんてぎゅ」一名。

フランス語の、右から書き左に落ちるアクセント記号のことですね(´←コレです)。

ひらがなでかわいかったので堂々のエントリー鐘





続いて「大人になりたくない症候群」と検索して辿り着かれた方、一名。

詳しい情報がなくてごめんなさいでした(笑)。パリにいた頃、「私は大人になりたくない症候群の逆だ」と書いた記憶があります。あの頃付き合っていた人が、この大人になりたくない症候群を患ってましたっけダッシュ別名、「ピーターパン・シンドローム」。恐ろしいとです。





次は「クロエ パリコレ 2001」が一名。

いや〜、私クロエのショーと言えば、インビテーションがなかったので招待客が入り切るまで寒い中外で待ち、やっと入れてもらえるかと思って皆でダッシュしたら、見事にガードマンの厚い胸板に跳ね返され吹っ飛んだ思い出しかありません落ち込みやはしクロエは人気でした。

この時見た芸能人、ミラ・ジョボヴィッチ(一緒に写真を撮ってもらったドキドキ小)、ルー・ドワイヨン、野口強、SHIHO、日本の有名女性スタイリスト数名、ジェシカ・スタムetc。

また今年、パリコレに連れ入ってもらおうかと計画中、ピーターお願いキラキラ



ピーター↓

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私は恐ろしく太っております。頬がパンパンですな。

そんなピーターのブログには、モデル・フリークの本領を発揮してモデルちゃんがいっぱいです。ベッカム選手とも撮ったらしい・・。一体いつの間に。是非見てやって下さい音符





検索キーワードの話に戻って・・続いて「ヤング産業 パリ」というのもあった。何だそれ!?

こっちが教えて頂きたいです。



「フランス 留学」とか、「フランス パリ生活」というのはよくありますが(ありがとうございます!)、その中でも最近「フランス アンジェ 語学」というのがあった。

ごめんなさい、私アンジェは行ったことがありませんすいません



一番多かったのは、「ヤマトパリ支店」パンダ←パンダだし。

皆さん、帰国時の荷物にお困りなのかしら・・。人事とは思えないっす。



また何かおもしろいのがあったら紹介しまっす。


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生活する目線で見るヨーロッパ
最近よく、と言っても今に始まったことじゃないけど、買い物をしてふらふらいろんなお店を見てまわっていると、よく北欧とか、とにかくヨーロッパのグッズを売っているのを見かける。



それで、思わずふと立ち止まる。

なぜかって?

だってそれが、郵便局のシールだったり便箋、ペン、そういう、至って普通の生活用品だったりするからだ。



そういうものに、とても高価な値段が付けられている。

買う人はいるんだろうか?

これはバイヤーの、個人的な趣味と満足なのではないのか?



書店に行くと、大抵「北欧雑貨」の本が積み重なってるコーナーや、パリの街案内本、「フランスの可愛い雑貨」の本なんかが置いてあるけど、

私、フランスにいた頃、雑貨が可愛いなんて思った記憶がない

だから逆に、こんな本に載ってるような可愛い雑貨がどこで売っているのか、手に入るのか教えて欲しい(先日パリに旅行に行くから、可愛い雑貨のお店を教えてとクラスメートの女の子に言われ、何も言えなくて申し訳なかった・・)。



ヨーロッパ人の友達もよく驚いているけど、日本では何のことない、ヨーロッパ諸国のちょっとしたものが売れるようだ。

デザインが格好いい、おしゃれ。

私もそういうグッズを見て、別にそう思わないわけじゃないけど、それでも高額な値段を付けて売っているのを見ると、どうしても閉口してしまう。『違うだろうー・・』と思ってしまう。



私自身、意識の低さか何なのか、パリに住んでいた頃全然おしゃれな生活なんかしてなかった。別に普通だった。

そりゃ街並みは美しい。でも、スノッブになんか絶対なりたくないというのがまわりの友達との暗黙のルールだった。いかに普通の、パリ市民の生活目線に近付けるか、その方が興味深かった。



もうちょっと浮き足立ってもいいとは思ってる。こんなに冷めていて、こんな反感買いそうな文章を書いて・・

昔からしょっちゅう海外と日本を行ったり来たりして、京都にいても頻繁に実家に帰るなど移動の多い生活をしてる私は、適応力が高いと自負している。初めて行った場所でも、2、3日で慣れてしまう。新しい環境の中で、快適と思えるリズムを見つけ出すことが得意。こんなせいあってか、ヨーロッパでは日本でどんなにクールと思われているものでも、特に意識することなく見つめてしまう。



話は変わるけど、映画「アメリ」に登場する台詞の中で、ひとつだけずっと頭について忘れられない一節がある。それは、

「アメリは生まれて初めて、この日世界との調和が取れたと感じていた」。



なぜこのフレーズが好きかって、私も日々そう感じられる瞬間を大事にし、幸せとかみ締めているから。

言葉に出来ない不安や日々のもやもやに飲み込まれてしまって、自分の立っている場所を見失いかけてしまう時。そんな時、自分は少なくとも世界との調和が取れていると感じることが出来ると、自分は安心してこの地球上に立っているんだと再確認する。幸福が舞い降りてくる瞬間。





