Previously, mari's paris life


"La France traverse une phase de vulgarite. Paris, centre et rayonnement de betise universelle" - C. Baudelaire :p
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拝啓フランソワーズ・サガン女史
「ものうさと甘さとがつきまとって離れないこの見知らぬ感情に、悲しみという重々しい、りっぱな名をつけようか、私は迷う。」  ・・・フランソワーズ・サガンの、18歳で書いた「悲しみよこんにちは」の、あまりにも有名な冒頭である。冒頭が決まってる、洒落てる小説って最高だ。私はあまりにも有名だと思うんだけど、世間一般的にはどうなのだろうか。





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水曜日に、この映画の試写会に行ってきた。妹が知らないうちに応募してくれていた。クジ運のいい妹がいて、姉は幸せである。会場は有楽町だったので、その日は30分早く出勤して、30分早く退社させてもらって、タクシーに乗り込んだ。その後、タクシーの運転手が国際フォーラム付近で迷い、「すいません・・道、曲がれませんでした・・・・」と言いだした辺りから事態は急転、その後東京駅の周りをぐるりと迂回し、あやうく遅れるところであったが。(ほんとうならもっとキレたかったけどさすがに大人なのでこらえた。先に会場に着いた妹がまだかまだかと待っているし、この辺は普段来ないので道も不慣れだった。イライラしてきて腕を組み、脚を組んだ瞬間「カツン!怒炎」とヒールが鳴り、運転手のおじさんを、予想外にびびらせてしまった。それでも勇気を出して、迷った時点できっぱりメーターは止めてもらった。開演5分前に到着し、「3050円ですよね」と言って支払おうとした瞬間、「3000円でいいですっ!!!汗」と言わしめた。どうやら私をびびるのは若者だけではないのか。ははん。)





ま、そんなことは置いておいて、映画はとてもよかった。2時間という長さは全然感じさせなかった。元からサガンの小説が好きなこともあり、私は思い入れたっぷりで観た。一緒に行った妹は、作品を読んでいたわけではないので「別に・・」な感じだったけど。



何か突飛なことよりも、緻密な人生が描かれているフランス映画って大好きだ。これもそんな映画。きっと、サガンは、生涯を通していつも不安で、誰かにそばにいて欲しくて、かまって欲しくて、不安で不安だったんだと思う。けれど、残念なことに、彼女は人の愛し方や、身の回りにいてよくしてくれる人への感謝の示し方とか、優しさなんてものは心得てなかったのかもしれない・・。



映画では、一人息子にも成長し、アメリカへ送り出してから一度も会わず、冷たく当たっていたように描かれていたけれど、フランス映画祭でその一人息子、ドニが来日していて、いくつか雑誌のインタビューに出ていたのを読んだけれど、「映画ではママンはすごく冷たく描かれているけど、実際にはとても優しかったし、いくつもの人生での大事なメッセージを教えてくれたよ」と言っていたので、実際はもっと違ったのだと想像する。ほ。



サガンの動いている映像が観たくて、Youtubeで探したが、やはり、映画の通り、いつも不安定で切羽詰ったような、神経質な早口なのは同じだった。この映画をフランス映画祭の時に観た方のレビューもいくつか読んだけれど、フランス語を勉強してるとか、日仏学院に通っている方だったりしたらしく、「フランス語勉強してるけど全然聞き取れなくて落ち込んだ・・」などと書いてあって、どれどれと思って観たけれど、教科書に載っていたクラシックな言い回し、今では上品なおばぁちゃんか、ブルジョワ階級しか使わなくなってしまったかもしれないような言い回しがふんだんに使われていて、観るとなるほど、実際私も70%くらいしか分からなかったし、サガン特有の滑るような早口のせいで、多々聞き取れなかったので、全然落ち込まなくていいと思う。そうそう、初めて"Volontiers(喜んで)!"って聞いたかもしれない(汗)。それから、親しい人にもvousで喋っていた。恋人にも。『あーこの時代らしいな』と、漠然と思った。生きたこともないのに。まぁ、現代のフランス映画ではなかなか聞けないフレーズだろう。





