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2017.07.14 Friday
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再びパリ
2010.06.25 Friday
はーーーー。また来てしまった。ほんとうに、懲りない私である。
前出の通り、もうほんとにいろいろなことがあり、今月で仕事を辞め、その一週間後には飛行機に乗った。
今、こちらには妹が住んでいるので、来やすいのもある。妹は、最初全然違うことを勉強していたのに、気がつけば南西部の街(敢えて名前を出すのは伏せる、なんとなく)に一年留学、その後パリにてまた留学、そして今は働いているのだから、なんたることよ。
よく、「姉妹でフランス語話せて、もしかして家族の言語なの?(イコール、両親もフランス語話せるの?」と日本でもフランスでもフランス人に聞かれるが、私の両親は全然フランス語話せません(笑)。父は、最近ラジオ講座で勉強していたようだけど、レッスン3くらいから、「早過ぎてついていけん・・」とギブアップしていた。
しかし、妹がおそらくこちらで結婚し、その後孫が出来るとなると、かわいい孫と話せぬのは辛いと察したのか、両親は、やっと、『そろそろ本気でフランス語やらなきゃいけん・・!』と感じ始めたようである。
前にもサガンのとこでちらっと触れたけど、うちのお母さんは、元々九州出身のせいか、彫りが深く、顔立ちが南欧風で、体格、顔だけはとてーもフランス人風である。
鼻が高いせいか、サングラスをかけるとまさにフランス人。スカーフも巻いてね。事実、パリでもしょっちゅう、母のような着こなしのマダムをあちこちで見かけるので面白い。こそりと笑ってしまう日々だ。
今回も、こちらの友達に両親の写真を見せたら、一人(元々南仏出身)が、「ほんとだ!僕のおばぁちゃんを思い出したよ!!」と言ったので、どうやら現地のフランス人お墨付きと思っていいようである。(てかおばぁちゃんってww)
なので、早く名実ともに、話せるようになって欲しい。父よ、中国語はいいから、フランス語を頑張ってくれ。
もう仕事、プライベート共に、ほんとうにいろいろなことがあって、『もうこれ以上働けない・・!(少なくともここでは!!)』というところにまで達してしまった。
そんな複雑な思いで、飛行機に乗り、『あーもうこれで後はゆっくり映画観て、寝てればいいや(涙)』と思っていたら、隣の席のムッシューが体臭なのか口臭なのか加齢臭なのかがとにかく凄く、折を見てCAさんに「あの・・・」と泣きながら相談すると、返ってきた返事は「あー申し訳ございません・・!あいにく、本日ファーストクラスが満席でして・・」であった。残念。
仕方なく、非常用のマスクをいただき、それを付けて12時間過ごした。可哀想な私である。(間違っても先が尖った黄色いやつではない!!)
ほんとに非常時に使う用らしく、石灰成分だか何だかが入っているらしく、片側が黒くなっている。それを除いては、あとは普通の、インフルエンザの時なんかに使うタイプのものである。非常用らしいが。思わぬ臭いにより、思いがけずファーストクラスへ移動するチャンスを逃した。嗚呼。
ま、そんな感じで無事フランスに到着し、もうすぐ一週間が経過しようとしている。
始めは、観光ビザで滞在できるだけ、つまり三カ月丸々いようと思ったのだけど、ほんとに仕事もしないでこの夏の暑い時期に、三か月もぼーっとして過ごしたら、さすがにこちらの友達にも「マリ・・」って心配されるもしくは日本に帰った後、社会復帰がより困難になると思われたので、というのもまぁ理由の一つで、ほんとはよーく計算してみると、三か月もぼーっとするには資金がちょっと足りないな、という結論に至ったからでごにょごにょ、一応一カ月で留めておいた。
しかし!来てみると、まずは妹の彼氏に早速「で・・一か月毎日何すんの?」と聞かれたり、その後も事あるごとに、いろいろな人に「で・・毎日何してんの?」と聞かれるので、
「ん?ひたすら歩いたり。でまた歩いたり。とにかくぼーっとしてる」と答えるようにしている。開き直って。
