Previously, mari's paris life


"La France traverse une phase de vulgarite. Paris, centre et rayonnement de betise universelle" - C. Baudelaire :p
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コメント機能閉鎖のお知らせ
ちょっと、卑猥〜〜困ったなコメントばかり付いて、いちいち消すのが面倒なので、しばらくコメント機能は閉鎖いたします。



過去にいただいたコメントまで隠れてしまうようで、ちょっとびっくり+悲しいのだけど・・・。スパムフィルターを使っても使っても、くぐり抜けて次々と変なコメントばかり届くので、申し訳ありませんが一時的に(か)このままの状態にさせて下さい。ごめんなさい。



もし、私に「この野郎!フランス好きって気取りやがって!!(あたいの方が好きなんだよっ!)ったく気に食わねぇんだよ!一言物申したいぜ!」(とまでいかなくても)何かあれば、maribeau0330 アットマーク yahoo.co.jpまでお気軽にメールをどうぞ。



読み手の方々の意見をオープンに取り入れながら、フェアで議論的な場でありたいと思っているので、ご意見はウェルカムですカエル あんまりきついと、傷ついちゃうけど・・・寝る
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フランス人同僚AXの新年会
に行ってきましたが。エエト・・・



記憶失くすってこういう感じなんですか?





目が覚めたら(7時)、妹の元彼のお姉ちゃんの元彼のフランス人と一緒に寝てた。



『誰このラテン(な顔)の人・・この彫りが深い人?』と思って見てみると、相手も気付いて「よぉ・・」という感じに手を上げて反応してくれる。あぁ妹の元彼のお姉ちゃんの元彼のフランス人の彼だった、と思い出す。



コンタクトを入れたままだったのでやけに視界がいい。目の前の棚に、フランス語の本に混じって、「日本やきもの」とか「皇室のコレクション」だの「日本名選100」とかそういう名前の本がいっぱいある。焼き物好きなの?w でも知らない部屋だったので一体自分はどうしてここに寝ているのか検討つかず。



目の前には大きな白い布団があり、見ると見慣れた顔、同僚が寝ている。一応同僚ということで、気を遣って、私とは一緒に寝ず、けれど目が覚めた時この彼とだけでは私がパニックを起こすと思ったのか、すぐ目の前で寝てくれていた。おかげで状況を把握。そうだ、AXの家で新年会に来ていたんだった。着物で。・・新年会なのと、着物、趣味なのと。(自分で着れるようになりましたっせ!←変な方言) 新春らしくてええやないの、と思って。





え、でもどうして私帰っていないの?やけに気持ちいいなーと思って目が覚めたのだ。ぐっすり寝ていたので。でもここで寝て朝を迎えてるってことは、私帰ってない!なんでなんでなんで?





帯があるおかげで、私は横不動、寝返りも打たずに寝ていた。まったく情報処理が出来ない。起きると足元が少しはだけているので慌てる。もそもそと起き上がる。えっと・・一体なぜこういうことに・・・・?





どうやってベッドに入ったのか記憶がない!わたくし飲んでて記憶失くしたの初めて!パニック!AXが運んでくれたの?!気持ち悪い足取りでまずは一階のトイレへ・・(AXは一軒屋をシェアして住んでいる)



気持ち悪い。お水をもらって上へ戻る。AXの部屋では、誰か知らないこれまた彫りの深い人が掛け布団もかけずにそのまま豪快に寝ていた。



何があったのか知りたい!!知らなければ!!何かそそうをしていないかしら私?!AXの寝ている布団の足元付近にちょこんと座り、起きないかなぁと見てみる。するとAXが寝返りを打ったので、申し訳ないが『これだ!』と思い、布団を下からつまんでわざと寒くさせて気付かせて起こしたw(ごめん)



AXは怪訝そうな顔でこちらを見る。見るとすぐ私が起きて状況把握にパニックになっているのを理解して笑った。「ななな何があったの????」と聞くと、「しーっ。ちょっとこっち来て」。





エエト、





AXによると、昨日私はトイレに降りて、なかなか戻ってこなかったのでおかしいなぁと思って心配してAXが様子を見に下りると、私はトイレの前の床で、壁にもたれて座ったまま寝ていたらしい(笑)!!!!!!!!



