Previously, mari's paris life


"La France traverse une phase de vulgarite. Paris, centre et rayonnement de betise universelle" - C. Baudelaire :p
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いつか白い骨になるまで
社会人になってから、なぜかめっきり涙腺がゆるみっぱなしだ。自分でもおもしろい程、ふとした瞬間に泣けてしまう。最近では、夜に、ひとりで暗くした部屋の中、テレビを観ていると、時折襲う、ドコモのCMがやばい。僕には二人のお母さんがいて幸せだよね、というやつです。ううう、泣かしてくれるな。明日も早いのでさっさと寝たい私である。なのに、涙には負ける。今日も、じわりと泣いてしまう。



しかし先日は・・・。もう思いっきり、びしびしと泣いた。



今年に入ってから、お葬式が多い。親戚や、近しい人だけで3回も呼ばれた。その一つが、今週の出来事。

千葉に住む伯父が亡くなったとの知らせを受けた。母も実家からやって来た。二人して、千葉まで出かけた。厳密には、私の住む東京の部屋からは、一時間くらいの所なのだけど。



母には兄弟が大勢いるが、母方の親戚に会うのは実に10年振りであった。亡くなった伯父にも10年振りに会った。最後に会った時、私はまだ中学生であったのである。あの時は、祖父が亡くなったのだ。最近は葬にしか親戚も呼ばないから、会わないよねぇと皆で話した。



母方の家族、つまり、私の祖父母と上の伯父三人は、いわゆる、引揚げ者である。

まず出身地である熊本から、戦時中英語の通訳者であった祖父に付いて、北朝鮮へと渡り、伯父達はそこで生まれ、終戦を迎えてからは日本に帰るため、必死の思いでB29が飛ぶ最中、北緯38度線を歩いて越えて、日本への船に乗り混んだ・・。



私はこの話を聞くのが大好きだ。

もともと、移民という人の往来を大学院で勉強したいなぁと思っていた程だから(いや今でも思っているんですけどね)、自分の血に関わる、いや、生に関わる人々が、死ぬ気の思いをして足で国境を越え、船に乗り、無事日本の地に辿り着いて・・・そして終戦後、私の母が生まれ、そしてその何十年後かに私がこの世に生まれたかと思うと、いてもたってもいられなくなるのだ。



当の祖母は96歳にもなるので(しかし驚く程依然明るく、元気である。1911年生まれ、明治の人間は凄い!)、あまりせっついて当時の話を聞くわけにはいかないので、私も少しは自重しているつもりだが、本来ならばもっともっとと聞きたいところなのである。これでも我慢している方だ。なので時折、母より聞いている始末だ。うーん、興味が超ちょうそそられる。



それで、亡くなった伯父は、引揚げ船に乗り、沖で小船に別れる際、祖母達の乗った船とはぐれてしまい、少年であってもそれはそれは不安で、大声で泣いたという話を、今回も会食の際、耳にした。その後、一年遅れで帰国した祖父は、息子が3人とも生きている姿を見て、驚いたという。亡くなった伯父は、最後まで韓国にだけは旅行ででも訪れたくなかったらしい。あの時あのままはぐれていたり、病弱だったからと現地の方に預けられていたら、残留孤児になっていたのだと思うと語っていたと言っていた。





それにしても、誰であっても、人が亡くなるのを見るのは辛い。ほんとうに辛い。

その人物と、自分との関わりの有無は別としてもだ。人は死ぬのだという事実が辛い。

目の前にある、冷たい体。肌なんか真っ白だ。

こう思うのは、私がまだ若い証拠なのかもしれないが、特に癌などという病気には、人間は無力なのか、とか、これからの医療、これからの10年ではまた違うかもしれないとか、いろいろなことを考え、その病の前に、私はただひれ伏してしまう。



私には、到底想像のつかない、様々な遍歴を経て、私の生が、今、ここにある。生きている。



涙することも、涙出来ることも、また、幸せなことなのだと思う。私は、今こうして熱く、ここに生きているのだから。





そう思うと、むやみやたらに涙してしまう、そんな自分もそう悪くないという気がしてくる。それにしても、伯父のことを思い出しては、会社のデスクで、つい涙を溜めてしまう自分は、ちょっと半人前過ぎる気がしている。非常階段の踊り場へ、一人ひっそりと移動して泣こうとしても、だ。母方の親戚に関しては、更なる再会が待ち受けている予感がある。私はあまり、いとことは交流が持てず育ったので、23歳で東京へ引っ越してきた今、関東に多く住むいとこ達とようやく遊べるようになるのでは、と、一人心を躍らせている。人が死ぬことは悲しいが、葬の場で、家族が集まり、話し、大事なひと時を過ごせることもまた事実である。待ち受けているであろう再会も、亡くなった伯父が引き合わせてくれたのではないか、とか、どんどんと思いを馳せてしまう。今年何回目かの葬儀の後、白骨とはよく言ったものだねと母と話したが、いつか、私も真っ白な骨だけと化してしまうなら、今を存分に生きたい。毎日を、しっかり生きなくてはと思う。いや、はっきりとそう思わせられる。





人は死んでは、悪人も善人もないものだと思うのが最近の自論だ。誰しも真っ白な骨だけになる。悲しいことである。年を取った際にはぽきりと、ほんの軽い力を加えるだけで折れてしまうような、そんな骨だけ残るのだ。残された家族には、その骨をしかりと受け止める責務がある。今は考えたくない。人間は必ず死ぬというサイクル。今を精一杯生きているか?自問自答する日々が続く。







(今回もフランスと全然関係のないシリアスな内容でごめんなさい)
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