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2017.07.14 Friday
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昨日見た夢とパリ17区
2007.04.25 Wednesday
スの付く国の、スの付く街で、例の彼と歩いていて、『なぁ〜んだやっぱり、こんなに仲良しじゃん』とか思いながら歩いていたら、そのうちひょんなことでケンカになって、私は怒って一人で歩き出してしまった。
ぐんぐんぐんぐん歩いていたら、そのうちなぜかウの付く大学都市にやって来て、ワンブロック越えたら今度はパリの17区にいた。
何の思い出もない、17区に。・・なぜ!?
目が覚めたら、相変わらずの自分の怒りっぽさと、つまらないことにすぐ傷つくところが変わってないことに、ただ嫌気が差した。
今度からは、もうこんなことですぐにケンカするのはやめようと心に固く誓った。あの時は、ごめんね・・?
ぐんぐんぐんぐん歩いていたら、そのうちなぜかウの付く大学都市にやって来て、ワンブロック越えたら今度はパリの17区にいた。
何の思い出もない、17区に。・・なぜ!?
目が覚めたら、相変わらずの自分の怒りっぽさと、つまらないことにすぐ傷つくところが変わってないことに、ただ嫌気が差した。
今度からは、もうこんなことですぐにケンカするのはやめようと心に固く誓った。あの時は、ごめんね・・?
大統領は誰だ!
2007.04.20 Friday
(左から・・この目がイヤだよ・・挑戦的なサルコジ。セネガル生まれ、夫は社会党第一書記のオランドよ、昔ヌード写真だってパパラッチされたわ、なロワイヤルさん。いやぁ、一時期支持率上昇しちゃってさ、なバイル氏。おじいちゃんになってもまだまだ頑張ります、往年のルペン)
いよいよ今週日曜日、フランスでは大統領選挙が行われる。私はその日、歓迎会なんだけど、楽しみぃじゃなくて、この選挙によって、外国人である私達にも今後フランスがどういう政治形態を取るのか、大いに関わってくるであろう。場合によっては、というか概ねの予想では、外国人には住みにくい社会になりそうである。若者がこぞって「サルコ!」と短く呼ぶのは共和国連合出身のニコラ・サルコジ。この人になったら一番嫌だけど、ヒラリーより先に、女性初の大統領誕生なるか!?と騒がれているセゴレーヌ・ロワイヤル女史だって、「働かない成年男子は軍隊に入れてしまえ」と言ってのける人物だから、外国人にも容赦ないだろう・・というか、あまりその体勢は変わらないであろう。女性だからと言って、何も大きく取り立たされる程政治が変わるとは思えない。ましてや、それよりも注意しなくてはならないのは、アメリカ然り、ただ女性だからという風潮が、少なからずあるということだ。次は中道派のバイル氏。それから、かのルペン。この人・・私はどうしても腑に落ちないのだよ。どうしてこんな人当たりの良さそうなおじいちゃんが、極右翼なんでしょ?外国人排斥、と声高々に叫ぶんでしょ?なぜか名前はジャン・マリーだよ。
フランスで一位を争う程問題になっているのは、外国人・移民対策及び、若者の高い失業率だ。最近の世論調査では、実に24歳未満の20%が職に就けていないらしい。まったく・・ひどいことだ。しかし、普通大学生ならば24歳ではまだ学生のはずなので、この数字は職業学校出身者や、高校卒業のみの者に該当するのではなかろうか。失業率対策においては、各人のマニフェストを読むに不本意ながらもサルコジ氏が的を得ているような気がした。去年、フランス2(日本でいうNHKのような放送局)の夜のニュース番組にて、あの男性アナウンサーに招かれて番組インタビューに平然と差別的な言葉を並べて答える様を見た時は、この人はほんとうに正気なのかと疑問を抱かずにいられなかったが、どうやら彼はさらさら正気のようである。フランスにはもともと、裕福層は伝統的に右派を支持する傾向があって、シラクさん以前のミッテラン政権然り、何期に一回は右派政権を繰り替える傾向にある。従って、今回も例に漏れない、かもしれない(嫌だ)。それに、今日フランス全土に暮らす居住外国人、移民のケアを怠ったツケが、この大統領選を大きく動かしている。人々の間には、すっかり「移民=危険」というまことに単純な図式が出来上がってしまったから、ここを排除すれば平和が戻ってくると有権者に信じ込ませればあとは簡単だ。このところを、サルコジ、ルペンの両氏は狙っている。