どこへ行っても私は当分の間、クールでクリエイターが虜になるような雑貨を見ても冷めた目線でいそうだなぁ・・。どうしても、彼らと同じように興奮して、または毎月雑誌で取り上げられるようなテンションにはなれない・・。抵抗がある、興味が持てないのである。ファッションにしても何か定まったポリシーが中心にあって、少し気を抜いて取り掛かっている人の方が惹かれる。おしゃれな人でも、私が思うおしゃれな人はちょっと気だるくて、さりげなくそれらしい雰囲気を漂わせている人だ。北欧のデザインでもフランスの可愛い雑貨でも、そういうものは現地の人にとって極当たり前の生活用品であって、この際私が強く惹かれるのは、これらの生活用品が生まれ育った土壌、そう、伝統の方だからだ。



そもそも、私の場合、デザイン留学ではないというのがメイン・ファクターかもしれない。

けれど、現地のヨーロッパ人と同じ、生活をする目線で物事を見ていたいんだ。その中で、自分の意見を持っていたいと思う。

書店に行く度、執拗なまでにいつも同じ文句で北欧やフランス雑貨の素晴らしさを謳っているカバーを見ると、なんだか疑問視せずにはいられなくて。



(あまりにも上手く伝えられなかったので、加筆訂正しました)




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ルイ・ヴィトンへの考察
まず始めに(First of all / Pour commencer)・・。す・・っかり更新が滞っていてごめんなさい汗



今日は卒論のための資料収集とカコ付けて、大学の図書館に行ってきました!実はひとりオールした後だったりします・・へへ(でも全然眠くないから不思議)。



たまたま目に入った、新潮社出版の「旅」という雑誌。

けっこう好きで、ちょこちょこ読んでいる。

今月の特集そのものはイタリアが舞台だったんだけど(お隣ですね〜)、中に、ルイ・ヴィトンの新作を紹介するページがあった。



ルイ・ヴィトン。

正確にはルイ・ヴュイットンと言う、今ではフランスを代表する老舗ブランド。日本に来ている外資系ブランドの中では断トツTOPの売り上げだそうです。



元々旅行用鞄の用途で製造が開始。だから丈夫なわけです。

私が始めて買ってもらったヴュイットンのバッグは(フランス式で呼ぼうじゃないか・・)、大学に入学する際、記念に買ってもらったものだったりします。今では、形が少し時代遅れかなといった感じで、実家で眠っています。

もう一つ持っているのは、初めてパリに行った時、オープン間もないシャンゼリゼの本店で買ったパピヨンという名前のバッグ(今ではこんなとこ、絶対に行かない。でもその当時は欲しかった・・)。日本と比べて安くてびっくりした(と言っても一般的に考えるとやっぱり高い、当たり前です、でもヴュイットンだったら、という話)。

この時、今と比べてつたな過ぎるフランス語で話をし、接客してもらったけど、隣で物色していたラオス出身のお嬢様(10代の頃からパリに住んでいるらしい)に「あなたフランス語上手ね!」と話しかけれたのを覚えてる。接客してくれた店員さんも、こっちがフランス語だからか優しかったなぁ・・。



思春期の頃から、と言ったらいいのか、我が家では「○○試験に受かったらご褒美に△△を」という風に、何か記念にプレゼントしてもらえたことが数回だけある。

私が両親譲りでずっと好きな、そしてこれからも敬愛し続けるであろうブランドのティファニー。

高校生の頃、当時にはしては高い級の英検に受かった際、ハートのプレートが付いた銀のブレスレットを買ってもらった。今でももちろん、宝物。

それから先に述べた、ヴュイットンのバッグ。

高価なものを大事な機会に買い与えてもらったことで、貴重にすること、高級品に対する目の様なものが養われたような気がする。最も私は絵が好きなので、どの都市へ行っても美術館だけは欠かさず見て回る。こういう風に、本物に触れ、本物の価値を愛でる姿勢、目を大事にしたいと思う。



「旅」という名の雑誌に出ていたのは、ヴュイットン秋の新作らしい。

ちょっとだけレオパード柄やハラコがあしらわれていると、なんだか笑ってしまう。いえ決して、馬鹿にしているわけではなくて。



ヴュイットンは元々、長距離旅行に耐えられるよう、頑丈に作られた旅行鞄から始まったメゾンだ。

日本の女の子達にもてはやされ、流行のアイコンとなり個人のステータスとしてしか扱わない一瞬の姿を見ていると、なんだか頭を傾げたくなる。

パリでは実際に、70歳くらいのおばぁちゃんがボロボロになったヴュイットンの手提げを持って、バスに乗り込んでくるのを見たことがある。

マルシェで、ジャガイモをどっさり買い込み家へと持ち運ぶ人だって目にしたことがある。

これが、ヴュイットンの正規の使われ方だろう。



前々から感じていることだけど、ある物の伝統が、その伝統の生まれた国では一環した用法でクールに扱われていることに対し、皮肉なことかまた別の国では、本来の意味とはまったくかけ離れた用途で使用されていることがある。経済的な力を表す、小道具となって。

ヴュイットンの場合も、このケースにあてはまると言ってもいいだろう。

私の夢は、いつかボロボロになったヴュイットンのバッグを、堂々として持ち歩くことだ。



また、とある生粋のパリジャン、お金持ちの話では、

「ブティックの前に並んでいる人を見ると笑っちゃうね。本当のヴュイットンとは、家にまで全商品運び、見せてくれる買い方さ」と言ったそうだから、これは可笑しいことに、日本のかつての呉服屋の姿が思い浮かぶ。だってそうだろう、昔は家に、持ってる着物全部かついで売りに来たって言うじゃない。



遠い日本で一人歩きしてしまった、ヴュイットン。

我々日本人が、物そのものの価値を見る目をいつの間にか差し替えられ、目はくらむばかりになってしまったのは一体いつのことからなんだろう。






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