私が彼女のデビュー作、「悲しみよこんにちは」を知ったのは、何でだったのだろう。もう忘れてしまったけれど、ある日京都の書店で、ペーパーバックのコーナーをふらふらしていて、なんとなく手に取ったのを覚えてる。何の特別な理由もないけどなぜか英訳版を読んだ。日本語版はぱらぱらと立ち読みしただけで、完全に通して読んだことはない。



変な読み方をしてしまったのだけど、「悲しみよこんにちは」の英訳がこれでもかってくらい美しくて、せつなくなる(と自分では思っている)ので、是非おすすめしたい。結果、二人の友達におすすめして、半ば無理やり読んでもらったのだけど。





この映画以降の、サガンブーム再熱?で知ったのだけど、リアルタイムでサガンを読んでいる、サガンが好きと公言するのは、何かタブー的な意味合いがあったらしいね。そうなの?まったく知らなかったし、想像もしなかったので驚いた。確かにブルジョワ階級出身で、映画でも散々描かれているけれど、364億円もの印税をまたたく間に使い切り、派手な、人生の方が注目された、お嬢さん作家・・みたいな世間の冷たい風潮があったのかもしれない。けれど私は、なんとなくフランソワーズ・サガンという作家の名を知り、なんとなくその英語版を手に取り、翻訳の美しさと思春期特有の不安定感、各登場人物とのマインドゲーム、目に浮かぶような南仏コテージでの、父とのお気楽な生活、海、風景・・などなどに魅了されてしまったので、ラッキーなことに、そんな先入観なく読んでいた。



それにしても、パリの街ってすごいね。車と、人々の服装を当時のものに置き換えるだけで、1950年代に巻き戻ってしまう街並みよ・・。どの辺でロケしたんだろう・・。ビートルばかり走っているのが可愛かった。(実家の車がニュービートルなので贔屓)。 そしてサガンのヘアスタイルや、ファッションがまた最高に素敵だ。インターネットでいくつか画像を検索すると、そのトレードマークにもなっている、粋なショートカットのヘアスタイル(もちろんブロンド!)から、ギンガムチェック(!)の水着姿、どこかアンニュイだけれどもくりくりした目元、さらりと洋服を着こなし・・ (映画では、最期の恋人・スタイリストのペギーから、「せっかく美人なんだから!」と言われるが、「着るのはいい。けど、選ぶのは駄目!」ととんがった口で言っていた) 私は元からフレンチファッションが大好きなので、さらに魅了されてしまった。まさしく私の好きな世界だった。





残念ながら、派手な交流やスキャンダル、作品よりも人生ばかりに注目がいったのかもしれないが、これらのことをまったく知らず、純粋に彼女の作品が好きというのは、その時代に生きていなかった、幸運の遺産だ。



英訳は、処女作の「悲しみよこんにちは」しか出ていないようで(NYに行った時あちこちの本屋で聞きまわった・・)、日本語版はそれよりは数冊出版されているが、残念ながら中には絶版のものがあるらしい。私が持っているのは他に、「ブラームスはお好き」と、新宿御苑近くの古本屋(こないだ前を通ったら、閉まっていた・・)で偶然見つけた、ちょっとぼろぼろの「時おりバイオリンが・・」と、「絹の瞳」と、「冷たい水の中の小さな太陽」の4冊である。





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あと、大学を卒業して地元で一時期ふらふらしていた時期に、地元の大学の図書館で、サガン全集というぶあつい原書の本があって、それをずーっと借りていた。今まで一度も借りられた様子はない本だった(笑)。



表紙にサガンの顔がイラストで書いてあって、ものすごく重いことを除けば、本としてもすごく可愛い本なので、できれば返却したくなかったのだけど、そういうわけにも行かないので3回くらい借りた後、泣く泣く返却した。今度フランスに行ったら買おうと思う。高いだろうけど。ちなみにこの写真の本です。かわいいよね。





















彼女は一体何本もの煙草と、ウィスキーを消費したのか。。テレビにも余裕で煙草吸いながら出演していたのを見たので、きっと、「へっ、ただのアル中、ヘビースモーカーな中年の女作家だぜ」って思った人もいたと思う。。交通事故の後遺症で、一生モルヒネの中毒から逃げられなくて、コカイン所持でも捕まり、「破滅するのも私の自由よ!」と叫んだというし、彼女はきっと、書くという軸の行為から、常に、「生きている」という意味を全身全霊で、強く感じたかったのだと思う。どれだけ愛し、愛されても一生孤独。彼女が書き始めた通りの、見事な冒頭の一句、「ものうさと甘さとがつきまとって離れないこの見知らぬ感情」そのものが常につきまとう・・。