ところで、余談だが先日父が一言。「サルジコじゃないんかねぇ」とかなり驚いていた。ほんとに猿かい!その方が言い易いらしいが、驚いたのはこっちだっつーの。でもまぁ、私も人のこと言えない・・。なぜかって、どうしてかいつも、「ミッテンラン」と「ン」を挟んで言ってしまうんだもの・・・・あぁ不覚。フランス語では、ちゃんと言えるんだけどなぁ・・日本語だと、なぜだかそっちの方が語呂が良くないかい?母もなんだか言っていた(もう忘れたけど)。まぁ、うちの両親の反応を見るだけで、フランスの今期大統領選が、いかに一般の日本人に大した意味を持たないのか分かる・・。しかしこの選挙は、非常に重大な局面にあると思うのだよ。若者の雇用対策然りで、前年度のフランス全土に渡ったCPE反対デモは、若者のあの怒りとエネルギーは、脈々とこの選挙にもつながっているのだ。政治は自分達の関心事、年齢・性別だって関係ない、生活を左右する、生活がかかっているのだ。私は政治に関心があるフランス国民が好きだ。あ〜、フランスの政治は面白い。まずは22日だ。
PARIS BY NIGHT
2007.04.13 Friday
どこへ行っても、カッフェーといふものは。
2007.04.05 Thursday
今、週末だけカフェで働いている。と言っても、週末じゃないことの方が多くなってきた。二号店ができるまでの間の、当分の間は週に2、3回程だけ働いている。それ以外は暇なので、家で本を読んだり、しなくてはいけないことに時間を費やしている。この他に、別のバイトを掛け持ちしようかと思うのだけど、なんせ誰も、いつ二号店ができるかはっきり心得ていないので、身動きが取れない。フリーで英語とフランス語の家庭教師を始めようと思って、かのSNSに広告を出したのだけど、人口16万のこんな小さな町では需要がある様子もなく・・参っている。困ったなぁと思っていたら、父の友人で県職の方が、今度市でフランス語やフランス文化にまつわる講習会を開きますので、どうか講師をしていただけませんかと申し出を頂いた。大変うれしい。光栄だ。簡単な、初級のフランス語文法と会話、その他フランス料理やワイン、シャンソンなんかについても講義して欲しいと言われた。文法はまだしも、フランス料理やワイン、ましてやシャンソンなど、私は自分が好きな範囲でしか知らないので、私こそ勉強が必要だろう。
卒業式の日、DALFの合格ディプロムを受け取りに関西日仏学館へ行ってきた。両親と、袴のままで行ってきた。鴨川のすぐ傍にある、ボンボン・カフェで昼食を取った。タクシーを乗り継いで日仏学館へ行くと、カウンターにはフランス語講師の女性と受付の日本人女性が何やら話していた。ボンジュール、ディプロムを頂きに来たのですが。そう告げると、すぐに大きな証書を渡される。館内をぶらりと見学し、掲示板で何かおもしろそうな求人はないかと目をやり、父に至っては秋にDALFを受験した者で合格者一覧が掲示されていたので、私の名前が書かれた部分を写真に収めている・・。父よ・・証書があるから、今もらったから(汗)。
関西日仏学館は、さすがにフランス政府後援なだけあって、古く歴史のある建物だ。白く高いファサードが素敵。いつも惚れ惚れしてしまう。
館内も、概観とは打って変わってポップな色調で飾ってある。有名な絵もいくつかある。人もすべて感じ良い。やっぱり左京区は素敵だなと思う。パリでいう、左岸のようだ。それも、カルチエ・ラタンのような学生街で。すぐお隣はかの京大であるし、やっぱり京都に住むからには今度は左京区、東山近辺に住みたいと思う。
よし、今度機会があればこそ・・。毎回、学館へ用事がある際は心底そう思う。母なんて、京大に通っていた伯父の下宿へ遊びへ来て、それも教育実習期間をサボってまで遊びへ来て、あの頃はまだ、路面電車が走っていた、百万遍に。なんて平気で言うものだから心底笑ってしまった。今ではすっかり、今出川通りには路面電車が走っていた形跡など残っていない。少し広い通りだから、想像できなくはないのだけれど。
路面電車が通っていたなんて、まるで広島のようだなと思ってしまう。伯父が吉田山のふもとに下宿していた頃、つまりは昔の京都に今ではいやと言う程遊びに来て、路面電車が走っていた頃の京都を知っている母がうらやましい。
学館へディプロムをもらいに来たのはひとつの理由であって、もうひとつは京大前にある、進々堂という古くからあるパン屋兼カフェを見るためであった。母は言っていたのだ。兄の授業が終わるのを、あそこにある古い、大きな黒い机の上にうっぷして、待っていたと。京都に点在するカフェ・マップなどの類の本を見るとすぐに載っている。写真にも、その、大きな黒い机は写っていた。