そしてAXがベッドに運んでくれ、3時頃タクシーで帰る組と一緒に帰るかと起こそうとしたけれど起きず、そのまま妹の元彼のお姉ちゃんの元彼のフランス人(長いwもういいか)と寝かせてくれたらしい・・・・・。着物で。





エエト、





まさか彼も、着物着た女性と同じベッドで寝る経験はなかったと思うけど(一体どういうチャンスなのか状況なのか)、自分も寝返り打たないように、緊張しただろうね XD XD ちゃんとこっち半分スペース守ってくれてたから。あぁもう大爆笑!!



私は帯を結んでいたせいで微動だにせず、右を向いたままぴしーーと寝ていて、普段から寝相がよく、「びっくりするくらい動かずに寝る。まるで死んでるみたい」と数人から言われたことがあるんですが(笑)、このクセのおかげで助かったーー(涙)!!!





洗面台の鏡で見ると、全然着崩れていないので、『私着付け上手いな・・!』と妙に悦に入ってみたり。





着物着たまま寝てしまうなんて・・・・ しかも、羽織も羽織ったまま・・・ 何とも。。ついでに言うなら前の紐も結んだままだったよ。。ほんとそのまま。。





AXにお礼を言い(もちろん謝り倒した)、家を出る。自宅へ帰ろう・・・。もう電車は動いてるはずさ。朝の目黒川。きらきらして綺麗。そのまま笑いながら母に電話して駅まで歩く。スタバを見つけたので頭を起動させようと思い、コーヒーをいただく。朝から着物・・・・・・・。







あーーーーー今朝はまじでばびったーーーー!!!!!まじでびびったぜい・・・。





それにしても、間違ってもトイレの中で発見されたんじゃなくてよかったです・・。ほんとに。。。。。





その後、タクシー組一人、会社の方にメールして、当時の状況を探る。すると、すぐに返信をくれて、



「起こそうとしたんだけど起きないからさ。記念写真だけ撮って帰ったよ。え、ほんとだよ。一応起こして連れて帰ろうと努力した証拠として添付のビデオを撮ってた。R(妹の元彼のお姉ちゃんの元彼のフランス人)が嬉しそうに部屋に入ってきて、ポラロイドで撮ってた。で、悪ノリしてマリちゃんの横に寝て、俺とRで一枚ずつ撮り合った。決していかがわしい写真でなく、日仏の虹とでも呼びたい可愛げなスナップだよ。だから大丈夫。」



・・日仏の虹??!?!??!?!?!



記念写真本当??!?!



Oh no.......... 終わった・・・



けれど、これでまた一つネタが出来たキラキラと思ってこうしてすぐ書いています(笑)。
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コロラドに住むタノウエさん探してます。
前回、大好きなおばぁちゃんが亡くなった件を書いたせいで、その直後会うことになっていた久しぶり、京都からの友達や、一緒に初詣に行っていた友達から、個人的に優しいメールをもらい、私の心はいとほぐされたことよ・・。



ほんとうに、ちっぽけな私の人生ですが、いい友達がいるのが一番の自慢で感謝していることです。みんな、ありがとう、ありがとう。



今日はちょっと赤ワインを飲んでいるせいで、涙もろくなっていて、自分が書いた文章なのに読み返すと、未だ「うっ」と涙してしまった・・ そんな情けない私ですが・・ ちなみにおばぁちゃんは、天国での宴に依然忙しいのか、全然まだまだ夢に出てきてはくれない-_- 頻繁にお願いしているんだけどなぁ。忘れ去られてしまったのであろうか。うーむ。



すでにお気付きの方もいらっしゃると思いますが、左端にTwitterを付けました。始めました。つぶやきの不思議。人はなぜつぶやかずにいられないのか・・。各誌が特集組むのもうなづける。ブログより簡単で、手っ取り早く、限られた文字数で要点をつぶやく・・。そしてリーダーとしても読みやすい。追いやすい。ニーズに合ってるんだろうね。ブログは長いもの(誰かさんのようにな!)。