破天荒な割りには、多くの友人、恋人に恵まれたサガンだと思うが、残念ながら晩年は特に不幸だったみたいだ。「自分の周りにいてくれる、優しい人達を大事にしなさい」、そんなメッセージを受け取ったような映画だったと思う。あとは、サガンを演じている、主演女優のシルヴィー・テスニューが、もう「サガンなんじゃないの?!」ってくらいそっくりで、名演技をしている。まぁ強いて言うなら(やっぱり文句はある)、デビュー当時の18歳を演じている時、もうちょっと若作りした方が自然だと思ったけどね。ちょっと18歳には見えないかな・・。この映画、フランスでは2008年公開だったそうなので、映画賞も取ったらしい、納得。彼女が演じるサガンの、死ぬ間際の瞳の中には、しっかりと、「ものうさと甘さ」が漂ってるような感じだ。



あぁ拝啓フランソワーズ・サガン女史(なんてね)、無茶苦茶だけれど、「私には知ってることしか書けない」と言って、人生を生き抜いたあなたは素敵だ、輝いている。サガンが亡くなった年、私はフランスにいたらしいのだけど、その頃はまだ興味もなかったので、きっと連日報道されただろうに、テレビはおろか新聞まで、私はなんの記事も目にしてないのが悔やまれる。



まぁ、「悲しみよこんにちは」の英訳を読み始めた時点から、いつかここで、サガンのこと、特にファッションの観点からいかに好きかということを書きたかったのだけど、この度の映画のおかげで、妹のおかげで、いいタイミングが来たと思ってる。勝手にね。遅すぎるサガンブームが、時を越えて燃えているよ。それではかわいいかわいいフランソワーズちゃんの写真をお楽しみ下さい。またオタク度を発揮して、画像を集めてしまった・・チュー



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何これ、まるでアイドル〜?!なサガン。これほんとに本人かいな。。まるでCDのアルバムジャケットみたいね。



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きゃわいー!こんなレトロな水着って素敵。真似したくなるレトロなフレンチマリン。



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何を着てるってこともない、普通の格好がさらりと格好いいサガン。粋ですな。



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おぉ、作家然としておる。。こんなかわいい天使みたいな小悪魔みたいなセンセーショナルな作家がいたら、そりゃフランス中が夢中になる気がする。事故が起きた時、"Francoise Blessee(フランソワーズが怪我)"っておっきく見出しが出たのもうなづけた。作家なのに、一女の子みたいにファーストネームで呼ぶのってかわいい。



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横顔も「ものうげ」で素敵だ。決まってる。これぞアンニュイ。



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トレードマークのショートカット。ジーン・セバーグもだけど、ここまで短いのも素敵ね。



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段々老けて(失礼)いきます・・。



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ブロンドの前髪をたっぷり斜めに流すのも素敵。気のせいでなく、母親に似ている(笑)。やっぱりうちのママンはフランス人顔だxD


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oui et non
一体いつ頃から、メールを交わす回数で、物事や人との関係性を決め付けるようになったのだろう、私達は。



私達は、っていきなり現代人全員を言いくるめたら迷惑かもしれない。本質は、違うところにあるのだ、もっと違うところにちゃんと存在しているのだ、といつまでも信じ続けたい。いつまでも、ひっそりと信じている、まったく子どもっぽい自分だ。



目に見えるものだけで量りたくない。oui et non. ほんとうは、直接会わないと分からなかったり、相手の目の中だったり、空間にだったり、相手との時間の中にだったりして、絆を見つけ出したい。



それでも、悔しいことに距離を越えることはできなくて、文明にすっかり甘受してしまった私達は、今日も携帯を手に取る。





友達は、7歳上の女性と付き合っている。社内恋愛だ。今でもまわりの上司には秘密の関係らしい。だいぶバレてきてるかもしれへん、と言っていたのだけど、半年も経って、今でも職場では敬語で話す、ってところがおかしくて笑ってしまった。