しかし、3年近く日本で真面目に働いたおかげで、私の脳はすっかり日本と化してしまって、こうも毎日仕事をしていないのは至極変な気分、どこか落ち着かないのだ。
バカンス、バカンスだよマリ。んーでもなんか生産的なことしていたいなぁ・・そわそわしてしまう。
お金もらえなくてもいいから、何か体を動かしていたいなぁ。頼まれたら何でもやるよ(法に触れること以外)。カフェで働こうかしら。ボランティアでもいい。何か探してみようか。
と思っていたら、先日、最初の上司を通じて知り合った、去年、一緒に宮島へ行った友達と再会した。日曜日の夕方、バスチーユ。
彼とは、いつも日本でしか会ったことがなかったので、「やっとパリだね!」と笑った。
今まで二回も会ったけど、面白いことにいつも日本だった。東京と宮島。去年の夏、私はまたもパリにいたのだけど、そういう時、「ごめん!バカンスでいないんだ」とすれ違う日々。満を期して、ようやくパリで会えたわけである。
そしてその友達も、「実は僕も二カ月前に仕事辞めてね。八月から一年間、オーストラリアに行ってくるよ」ということになっており、「それで今、友達と舞台をやってるんだ。みんな趣味でだけどね。すごく楽しいよ!是非観に来て!」と招待してくれたので、火曜日の夜、観に行ってきた。場所は、ナシオンの近く。市民劇場みたいなところであった。こういう場所が気軽に利用でき、整備されてるのがいいよね〜。
私はピクピュス(6番線の駅)から歩いて行ったのだけど、着くと、あたりは人だかり。たくさんの人が観に来ていた。
『既に大成功じゃん・・!』と私は嬉しい気持ちで、もう一人の友達を待つ。
すると、ナシオン方面から携帯片手に彼が現れ、久々の再会。そして、聞いてみれば、
「僕も今仕事してないんだ。半年前に辞めて、変えたくてね。以来ずっと探している。今日は映画観てきたとこ」
と呑気に言うので、『はっ・・・!やはり、上には上がいるな・・』と膝を打った次第である。うーむ。
まぁ、フランスの場合、失業中でも最低賃金(通称スミック(SMIC))が保障されるらしく、きちんと(かは人次第?)、生活出来る仕組みになっているのが最大の違いらしいが(妹に指摘された。さすがそういうことを専門的に勉強しているだけある。)、それにしても、「今日は映画観てきたとこ」、私もこの、悠々とした態度を見習わなければ・・・・・。まだまだである。そわそわしている場合ではない。
出発前にも、父の友人で、研究友達のジャンとフランソワーズに、
「今日はニュースがあるの。あのね、驚かないでね。仕事辞めることにしたんだっ!その後すぐに、しばらくはパリに行くよ」とメールすると、
「なぁーに、僕もフランソワーズも驚いてないよ。若いっていうのはそういうことだし、いろいろ不確定なことがいっぱい。冒険もいっぱいだ。この時期に、人生をどう"デッサンする"か、学ぶんだよ」という、なんともこれまた素敵なお言葉、一枚上手の返事をもらった。
「人生をデッサンする」、いかにもフランス人らしい、哲学に溢れた、素敵な言葉じゃないか・・。んーあっぱれ XD
という感じで、妹にはケンカの度、「この失業者・・!」と憎しみ余って可愛さ100倍(?)、まことしやかに罵倒される日々が続いているが、友達の悠々とした態度を見習って、私もここは一つ、"Great Unemployed(偉大なる失業者)"として堂々と過ごすことにする。"Je suis au chomage.(私は失業中です)"、そうそう使わないフレーズだと思うけど今日のワンポイントレッスン、是非使って下さいw
今は、先のことなんて全然考えられない・・。ただ、セーヌでぼーっとしたい。あはは。人は、時に「休む」という勇気ある決断を取らなければならないということ、そしてその決断を、様々な事情により取れず、体はおろか、心まで病んでしまった友達を、私は何人か知っている。そこまでとは行かなくても、自分がどの程度の具合だったのか、自分ではいまいち分からないけれど、辞表のメールを出した時、その後、退職届に印を押す時、間違いなく、『これは人生で大事な捺印の一つだな』と感じた。辞めると決断し、そしてそれを実行に移すことが、あんなに勇気の要ることだとは分からなかった。