つぶやき。このキーワードがしばらくネット業界を賑わす予感。わたくしもシンプルなつぶやきを心がけておりまする。なるべくこちらは毎日更新するようにしております。





おばぁちゃん関連で、実は、アメリカ・コロラド州デンバーに遠い親戚(おばぁちゃんの父方の兄弟のどなたか・・)が1900年前後移民し、その後も子孫が住んでいるのは前々から知っていたのだけど、母の姉、つまり私の伯母がカリフォルニアに住んでいることもあり、加えて戦後まもない生まれの私の伯母は、もののない時代だったので、このコロラドの親戚から物資を送ってもらい、布を売ったりして一家は飢えをしのいだり、伯母のおむつにしたりと助けを得ていたらしく、せっかく同じアメリカに住んでいることだし会いたい、という話になり、どうにかして連絡が取れないか、今、一族総出で奮闘中。



おばぁちゃんが持っていた、古い住所録にコロラドの住所が書いてあることが昨日分かり、私大興奮。だって、卒論の移民の研究が楽しくて楽しくて仕方なかったくらい移民に興味があるわたくし。ましてや身内の話となるといてもたってもいられない!ほんとは仕事なんかそっちのけでそのことばっか調べていたい!!(許されるのなら、あぁ!) という感じで現在終始燃えっ盛っているのだけど、はぁ。



なんかこれで、世界中(主にアメリカ)にいるタノウエさんという(いわゆる)日系人に詳しくなったような気がする(笑)。こういう検索は大好きなので、オタクっぷりを発揮していろいろ検索していると、挙句ハワイのとある教会に残っていた死亡登記(っていうの?)なるウェブサイトにも辿り着いて、そこは素晴らしいことに、出生地や生年月日まで一緒に記載されていたものだから、祖母と同じ熊本や、しかも同じ郡名まで書いてある人もいたりして、もう超興奮したぜいチュー  でも残念ながらこの方は、頼りにしている人と同姓同名なのだけれど、"K."とミドルネームが入っていること、教会に通っていたことなどを考えると、二世かもしれない・・。



昔は長男のみ家を継いで、次男以降は養子にいくか移民するしか方法がなかったらしく(まったくすごい時代だぜ・・・汗)、遥かコロラドに渡った遠い親戚も、やっぱり次男らしいのだった。そして圧倒的に、アメリカに移民してる方の出身地は熊本だったり、鹿児島県、あとは広島がほとんど。事実、伯母も日系の方と結婚しているのだけど、元々は広島出身なのだったー。



それにしても母方の親戚の特徴の一つとして、やたらインターナショナル、というのがあるのは前々から気付いていたけれど、今回のコロラド事件でますます確信を得たのは言うまでもない。この血が、きっと脈々と私にも流れているのだ。ありがたやありがたや。





話が反れた。

タノウエという姓はどうやら日本の熊本だけでなく、鹿児島にもいるようで、ハワイのタノウエさんはきっと祖母の親戚とは違う模様。

とあるタノウエさんに辿り着くと、配偶者や子ども、兄弟姉妹の名前まで書いてあったりして、またそれで検索するとどんどんタノウエさんの子孫に辿り着く。おかげですっかり、(主に)ハワイ島のタノウエさん事情に詳しくなってしまったw

残念ながら祖母の出自、及びコロラドへ行った方は熊本のとある郡出身であるので、ハワイには行っていない模様。でもきっと、これもまた辿っていくと遠い親戚だったりするのだろうなぁ。血って不思議。余談だけど、タノウエという名前はアフリカ系の方のファーストネームでもあるようで、ヒスパニック系の人の苗字にもヒットした。面白いね〜〜。



タノウエ、コロラド等で調べると、「タミー・タノウエ」や「ラルフ・タノウエ」というお名前の方々に辿り着く。タミーなんていかにも日本的、日系的なお名前じゃないかい・・・ ごごご・・私は興奮した。こういう風にして、国や時間を越えて苗字が受け継がれていく・・・。消えずにいる。今でもこうやって探し当てることの出来る不思議。インターネットのすごさ。便利さ。