ほんとうは、相手が何歳でも年上振るだとか、年相応に振舞うだとか、年下らしく可愛く振舞うなんてこと、無理なのかもしれない。おかしな話なのかもしれない。相手が、『自分が年上だからしっかりしなければ』と思っていると感づいた瞬間、足元をすくえた気になって、その瞬間から二人の関係性には勝ち負けが付いているのだと、友達は少し嬉しそうに教えてくれた。なるほど。





どこへ向かって進んでいるのか分からない、私が想う程、相手からは想われていないのかもしれない、いや、真意の程は分からない。生産的でもなければ非生産的でもない、けれど、心の中いっぱいに広がる・・不毛な関係を、今日も続けてしまう。





言いたいことの半分以下も言えない、臆病な自分が嫌になる。これが一番ダメの要因だとよく分かっているのに、性格は直らない。ouiかnonがいいのにnonを知りたくない、弱い私。oui et nonの関係は成り立つだろうか?oui et non! 少し強く言ってみても駄目だろう・・。
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様々な感情
パソコンtoパソコン。ふいー、今日は久しぶりに早く仕事が終わったな。6時40分になんて、久しぶりにオフィスを出た。私は大体、一日中パソコンの前にいる仕事をしているせいで、家に帰ったらほとんどネットもしないし、気分が向かないのだけど、今日は早く終わったので、特別。それに最近、内なる声がうるさい。書きたいことがいっぱいあるって感じだ。調子がいいのだろう。





冷蔵庫の中に、まだ3袋入りうどんの2つが残っていたというのに、そのちょっと前に買ったフォアグラのパテ(500円くらいだけど奮発しちゃった!)と、昨日の夕食・ちらし寿司に合わせて買った白ワインとで、パンでも食べようかなと思って、近所のかわいいパン屋さんでバゲットを買って帰ってしまった(ちなみにこのパン屋さんは、朝も10時から、週2、3回休んでいて、まったくやる気のないパン屋だ。それでも儲かってそうなのでたいそう不思議だ。こんなパン屋に初めて出会った、人生で)。・・まったく、冷蔵庫の中身をてんで把握していない・管理していないのは、母親ゆずりの悪癖である。それも、直りそうにないからタチが悪い。私は妹に叱られ、母はしょっちゅう父に叱られている。ってどうでもいいね。





実は、北京から帰った後の3月後半、私は25歳になった。25歳にもなったら、気が狂うか荒れるのどちらかが発症すると思ったのだが、待ち受けていたのはいたってクールな感情だった。幸いなことに仕事(定職)があり、いい家族、友達に恵まれ幸せに暮らしている。自分の仕事があるっていうのは幸せなことだと思う。雇用形態に関わらずに。自分だけに任されている仕事、自分にしかできない仕事。後者についてはまだ謎だけど・・。





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おかげさまで社会人2年目が、早いものであと3ヶ月で終わろうとしている。早い!辛く、長かった就職活動の期間、8月を思い出す。9月からは3年目が始まるのだ・・。早い・・。たぶん、働き始めた誰もがかかる感情だと思うけど、私も同じくして、社会人1年目はけっこう辛かった。そのうちに、「これは毎日つまり、同じことをやればいいのだな。きちんと起きて、会社に行く。まだ下っぱだから言われたことをやっていればいい」と気が付いて、しばらくは疑問も感じず、毎日規則正しく、同じことをやっていたのだけど、そのうち辛くなってきて、ある日爆発してしまった。冬のスウェーデン。あれは自分でも危なかったと思う。





今だからさらりと認められるし、こうやって文字にできるけれど、あの時私は、まるで仕事をするためだけに生きているような気がして、この先もずぅっと、働くためだけに生きていくような虚しさに囚われていて、未来というものが想像できなかった。大げさに言うとね。それに、自分が生きていく分を稼ぐのに精一杯で、毎月のやりくりには頭を悩ませたし、ヨーロッパ旅行に行った分カードの返済もあったし、両親の援助があったけれど、私は甘ったれなので、早く誰かと結婚して、養ってもらいたいみたいな、逃げることばかり考えていて、親友のT子とも、よくそんな話をしたのであった。そんな言わば、(認めるのが怖いけど)少し鬱みたいな症状が、初めて北京に行く頃くらいまで続いていて、やめればいいのに悲しい曲を聴きながら、会社裏で一人、サングラスをしたまま涙が出てきて止まらない、自分でもどうコントロールすればいいのか分からない感情と戦っていた。しかし不思議なことに、その後すぐ北京に行って、いーっぱい笑うと、まるで悪いものが取れたみたいに落ち込むことはなくなった。今でも不思議である。