正しい決断だったのか、まだ答えは出ていないし、まだ分からないけど、私はあの時、自分を押した、確かなる感情、勇気を信じたい。
・・また書きます。
前出の通り、もうほんとにいろいろなことがあり、今月で仕事を辞め、その一週間後には飛行機に乗った。
今、こちらには妹が住んでいるので、来やすいのもある。妹は、最初全然違うことを勉強していたのに、気がつけば南西部の街(敢えて名前を出すのは伏せる、なんとなく)に一年留学、その後パリにてまた留学、そして今は働いているのだから、なんたることよ。
よく、「姉妹でフランス語話せて、もしかして家族の言語なの?(イコール、両親もフランス語話せるの?」と日本でもフランスでもフランス人に聞かれるが、私の両親は全然フランス語話せません(笑)。父は、最近ラジオ講座で勉強していたようだけど、レッスン3くらいから、「早過ぎてついていけん・・」とギブアップしていた。
しかし、妹がおそらくこちらで結婚し、その後孫が出来るとなると、かわいい孫と話せぬのは辛いと察したのか、両親は、やっと、『そろそろ本気でフランス語やらなきゃいけん・・!』と感じ始めたようである。
前にもサガンのとこでちらっと触れたけど、うちのお母さんは、元々九州出身のせいか、彫りが深く、顔立ちが南欧風で、体格、顔だけはとてーもフランス人風である。
鼻が高いせいか、サングラスをかけるとまさにフランス人。スカーフも巻いてね。事実、パリでもしょっちゅう、母のような着こなしのマダムをあちこちで見かけるので面白い。こそりと笑ってしまう日々だ。
今回も、こちらの友達に両親の写真を見せたら、一人(元々南仏出身)が、「ほんとだ!僕のおばぁちゃんを思い出したよ!!」と言ったので、どうやら現地のフランス人お墨付きと思っていいようである。(てかおばぁちゃんってww)
なので、早く名実ともに、話せるようになって欲しい。父よ、中国語はいいから、フランス語を頑張ってくれ。
もう仕事、プライベート共に、ほんとうにいろいろなことがあって、『もうこれ以上働けない・・!(少なくともここでは!!)』というところにまで達してしまった。
そんな複雑な思いで、飛行機に乗り、『あーもうこれで後はゆっくり映画観て、寝てればいいや(涙)』と思っていたら、隣の席のムッシューが体臭なのか口臭なのか加齢臭なのかがとにかく凄く、折を見てCAさんに「あの・・・」と泣きながら相談すると、返ってきた返事は「あー申し訳ございません・・!あいにく、本日ファーストクラスが満席でして・・」であった。残念。
仕方なく、非常用のマスクをいただき、それを付けて12時間過ごした。可哀想な私である。(間違っても先が尖った黄色いやつではない!!)
ほんとに非常時に使う用らしく、石灰成分だか何だかが入っているらしく、片側が黒くなっている。それを除いては、あとは普通の、インフルエンザの時なんかに使うタイプのものである。非常用らしいが。思わぬ臭いにより、思いがけずファーストクラスへ移動するチャンスを逃した。嗚呼。
ま、そんな感じで無事フランスに到着し、もうすぐ一週間が経過しようとしている。
始めは、観光ビザで滞在できるだけ、つまり三カ月丸々いようと思ったのだけど、ほんとに仕事もしないでこの夏の暑い時期に、三か月もぼーっとして過ごしたら、さすがにこちらの友達にも「マリ・・」って心配されるもしくは日本に帰った後、社会復帰がより困難になると思われたので、というのもまぁ理由の一つで、ほんとはよーく計算してみると、三か月もぼーっとするには資金がちょっと足りないな、という結論に至ったからでごにょごにょ、一応一カ月で留めておいた。
しかし!来てみると、まずは妹の彼氏に早速「で・・一か月毎日何すんの?」と聞かれたり、その後も事あるごとに、いろいろな人に「で・・毎日何してんの?」と聞かれるので、
「ん?ひたすら歩いたり。でまた歩いたり。とにかくぼーっとしてる」と答えるようにしている。開き直って。
しかし、3年近く日本で真面目に働いたおかげで、私の脳はすっかり日本と化してしまって、こうも毎日仕事をしていないのは至極変な気分、どこか落ち着かないのだ。
バカンス、バカンスだよマリ。んーでもなんか生産的なことしていたいなぁ・・そわそわしてしまう。