このタミーさんに連絡を取りたいのだが、ネット上には連絡先が出ていない(当たり前だっつーのダッシュ)。勤務先は分かったが・・w 幸い、古い住所だけどコロラドの住所が手に入ったので、近日カリフォルニアの伯母が手紙でも書くと思われる。今そこに誰か住んでいるかは分からないけど、それでまた、きっと何かしら新たな手がかりが分かるだろう・・楽しみである。

ちなみに私はオタクなので、住所が分かった際すぐにグーグルマップで見て、ストリートビューでも見てみたが、そこは、いかにもアメリカ的な、正面に大きな通りのある住宅地だった。残念ながら、(当然だけど)表札までは確認出来ず。残念。



facebookでも検索して、意地になったアーンドオタクっぷりを発揮して軽く計400件くらい見たけれど、結婚して偶然タノウエ姓になったり、やっぱりちょっと日本人の顔立ちが1/4もしくは1/8くらい混じっていそうな人がいたり・・ハワイ出身だったり(違う)、とにかく、あー、面白い。

ちなみにTanoueという表記とTanouyeという表記、二通りがあり、全部見た

時間があればその人達一人一人にコンタクトしたいくらいであったが・・(英文は既に完成済み!) なんとなく、デンバー在住の人はいない模様・・。けどアメリカ人だしな〜。大学なり就職なりであちこちに動いてるよね〜〜。。





それから、また別のすごい偶然があった。

一族全員ずっと会いたい会いたいと思っていたとある人の住所が、またカリフォルニアの伯母経由で判明。聞くと、見覚えのある住所だった。東京郊外。・・なんと同僚(あやつだよ・・)と同じ駅、町名!!XD



その後、さらになんと同じ町内に住んでいるということが分かったものの、近所付き合いもないせいで、私達が探している人はまだそこに住んでいるかも定かじゃないのだけれど、偶然が呼ぶ偶然といったら・・私は神に感謝するね!土曜日、この地域に行くあてができたので、ちょっと行って見てこようと思う。会いたいのだ。



コロラドに住むタノウエさんと東京郊外のこの話。私はまるで探偵のように燃えている。ごごご。あーもっとおばぁちゃんにこの手の話を聞いておくんだった!私の大好きな古い話。悔やんでも悔やみきれない。あーあ。
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La femme de Meiji, forever...
ついに、と言うべきか何と言うべきか、最愛の祖母が98歳で亡くなった・・。「入院した」と連絡が来たのは天皇誕生日で、前日の夕ご飯にはいただいた下仁田葱を食べ、「あー美味しい、もうこれで死んでもいい」と陽気にのたまっていたそうだが、私は25日は有給を申請し、妹と一緒に実家に帰る予定になっていたので、たった二日だけれどされど二日・・の心境で、万が一のことが起こり得ないか、ハラハラしながら仕事に向かっていた。



結局、この二日間には幸い何も起きず、25日に帰省すると空港からすぐに祖母の入院している病院へと直行した。病院では、いつもおしゃれで、ダウンベストなんかも着ていた祖母が、入院用の薄いガウンを着せられ、ベッドに入っている姿を見て、私はショックが隠せなかった・・。風邪を引いてはいけないので、いつもあったかい格好をしていて、腕は見たことがなかったが、病院のガウンは薄いし袖も少し短いため、『こんなにもしわしわで細い腕だったのか・・』と愕然とした。いつもおしゃれな祖母がこんな格好をしているのがショックだった。



見慣れない祖母の姿だったので、私は涙が抑えられず、目に溜めたり、ぼろぼろと隠さず泣いていると、つられて祖母も泣いている。やはり不安なのだろう。しかも、この年で初めての入院という話じゃないか!(昔はお産も家でしていたらしく、祖母は病気一つしたことなかったので・・98歳で初の入院、あっぱれである。。) いつもと同じように、私と妹の手をぎゅっと強く握り締める。あぁ、まだまだこんなに力があるのだから大丈夫だな、きっとまたうちに帰れるさ、と私は自分に言い聞かせる。



恐れていたのは、入院が初めてのこともあるけれど、何より祖母が、これで気落ちしてしまわないかどうか気がかりだった。望みをなくして欲しくない。また家に帰れるんだ、短期間の入院だ。また障子を開けて日向ぼっこしながら、小さく座って新聞読んでよおばぁちゃん、と何度も耳元で言い聞かせる。「また家に帰れますからね」。何度言っただろう。