そして、今は違う。社会人2年目の今は、少し心に余裕ができたのか、働くことが楽しい。身近な例で言うと、平日でも遊ぶのが平気になってきたし、一年目の頃以上に残業して、働いても平気(大体はね)。入社当時よりも責任ある立場にいて、責任ある仕事を任されているせいか、働くことが楽しいし、仕事が面白い。別に、私の仕事は、毎日億単位のお金を動かしてるとか、超大手のクライアントを相手にしてるとか、そんな派手なものじゃない。どちらかと言って、与えられたものをスケジュール通り管理して、動かすような、地味な、そんな裏方の仕事なのだけど。





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ある時、母が言ってくれた。新聞かテレビで見聞きしたらしいのだけど、「ねぇまりちゃん。皆、『キャリアを積みたい』って言うでしょ。それで、つい、派手な大きな仕事ばかりをしてキャリアを積むって考えがちでしょ。でもね、実はそうじゃないんだって。目の前にある仕事をこつこつこなしていくことが、実は最大に、キャリアを積むってことなんだって」と言われた。この言葉を聞いた瞬間、これはあながち、私のための言葉みたいなもんだなと思って、心の中に書き留めた。以来、とても大事にしている。そうなんだよね、必ずしも大きくて派手な仕事ばかりが仕事じゃない。



それから、働き始めて、どんな職業の人・雇用形態の人であっても、一生懸命丁寧に、仕事をする人はとても素敵だ、魅力的だ、と思うようになった。どんなことをしていても、尊敬に値する。そうして社会は動いている。コンビニでアイスを買っただけでも、コーヒーをテイクアウトしただけでも、ちゃんとお礼を言いたい。





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書くことが好きなので、ここも細々と続けているわけだけど、"mari paris tokyo"など、一度何かの縁で訪れてくれた人なのか、このような検索ワードで辿り着く方が多く、『もしや・・会社関係が?!』とびくびくしている(そういう検索が超されそうな会社なんだ、また!)。もしほんとに会社関係の人が見ていたら、こっそりと教えて欲しい。「見てるよ」、「知っちゃったよ」って。隠れて(?)こそこそ見てるなんてひきょうよー>_<



検索ワードで言うと、あとは圧倒的に、「世界で一番難しい言語」という検索ワードで辿り着く方が多い。滅茶苦茶多い。留学していた頃に書いた、大昔のことなのにxD 中には、「こう、筆者は分析している」とリンクを貼ってくれた方もいて、『筆者・・!!ドキドキ大』と興奮した。





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いろいろ問題はあるけれど、すごくいい会社で働かせてもらってると思う。感謝している。今の会社でよかった。皆さんに出会えてよかった(なんかもう、辞めるみたいだけど辞めない)。私がちっちゃいリボンの付いた、ベージュの薄手の靴下とパンプスを、黒のミニスカートに合わせて履いて出社した日には、それをいつの間にか見ていた社長(フランス人)から、「おい!!皆マリみたいな靴下履け!!」と、写真付きの社内メールが一部の人の間でまわるような好環境だっ・・。絶句。それから月曜日は、前日見つけた黒のサマーサンダル(エナメルで、8センチくらいヒールのある、ストラップ型)を履いて出社したら、全然真面目な話をマネージャー(この人もフランス人)としていたのに、私がトイレから戻り、席についた瞬間、「ヒールいいね」とコメントをもらうような・・好環境だっ・・。絶句2。日本の会社ではこうはいかないだろう・・。まったくそんなディーテールまで見てもらって、光栄ですよまったく(ほんとに)。おしゃれに身が入る。





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こんな25歳がいてもいいものだろうかと、たまに思う。そりゃ一応、定職があって、これでも真面目に生きているけれど(私は人生に超ー真面目だっ)、「一部だけ除いて他全部セリフが空欄になってるふきだし付きの、ドラゴンボールの1シーン、1ページ」の画像が送られてきて(もちろん社内で)、「マリちゃんもさ、これやってみて。今朝から皆でやってんの」と言われて真面目に取り組んでしまう・・・(しかもせっかくなら笑わせたくて、かなり本気で考えた)、こんな25歳でいいのだろうか・・。妹にも、「えっ、そんな格好で会社行ってんの?!」って言われたことあるし。





