Previously, mari's paris life


"La France traverse une phase de vulgarite. Paris, centre et rayonnement de betise universelle" - C. Baudelaire :p
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本をよく読む家

わーい、GWで実家に帰ってきたよーん

今日は会社自体が休みになったので、昨日、飛行機で帰ってきた。それにしても、私はなぜなのか、羽田に行く時は毎回ぎりぎりの時刻に到着してしまうのだけど、今回は記録更新、今までで一番ひどい、出発7分前に到着してしまった・・・。ひどいよね(自分で言うな!)。。しかも、世間はGWなので、チェックインのマシーンには人が行列をなして並んでいる。これに並んでいては、自分の飛行機に乗れないことは確実なので、職員の方を探し、名前を伝えると、パーテーションで隠れたところへ職員の方は入っていき、代わりにチェックイン、チケットを発行してもらって、あとは走る走る。優先レーンへ案内してもらうとあとはまたしても搭乗口まで走る走る。

 

これが大体いつものことなのだけれど(ほんとにすいません・・・)。いやーインフォメーション・ボードに自分の乗る便が載っていなかったのって、初めて見た(汗)。ほんと恐怖だ、あれ。

私は羽田まで1時間あれば辿り着くところに住んでいるのだけど、どうしてもいつも、こんなにぎりぎりなのだろう。15分前に着けばいい方だ。いつも1時間半前には家を出るのになぁ。直前まで洗濯したり、干したり、ゴミをまとめてなんかいるから?旅行によく出かける方は分かりますよねぇ、加えて一人暮らしの方は。旅慣れているので、荷造りなんかものの10分でできるが、羽田へ行くのは大のニガテ。今度からはうんと早起きして、2時間前には家を出よう・・。ゆっくりおみやげ探す時間を持つのが夢だ。あぁ。

ってかなりどうでもいいことについて書いてしまった。

 

実家に帰ると、父の料理を堪能して共に酒を飲み、コーヒーを飲み、運転し(Yay!)、地元にいる数少ない貴重な友達に会うことを除くと、大抵、本を読んで過ごしている。もしくは写真をいじっているか。

 

うちには、床が重みで落ちてしまうんじゃないか、ってくらい、特に二階には本が多く、父の書斎なんて一面、壁もひいては床までそこら中本でいっぱいだ。大型の本棚がいくつもあるが、すべてぎっしり、所狭しと本でいっぱいだ。階段にも本、本。あとは父の、(訳の分からん、と言うと怒られる)研究書類がたくさん。

 

前々から思っていたのだけど、本をよく読む家だと思う。私自身の読書量は、まぁ波があるというか、まるで活字中毒みたいに「ひたすらむさぼるように読みたい!」と熱中する時もあれば、何も読まない日々もあるという、平均するとかなり少ない方だと思うのだけど、おやすみを言う前に、両親の部屋を覗くと、起きている限り、父は大抵本を読んでいるし、それも常時、同時に数冊もの種類の本を同時進行して読むようなタイプの人だしで、母も母で、最近は節約して文庫ばかり買っているが、帰省する度に新刊が増えていて、これをかたっぱしから読みたいのだから、家に帰ると眠る前は必ず何か読む。これが習慣となっていて、今のように季節のいい時期になると、庭にガーデンチェアを出し、本を読む。今回からは、なんとガーデンパラソルなるものも買っていて、ますます庭がいい感じ。夏になるとここで炭火でバーベキューもできるし、父の料理を食べながら飲む瞬間は最高ー、だ。是非遊びに来て。

 

という感じで話が反れたが、今回帰省して、今読んでいる本は、鷺沢萠の「ケナリも花、サクラも花」というエッセイ集。元々は母の好きな作家で、私もこのエッセイは高校生の頃に読んでいたが、家の本棚を眺めて、『今回は何読もうかなぁ・・』と物色していると、昔読んだものなのに、また目に留まったので。読んでいる次第。あともう一冊は「ラマン(愛人)」。デュラスの。恥ずかしながら日本語で読んでいなかった。フランスで、数場面だけ読んでいただけだったので。ほんとは去年、カンボジアへ行く前に読んでいたらきっと最高だったのだろうけど。