許されるならそのまま病院に泊まり込みたいくらい私は心配だったのだけど、あまり長居もできないので家族全員、病室を出た。いつも指先に品がいいベージュのマニュキアと、赤い口紅を欠かさないおしゃれな祖母の病人姿が、思った以上にショックだった。不安と悲しみで涙が止まらなかった。



それから毎日会いに行った。時には妹と二人で。一日だけ私は行けなかった時があったのだけど、妹いわく、その時祖母は、「まりちゃんは昨日あんなに泣いてたけど、どうしたの。そんなに東京での生活が辛いのかねぇ」と言ったらしく、



なんでやねん・・(笑)!わたしゃあんたのことが心配で泣いてたんだっつーの!

という感じだったが、やはり人間、声に出して言わないと伝わらないコミュニケーションがあると知らされたというか、こんな誤解が生まれるのかというか。。。陽気な祖母らしくもあり、笑った。



妹が、元旦の日にフランスへ帰る予定になっていたせいで、裏日本を30日に発った。31日では雪で飛行機が飛ばない可能性があったため、断腸の思いでその日に帰る。妹を一人で年越しさせるのはさすがに可哀想だし、優しい妹思いの姉としては、せっかく実家でのんびりできるチャンスを投げ打った。



空港に行く前に、また病院へ寄る。やっぱり涙で別れる。祖母は眼鏡を付けたまま眠っていた。自分の腕をさすっては、「どんどん痩せていく・・」だの、「ほら、爪が全然伸びん」だの言っている。私は気のせいだよと励ますけれど、耳の遠い祖母には届かない・・。



食事と水分制限を課せられていたので、「水が飲みたぁい・・」と切なる声で言う。空のコップを何度もからから動かしては、中身が空なことを確認すると、「水が飲みたぁい・・」と言うのだ・・。戦時中じゃないんだから、98歳の人間をさらに長生きさせようと今から食事制限・水分制限を課すとは、病院の方針はなんだか間違ってないかい、という複雑な思いに駆られて、私まで苦しくなる。



祖母は、おかゆを断固として嫌い、いつも固い、普通のごはんを好んでいて、病院の流動食なんて嫌い中の嫌い、おまけに美味しいものを食べるのが大好きで、いつも食欲旺盛、好奇心旺盛だったので、ここでの食事は耐えられないことは、想像に易しかった・・。配膳されてもあまり手を付けていない。食べたいものを食べさせてやって欲しい、体に支障をきたしても、水を飲ませてやって欲しい・・ このままもし何かあれば、あまりに浮かばれないじゃないか・・。



家には、ちょうど郷里の熊本から届いた大量の美味しい蜜柑があったので、祖母は、「○○ちゃぁん・・(私の母の名前)。あのミカンが食べたいよぉ、だめかい」とお茶目にお願いしてる。食べさせてあげたい・・ きっと母も同じ気持ちのはずだ。



そしてこの翌日、母は鞄に二、三個蜜柑を忍ばせ、病院に会いに行った。すると偶然看護婦さんがいて、「だめですかねぇ」と駄目もとでお願いしてみると、「まぁいいでしょう、蜜柑一個くらい!」という返事だったそうなので、母は蜜柑を一つ、渡したらしい。



すると祖母は、手に取り、蜜柑を頬ずりすると、寝る体勢のまま、一房、一房大事そうに口へ運び、「あぁ、今食道を通っていく・・」と味わって食べたらしい。





年を越すと、あっという間に妹は出発し、私は初詣。二日は一人でのんびり過ごした。日付が変わり、一月三日の午前二時過ぎ、ベッドに入ると就寝。翌日はもう少し早く起きて、有意義に時間を使おう、そう思った。



早朝、携帯が鳴った。妙にすっと目が覚めた。電話は母からだった。時計を見ると、朝の七時前・・。母からだったこともあり、この時間帯もあり、私は覚悟して出た。妙に頭が冴えていた。