与えられた環境と境遇を大事にしたい。自分の仕事は丁寧でありたい。助けてくれる、あたたかく接してくれるまわりの人に、いつも優しく笑顔でありたい。偽善者みたいに聞こえるけれど、私はこんなことを、くそ真面目に毎日考えている・・こういう性格。今は、この仕事を続けたい。そりゃいつかまたフランスに住みたいけどさ。自分でも驚きである。こんな感情が湧くなんて。様々なことに感謝。
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ルイ・ギャレルに夢中
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はーーー。最近の私は、フランス人俳優ルイ・ギャレルに夢中である(突然始まった!)。



ことの始まりは、去年10月、観たいDVDがツ○ヤに大量に並べられているのを発見し、週末は家に閉じこもって、これでもかって程映画を観ていたのだけど(古いな・・)、その時、同僚の一人がおすすめ映画として、映画「ドリーマーズ」を薦めてくれたことだった。そして、観た。よかった・・。なんというか、舞台は5月革命のパリなのだけど、風景からその時代背景から、もちろん主人公たちティーンの社会や政治や革命への思い、焦燥感などがとてもよく描かれていて、とてーもぶっ飛んだ、エヴァ・グリーン演じるお姉ちゃんも面白く、愛せずにはいられないキャラクター3人によって繰り広げられる、パリの片隅での話だ。ま、かいつまんで説明するとこんな感じ。私はすごーく好きな映画だった。是非観て欲しい。



そして、この映画に、このぶっ飛んだお姉ちゃんの弟役でルイ・ギャレルが出ている。ここからこの恋は始まったよ・・。ギリシャ彫刻のような、深い彫りと美しいお顔、そして溢れんばかりの才能を持った彼です。そしてある時に、妹の友達のフランス人(繊細でとても優しいグレッグくん)と、どんな映画が好きかという話をしていた時に、私が、「ドリーマーズよかったね。ルイ・ギャレルーハート」と言ったこともあり、この心優しいグレッグくんがですね、「だったら今度、ルイ・ギャレルが出てる作品全部貸すよ!DVD持ってるから」と名乗り出てくれてですね、こないだうちで、この度めでたく24歳になったうちのかわいい妹の誕生日パーティーをやったのだが、その時、心優しいグレッグ氏は、ちゃんとこの約束を忘れず、持ってきてくれたのだ。



なんて優しいのグレッグー。わたしゃフランス人がきちんと約束を守ってくれたのは、人生初だった気がするよ(大げさ)。



(余談だが、彼グレッグはどこか私にびびっているようなふしがあり、私はいじめてもいないし、別にいつもと同じ感じで振舞っていると思うのだけど。何かしら。初対面の時に、仕事の話やグチなどを、ばばばと話し立てたのがいけなかったのか。そうこぼすと妹に、「お姉ちゃんのことびびらない男子なんていないよ」と言われた。がーん。どゆこと?わたくしはこんなに優しくはかない少女でありますのに。)



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彼が貸してくれたDVDにですね、冗談抜きでルイ(馴れ馴れしくファーストネームだけで呼んでみた)が全部出演している映画が入っている(つまるところ、テレビで放送したりなんかしたのをコピーしてくれた)。早速、先週の日曜日の夜から、まず、今年のフランス映画祭(今年も行けなかったよう・涙)に出展されていた、ルイ主演「美しい人」を観る。



Arte(なつかしxD!)で放送されたのを落としてるから、ちょっと音が悪く、一部セリフが聞きづらかった。外国人ですから。なので一度はさらりと観たものの、正直に感想を言うと、私が期待し過ぎたのか、「むーん・・これは・・」であったため、次の月曜日と火曜日、デスクで、お昼ごはん食べながらイヤホンを付けて観た。じっくりと観た。こうすると、セリフがよく聞き取れる。