 

それで、鷺沢さんのこの本だが、最初に読んだ、高校生の頃にこう感じたか分からない。覚えていないのだけど、本作は、筆者が20代になってから知る、自分の体の中に1/4韓国の血が流れていたことから始まる、韓国ソウルでの留学記なのだけど、昨日より再び読み進めてみれば、ページに溢れるのは、鷺沢さんの繊細さ、社会や、外国語を話せないことへの不仕付けな振る舞い、横柄な態度への怒り・・・それらを書き表し、感情のすべてを詳細に書き記しているが、あぁこの人は、生粋の作家で、繊細で、何事も感じずにはいられず、またそれを書かずにはいられず、苦しく生きずにはいられない、そんな人だったのだなぁ・・と、全文に渡って、眼中に迫り来る悲しみに溢れているのに気づいた。

そして、主に社会や、曲がったことへの怒り、過ちを許せない、不器用でひどく傷つきやすい性格から、ある日、自殺してしまったのだと思う。そのことがよく分かった。初めにこの本を読んだ時は、まだ彼女は存命していたのだけど、亡くなってしまった今となっては、いかに繊細で、生きるのに苦しんでいたかよく分かる、そんな文章なのにびっくりした。文面に悲しみ、静かなる怒りがたゆたっているのだ。それが彼女の筆力を通して読み手にはびしばしと伝わってくるので、辛い。悲しい。自分で死を選んでしまった後となっては、さらに。

 

母も、鷺沢さんの死を知った時はとてもショックで、好きな作家であっただけに、ひどく残念がっていた。読者としての、正しい反応であった。新聞記事か何かで、「お茶碗も洗ってなかった、咄嗟の行動だったようだ」と知った折には、さらに虚しく感じていた様子。
確かにね・・・。いろいろ試行錯誤、苦労してみたけれど、この世界で生きるということが、どうしても辛く、苦しいことであったのだろう。それがふと、ある日手に取るようにして、はっきり分かったのだと思う。私にも時々そんな気持ちになることがあるので、それはよく分かる。それに、私もやめておけばいいのに、自分から様々な感情を拾い上げ、読み取り、うんんと深く考え込んでしまうタイプなので、分かることはあるのだ。

その解決策に、死を選んだのなら、苦しむ本人にとっては、非常に尊敬に値する選択肢だったのかもしれないと、残されたものは悔やむしか出来ないけれど、赤の他人としては、そう、ぼうと思ってしまう。基本的に、本人の意思を尊重したい。何においても。その考えが、好きな作家に対しても同じであるということ。それだけだ。

 

 

久しぶりに一週間もこちらに滞在出来るので、毎日何をするか、何もしないのがテーマである。感じるがままに、私も感じたい。そしてそれを、この無機質な、でも感情を載せることによって幾多もの広がりを見せる、文字にしてみたい。言葉にしたい。そしてそれを、フレッシュなまま綴りたい。そう思っている。

 

ゆっくりとした時間が出来、思うまま、気の向くまま書き進めてみることが出来るのは、私にとって最大の喜びであり、大好きな時間だ。内なる感情を言葉にし、整理し、書き連ねることは自分への癒し。そしてそんな言葉たちで、人の感情の表面を、こう、くすぐることが出来たら。それは最大の挑戦であろう。いつかそんなことをやってみたい。本気で。本格的に出来る日が来るかな?

 

早速だけれど、「いいねぇ、こんなに明るくてかわいい、Xperia持った失業者なんておらんね♪」と母に言われたが、私はまだ失業者ではない(笑)!!断固として言っておく。え?詳細はまた今度・・・・。

 

 

ちなみに携帯、ようやく変えました。Xperia、白です。これでいろいろ出来るようになったのでとても便利で助かっております。メール打つのだけは、面倒になってしまったので悲しいけどね・・・。

 

それではまた更新出来ますように。書きたいことがちょこちょこある。時間のあるこの連休中に、数度PCに向かえるといい。それではよいGWを!(と言って逃げる作戦)

 

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