私はなんでだか、どうしてだかこの机を見てみたくて、もっと言うと、なぜだか触ってみたくて、そっと撫でてみたくて、数々の京大生やまるで梶井基次郎が座ったかのように、時代というものを感じてみたくて、もっと言えば、左京区が放つ知性のようなものをそのテーブルから分けてもらいたくて、なぜだか強く惹かれていた。しかし、残念なことに、進々堂はこの日休みであった。しようがないので外から中を覗く。袴姿でじっと覗き込むと、あるある、大きな机たち。むしろ、定休日でよかったかもしれない。普段通り営業していたら、こんな風にはじっと覗き込めなかっただろう。
それで、まだ4年目だそうだけど、地元のカフェでバイトしている。カフェというものは、思うのだ。フランス、京都、どこへ行ってもその機能は変わらないと。グラスや繊細でアーティスティックに彩られたケーキを内心必死になって崩しまいと運んでいるところに、お客さんのいろいろな話が耳に飛び込んでくる。
「男はね、バカだから浮気なんてしても分かんないのよ、だから浮気なんてしちゃっても全然いいのよ(いや、あかんだろと私)」、それに対し、「えっそうなの」と心底驚く男性。「本気で好きなんだからさー、伝わるといいのにねぇ」と深夜まで角のソファに座り込んで話す数人の女性達。私、今日は体調が悪いからとビールでなく赤ワインにしようかしらと話す年配の女性。待ち合わせしていた男性は、セットの飲み物をクランベリージュースにした。「何のケーキがおすすめですか?」そうですねぇ、どのケーキもよく出ますけど、豆腐のタルトなんてよく出ますよ、と私。「ほうじ茶フルーツって、紅茶ですか?」・・ほうじ茶と書いてあろーが。と思うけど、カフェ担当の女の子にすかさず助けを求めると、彼女はすらすらっと、「マスカット(と何やらもうひとつ、何かフルーツが)入ったほうじ茶です」と答えてくれた。
フランスにいても、いやもちろん、フランスでギャルソンならぬ店員と化したことはないから立場は違うけれど、客として天気のいい日にテラスなどに陣取っていると、実にいろいろな話が聞こえてきたものだ。こちらが耳を塞ぎたいと思う程、皆よく話す話す。一杯400円強のブレンド・コーヒーだって、話したいという欲求に比べれば安いもの、という気がしてくる。男の子二人で来店してくれたお客さんだって、バニラ・ラテやココナッツ・ラテなどを注文し、2時間近く話し込んでいたりするのだ。
どこへ行っても、カフェというものは・・。人間観察にはこの上ない場所のようである。実際には、そんな暇到底ないのが現状なのだけれど。
卒業式の日、DALFの合格ディプロムを受け取りに関西日仏学館へ行ってきた。両親と、袴のままで行ってきた。鴨川のすぐ傍にある、ボンボン・カフェで昼食を取った。タクシーを乗り継いで日仏学館へ行くと、カウンターにはフランス語講師の女性と受付の日本人女性が何やら話していた。ボンジュール、ディプロムを頂きに来たのですが。そう告げると、すぐに大きな証書を渡される。館内をぶらりと見学し、掲示板で何かおもしろそうな求人はないかと目をやり、父に至っては秋にDALFを受験した者で合格者一覧が掲示されていたので、私の名前が書かれた部分を写真に収めている・・。父よ・・証書があるから、今もらったから(汗)。
関西日仏学館は、さすがにフランス政府後援なだけあって、古く歴史のある建物だ。白く高いファサードが素敵。いつも惚れ惚れしてしまう。
館内も、概観とは打って変わってポップな色調で飾ってある。有名な絵もいくつかある。人もすべて感じ良い。やっぱり左京区は素敵だなと思う。パリでいう、左岸のようだ。それも、カルチエ・ラタンのような学生街で。すぐお隣はかの京大であるし、やっぱり京都に住むからには今度は左京区、東山近辺に住みたいと思う。
よし、今度機会があればこそ・・。毎回、学館へ用事がある際は心底そう思う。母なんて、京大に通っていた伯父の下宿へ遊びへ来て、それも教育実習期間をサボってまで遊びへ来て、あの頃はまだ、路面電車が走っていた、百万遍に。なんて平気で言うものだから心底笑ってしまった。今ではすっかり、今出川通りには路面電車が走っていた形跡など残っていない。少し広い通りだから、想像できなくはないのだけれど。
路面電車が通っていたなんて、まるで広島のようだなと思ってしまう。伯父が吉田山のふもとに下宿していた頃、つまりは昔の京都に今ではいやと言う程遊びに来て、路面電車が走っていた頃の京都を知っている母がうらやましい。