そして、二度目もきちんと鑑賞したわけだが・・ ネット上でもいろいろ調べ、観た方のレビューなど読んだが、まだ日本で公開されてないこともあり、数が少なく。まぁ、映画ってのは「好き!よかった!」って人と、もちろん「あんまり・・」に分かれる人がいるものだと思うけど、私の感想としては、ちょっと理解できない、納得いかない点が多々あったのです。まだ観ていない方のためにも、ネタバレしてしまってはいけないと思うので、以下、包むことにする。



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一人ではさみしいはずなのに、繰り返し来てしまう場所
一面の空空空空そら・・・・・。そして湖。



しばらくずーっと一人でいると、冷たい風(水辺なので風が強い)にもいろいろな種類があることが分かった。



強く吹き付けたり、時に柔らかくてあたたかい風が吹いたり、また冷たくなったり。風はとても移り気で、私はバッグからスカーフ(と言うよりはストール)を取り出して、巻かざるを得ない。



芝生にごろんと横になると、さらに空に包まれる。空に抱かれる、って感じだ。





***






こんなに近くで芝生の青々とした匂いを感じるのは、いつぶりだろうか。



パリかスウェーデン・・とにかくヨーロッパだろう(スウェーデンかもしれない)。



フランスでは公園の芝生には、なぜかいつも育成中なのか、「立ち入り禁止」と看板がしてあって、訝しみ、警戒したものだった。



しかしここは違う。田舎のせいもあり、もっとゆるくて自由だ。それこそ私の愛するもの(田舎は別として)。





***






少しゆるやかな坂になって、湖の弱い波が、すぐそこまで来ているせいで、もっと近づくことができる。それも、芝生に寝転がりながら。



真っ青なジーンズを履いていたので、私は人目もはばからずにそのまま横になり続けた。風が強いのでサングラスもしている。読んでいたのはサガンだった。どうしてもこの短編を読み終えなければならない。一体いつから読んでいるのだろう・・たったこの薄い本ごときに。確か買ったのは京都の書店だったから、まだ大学を卒業する前だろう。私はそっと、自分を恥じた。しかし、声に出して読みたい程美しい英語訳だったり(そう、私はよりによって、原書でなく英語訳で読んていた・・)して、お風呂上りのあたたまった、髪を乾かしながらうだるようにして、まどろんで読む瞬間だったり、人目を気にせず声に出して読める、つまり音読する環境が好ましかったせいもあり、カフェやデスクなどではなんとなく読むのを躊躇っていて、しかし、そんな好機な場所を得るのはそうそう容易いことではなく、その結果、この薄い本一冊読み終えるのに、ゆうに2年近くもかかってしまった。



とにかく。



こういう時、音楽はいらない。



この、びゅんびゅん頬を切る、風の音と、足の少し先とジーンズからはみ出たくるぶしの辺りをくすぐる水の音さえあればいい。十分だ。



後ろ髪引かれながら、携帯電話だけはバッグの外に出してある。Addition. まるで壊れてるかのように鳴らない。けれど私は、こいつが壊れていないことを知っている。ようく知っている。





この場所には、何か考え事がしたい度、そっと来てしまうのだ。そう、いつも一人。





***






その昔、小論文を書いたが、バルザックの言った通り、人間はほんとうに一人で生まれてきて、一人で死にゆくものだなぁとはよく言ったものだなぁと、自分にはまだ到底関係のない話なのに、ふと思いを馳せたりしてみる。まことに馬鹿げた発想だとは思うのだけど、こうも一人だと思うのだ。私は一人がきらいなわけではない。状況によってはむしろ大好きなのだけど、こうも「待ち人来ず(とは、今回厳島神社で引いたおみくじに書いてあった言葉だ・・)」だと、悔しい程待ちぼうけをくらっているようで、いつものような焦燥感、いつまで経っても慣れない、しかし慣れなければならない、しかし、結局のところ、私には到底、そんな力量ないのだ・・とようく分かっている、いつものぐるぐるとした感情が巻き起こる。ええい、いいや、Je le laisse faire... 風は強い。いっそのこと、この風が全部飲みこんで行ってくれればいいのに。そんな考えが甘いことも、ようく分かっている。決着は、付かないのだ。始めから始まっていないのだ。終わりなんてふさわしくないのだ。終わりなんて大そうな名前を付ける程、いばれるお話ではないのだ・・・・。









続く?かもしれない・・。
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