「もしもし・・あのねぇ、縫さん亡くなったけん・・・」。母が涙ながらに言った。



突然のことだったけど、どこか覚悟していた知らせに、私は少し混乱して、それがほんとうのことだと受け取れるまで実感が湧かなかった。冗談だろうという気持ちもあった。



休みに入る前、総務にもしもの場合は何日休みをもらえるのか聞いていた。あっちから東京に帰るチケットは今いっぱいだろうけど、逆方面なので空席はあるだろうとか、お葬式が二日後のことを考慮すると、一体いつ帰ってどう休みを取ればいいのか、式が終わってすぐ東京に帰るのがいいのか、一日余分に有給を取るべきかとか、やけに冷静にいろいろ考えた。



そんなことを考えていると、どうやらほんとうに祖母は死んだらしいという事実が浮かび上がってきて、私は声を上げて泣いた。



電話を切ると、未だ信じられない事実に襲われる。信じられない、こんなに早く?数日前に会ったばかりじゃないか。あの時、私の手が冷たくて、けれど妹の手は温かくて、交互に握った後、「こっち冷たい、こっち温かい」だのと笑顔で言い、父を指しては「まりちゃん、○○さんのように情のある人と結婚しなさい、情よ」と情の一文字をシーツの上になぞり書きし、私達を笑わせてくれていたのに・・ 死んだ?



十月、十一月と連続して帰省していて、十一月に会った時など、対面してすぐ、「まーだ生きてるのよー!」と声高らかに言い、笑っていたというのに・・ 死んだ?信じられない・・・。



私は今一度ベッドに入り直すと、目の前の真実を信じてなるものかという具合にわんわん泣いた。ようやくパニックが襲ってくる。少し眠ろう。二時過ぎにベッドに入ったばかりだし、寝ていない。でも涙が止まらない。



次に目が覚めると十時だった。もうこの世に祖母はいないのだと感じた。おかしなことだった。



それから、ようやく重い腰を上げ、私はPCを開いた。まずは飛行機のチケットを調べよう。いつ帰るにしろ、まずは空席状況を見なくては。少しずつ頭が冷静になってくる。



葬儀は二日後だった。明日月曜日、仕事始め。一日だけ出社して、次の日から慶弔休みをもらおうか?でも、平気な顔して明日一日働けるのだろうか?おかしくなってくる。それにきっと大量のメールが届いてるはずだから、残業になるはずだし、最終便には間に合いそうもない。翌日の一便もきつい。時間的に余裕があり、動けるのは今日・・。



するとちょうど母から、葬儀が火曜の午前に変更になったとの連絡が入った。私は決めた。今日夕方の便で帰る。荷物をまとめて、出かける準備をしよう。顔を洗わなくては・・。
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Tres bonne annee!
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新年明けましておめでとうございます山太陽



妹ちびたんがクリスマス前に一時帰国し、30日まで地元に帰り、年越しは(残念ながら)東京でした。初めての東京での年越し。伝統を重んじる私としては(?)東京での年越しはどうなるかご機嫌斜めであったのですが、近所の商店街に出かけてみれば意外と風情あり・・。大晦日はちびたんが持って帰ってくれたシャンパンと、フランス人友達(ナポレオンジャケット着用)と紅白観ながらお祝いし、元旦早朝にちびたんは帰国、もそもそと朝遅くに目覚めると、お雑煮を作りました。



その後着物に着替えて近所の神社へナポレオンと初詣に行きました。着物とナポレオン、まるでコスプレみたいな二人でした(笑)。



なんかドリコムブログは閉鎖するらしー・・。移行についていまいち理解してませんがどうにかなるでしょう。



今年の目標は「ぶれない」、です(と言ったら友達に「えっムレない?」と聞き間違えされ笑った)。

いつも心に芯を。強く、悲しまず。いつも笑ってポジティブに、生きていきたい(ちなみに去年の目標「フランスに帰国する」は事情により叶わなかった・・。今年どうなるか?ノープラン)。



それから、自分の創作活動(ライティングに写真)に精を出す!もっと!暇があったら打ち込みたい。そんな感じです。



美しい年、2010になりますように。本年もよろしくお願いいたします。



(写真、上から:地元の湖、家族での会食、鏡の池の占い、初詣、でした。お正月っぽいものを集めてみました。)
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