学館へディプロムをもらいに来たのはひとつの理由であって、もうひとつは京大前にある、進々堂という古くからあるパン屋兼カフェを見るためであった。母は言っていたのだ。兄の授業が終わるのを、あそこにある古い、大きな黒い机の上にうっぷして、待っていたと。京都に点在するカフェ・マップなどの類の本を見るとすぐに載っている。写真にも、その、大きな黒い机は写っていた。
私はなんでだか、どうしてだかこの机を見てみたくて、もっと言うと、なぜだか触ってみたくて、そっと撫でてみたくて、数々の京大生やまるで梶井基次郎が座ったかのように、時代というものを感じてみたくて、もっと言えば、左京区が放つ知性のようなものをそのテーブルから分けてもらいたくて、なぜだか強く惹かれていた。しかし、残念なことに、進々堂はこの日休みであった。しようがないので外から中を覗く。袴姿でじっと覗き込むと、あるある、大きな机たち。むしろ、定休日でよかったかもしれない。普段通り営業していたら、こんな風にはじっと覗き込めなかっただろう。
それで、まだ4年目だそうだけど、地元のカフェでバイトしている。カフェというものは、思うのだ。フランス、京都、どこへ行ってもその機能は変わらないと。グラスや繊細でアーティスティックに彩られたケーキを内心必死になって崩しまいと運んでいるところに、お客さんのいろいろな話が耳に飛び込んでくる。
「男はね、バカだから浮気なんてしても分かんないのよ、だから浮気なんてしちゃっても全然いいのよ(いや、あかんだろと私)」、それに対し、「えっそうなの」と心底驚く男性。「本気で好きなんだからさー、伝わるといいのにねぇ」と深夜まで角のソファに座り込んで話す数人の女性達。私、今日は体調が悪いからとビールでなく赤ワインにしようかしらと話す年配の女性。待ち合わせしていた男性は、セットの飲み物をクランベリージュースにした。「何のケーキがおすすめですか?」そうですねぇ、どのケーキもよく出ますけど、豆腐のタルトなんてよく出ますよ、と私。「ほうじ茶フルーツって、紅茶ですか?」・・ほうじ茶と書いてあろーが。と思うけど、カフェ担当の女の子にすかさず助けを求めると、彼女はすらすらっと、「マスカット(と何やらもうひとつ、何かフルーツが)入ったほうじ茶です」と答えてくれた。
フランスにいても、いやもちろん、フランスでギャルソンならぬ店員と化したことはないから立場は違うけれど、客として天気のいい日にテラスなどに陣取っていると、実にいろいろな話が聞こえてきたものだ。こちらが耳を塞ぎたいと思う程、皆よく話す話す。一杯400円強のブレンド・コーヒーだって、話したいという欲求に比べれば安いもの、という気がしてくる。男の子二人で来店してくれたお客さんだって、バニラ・ラテやココナッツ・ラテなどを注文し、2時間近く話し込んでいたりするのだ。
どこへ行っても、カフェというものは・・。人間観察にはこの上ない場所のようである。実際には、そんな暇到底ないのが現状なのだけれど。
メテオは春の雪を告げ
2007.04.04 Wednesday
2005年の4月1日には、雪が降ると噂されていた。天気予報がそう伝えたと、朝から持ちきりの話題だった。だけど、メテオは当たるはずないのだ。そして昨日、2007年の4月4日・・同じく雪が降ると噂された。予想通り、「ちゃんと」雪は降った。あられ混じりに。
春に降る雪は少しおかしい。滑稽だ。春を渇望する気持ちと、咲き誇る桜の花と、春雷は、我々の希望など目もくれず、まったく遠く、関係のないところで進んでいる。
叶わなかった夢と、少なからずの希望と、毎日の不安、揺れる心を、どうか溶かして欲しいと切望するのは、どうやら人間だけのようらしい。
メテオよ。いつ、ほんとうの春を告げてくれるのだい?
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春に降る雪は少しおかしい。滑稽だ。春を渇望する気持ちと、咲き誇る桜の花と、春雷は、我々の希望など目もくれず、まったく遠く、関係のないところで進んでいる。
叶わなかった夢と、少なからずの希望と、毎日の不安、揺れる心を、どうか溶かして欲しいと切望するのは、どうやら人間だけのようらしい。
メテオよ。いつ、ほんとうの春を告げてくれるのだい?
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