お金もらえなくてもいいから、何か体を動かしていたいなぁ。頼まれたら何でもやるよ(法に触れること以外)。カフェで働こうかしら。ボランティアでもいい。何か探してみようか。
と思っていたら、先日、最初の上司を通じて知り合った、去年、一緒に宮島へ行った友達と再会した。日曜日の夕方、バスチーユ。
彼とは、いつも日本でしか会ったことがなかったので、「やっとパリだね!」と笑った。
今まで二回も会ったけど、面白いことにいつも日本だった。東京と宮島。去年の夏、私はまたもパリにいたのだけど、そういう時、「ごめん!バカンスでいないんだ」とすれ違う日々。満を期して、ようやくパリで会えたわけである。
そしてその友達も、「実は僕も二カ月前に仕事辞めてね。八月から一年間、オーストラリアに行ってくるよ」ということになっており、「それで今、友達と舞台をやってるんだ。みんな趣味でだけどね。すごく楽しいよ!是非観に来て!」と招待してくれたので、火曜日の夜、観に行ってきた。場所は、ナシオンの近く。市民劇場みたいなところであった。こういう場所が気軽に利用でき、整備されてるのがいいよね〜。
私はピクピュス(6番線の駅)から歩いて行ったのだけど、着くと、あたりは人だかり。たくさんの人が観に来ていた。
『既に大成功じゃん・・!』と私は嬉しい気持ちで、もう一人の友達を待つ。
すると、ナシオン方面から携帯片手に彼が現れ、久々の再会。そして、聞いてみれば、
「僕も今仕事してないんだ。半年前に辞めて、変えたくてね。以来ずっと探している。今日は映画観てきたとこ」
と呑気に言うので、『はっ・・・!やはり、上には上がいるな・・』と膝を打った次第である。うーむ。
まぁ、フランスの場合、失業中でも最低賃金(通称スミック(SMIC))が保障されるらしく、きちんと(かは人次第?)、生活出来る仕組みになっているのが最大の違いらしいが(妹に指摘された。さすがそういうことを専門的に勉強しているだけある。)、それにしても、「今日は映画観てきたとこ」、私もこの、悠々とした態度を見習わなければ・・・・・。まだまだである。そわそわしている場合ではない。
出発前にも、父の友人で、研究友達のジャンとフランソワーズに、
「今日はニュースがあるの。あのね、驚かないでね。仕事辞めることにしたんだっ!その後すぐに、しばらくはパリに行くよ」とメールすると、
「なぁーに、僕もフランソワーズも驚いてないよ。若いっていうのはそういうことだし、いろいろ不確定なことがいっぱい。冒険もいっぱいだ。この時期に、人生をどう"デッサンする"か、学ぶんだよ」という、なんともこれまた素敵なお言葉、一枚上手の返事をもらった。
「人生をデッサンする」、いかにもフランス人らしい、哲学に溢れた、素敵な言葉じゃないか・・。んーあっぱれ XD
という感じで、妹にはケンカの度、「この失業者・・!」と憎しみ余って可愛さ100倍(?)、まことしやかに罵倒される日々が続いているが、友達の悠々とした態度を見習って、私もここは一つ、"Great Unemployed(偉大なる失業者)"として堂々と過ごすことにする。"Je suis au chomage.(私は失業中です)"、そうそう使わないフレーズだと思うけど今日のワンポイントレッスン、是非使って下さいw
今は、先のことなんて全然考えられない・・。ただ、セーヌでぼーっとしたい。あはは。人は、時に「休む」という勇気ある決断を取らなければならないということ、そしてその決断を、様々な事情により取れず、体はおろか、心まで病んでしまった友達を、私は何人か知っている。そこまでとは行かなくても、自分がどの程度の具合だったのか、自分ではいまいち分からないけれど、辞表のメールを出した時、その後、退職届に印を押す時、間違いなく、『これは人生で大事な捺印の一つだな』と感じた。辞めると決断し、そしてそれを実行に移すことが、あんなに勇気の要ることだとは分からなかった。
正しい決断だったのか、まだ答えは出ていないし、まだ分からないけど、私はあの時、自分を押した、確かなる感情、勇気を信じたい。
・・また書きます。
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