Previously, mari's paris life


"La France traverse une phase de vulgarite. Paris, centre et rayonnement de betise universelle" - C. Baudelaire :p
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すべては言葉探しの旅
 私がこうして、ここで、つらつらと文章を書き続けているのを知っているのは数少ない。留学していた時にそもそも、いちいちメールを送らなくても自動的に私の近況を知ってもらえる場があれば便利だな、と思って始めたものの、その後自分でも予想していなかったくらいライティングのブログになりつつある。自分でもここまで文章を書くのが好きだとは思っていなかった。ライティングは発散なのだ、私にとって。

ここの存在を打ち明けられる友達というのもまた限られていて、こうしてオープンスペースでのんびりとやっているものの、いざこちらから伝えるのとでは意味が違い、誰も信じてくれないけど私はひどく恥ずかしがり屋なので、なかなか伝えられる人というのは少ない。大学の頃の友達、そして家族、というのが主で、特に、社会人になってからここのことを教えた友達というのはほんとうに数少ない。一人か二人くらいではないかと思う。

フランスの友達もまた同じで、もう5年もの付き合いであるし、来る度に心底良くしてくれるしで、常々打ち明けたいなぁと思っていた。別にそうすることで、何か大きな意味合いを持つわけでもないけど、私が文章を書く、書かずにはいられないという性格を知ってもらうことで、さらに私という人間をよく知ってもらえるきっかけになるかなぁと。思った次第である。そしてそれには然るべきタイミングというのが必要なのだ。それを手招くのは難しい。

その日、親友のファニー様とオペラで会った。仕事帰りに一杯飲もうよということであった。一杯飲もうよと言っても、彼女はそんなにお酒を飲まないので、それは社交辞令というか、いわば記号のような言葉であって、私も旅立ちの日が近付いてきているしで、週末だけでなく平日の夜も会いたい、と思って誘ってきてくれたのが嬉しかった。彼女はなかなか忙しい仕事をしているので、残業も多いし、会えないことも多い。何より出張が多い。しょっちゅうヨーロッパ中を飛び回っている。羨ましい限りだ。

オペラ・ガルニエの前の、ランセルの店の前で待ち合わせる。日仏ハーフの彼女は、いつも決まって時間より前に現れる。遅刻するのは純日本人の私の方だ。最も、それは外国ではFashionably Lateと許される枠のものだけれど、ファニー様を待たせたくはないし、彼女との待ち合わせはいつも身が入る。今日こそはの面持ちで行くと、やはり、彼女はとっくに到着してるのであった。

彼女の親戚が経営してるという、エチエンヌ・マルセル界隈にあるバーにでも行くのかなと思っていたら、向かったのはすぐ手前にあるスターバックスであった。「ここ知ってる?」「スターバックスでしょ?」「違う、中見て」と笑顔で示された先には、広がる、見事に美しい絵画、天井画。イタリアルネッサンスの、とはいかないけど(それとは違う時代であろう)、まるでどこまでも広がるような高い高い、薄いオーブ、バラ色をまとったような美しい絵である。シャンデリアも素晴らしい。元は、何かイタリア様式の別の建物に使われていたようだが、数年前スターバックスに買い取られたらしい。レジ付近のテーブル、カウンターも皆全て濃い茶色で統一されていて、調和している。"Ils ont fait beaucoup d'attention(よく注意したのね)"とはそういう意味だ。この絵を殺さないために、生かすために。こういう時発揮する、フランス人の美的感覚というのはやはり伝統に因るものが大きいと思う。

恋愛、ショッピング、日々のこと、仕事・・・と、我々が話すのはそこら中の女の子と大して変りない、日常のことだが、話は尽きない。私が少し仕事を探していたこと、東京に帰って今後どうするかという話に触れた際、縁が巡ってきたかな、という空気を感じて、私としては思い切って伝えてみることにした。「人生でやりたいことは山程あるけど、ライフタイムドリームというのは実は小説家になることなの」。すると返ってきた返事は、「私もよ!」。

「マリがもの書くって聞いて、やっぱり、全然驚かないわって感じよ。マリはいつも、自分が使う言葉とか言い回しにすごく注意してる、気を遣ってるって分かるもの。それが伝わるの。マリが使うフランス語、構成力というのかな・・・・・・」とまことに嬉しいお言葉まで言ってくれた。有難い。私としては無意識、好きなように喋っているつもりだったのだが、フランス語ネイティブの彼女から聞くと、そういう点が目に付くのだなと思って非常に興味深かった。その言語を母語として介する人のみ分かる違い、深み。私の興味を引いて止まない。

「私はね、プルーストを読むから・・・・」と彼女は恥ずかしそうに言った。プルーストを読むとは少し独特のニュアンスがある。独自の暗い好みがある、というのを体現するようなもので、それがすぐに分かると、少しだけ恥ずかしそうにそう打ち明けてくれた彼女のことがますます好きになる。「全部じゃないけどね」「あぁ、全部は無理よね!」「スワン家の・・だけでもあれだけ長過ぎるもの」とジョークも言う。ほんとうに、プルーストとはよく書く人物であったことぞ。その話をすると、後期の先生が、人生で三度も全巻読破した、と誇らしげに言っていたのを思い出す。あぁ懐かしい。文学の授業。

ものを書く、と言っても無論プロフェッショナルではなく、生計も立てていない趣味のレベルであるが、それでも茶化したような反応が返ってこない、真摯に受け止めてもらえる、ましてや「やっぱり・・全然驚かないわ」とまで言ってもらえるのは初めてのことであった。私がこの告白をしなくとも、ファニー様は私という人物をよく捉えていてくれたのだな、と嬉しいこと限りない。私が日々、言葉選びに、極めて慎重になり、注意を払っている様を、気付いていてくれたのだなと思うと、伝わっていた喜び、これからもそういうエナジーを出し続けたい。

読書も、自分の言葉データベースに新語を追加するインプットの作業というか、そこから応用し、自分の趣向を加え、こうして書くというアウトプットの作業の際、無意識の中で参考にしている。そういうソースなのだ、私にとって。尽きることのない、泉のような文章を書きたいと思う。自然と流れるような。さらさらと伝うような。語感がいいような。彼女とは、日本語が母国語でいかに嬉しく感じているか、という話もしたのだけど(それを言うと彼女も同じタイミングで「私もよ!私もフランス語が母国語ですごく嬉しい」と言ったので同じ気持ちで嬉しかった)、日本語が少ししか話せないファニー様にとっては、「日本語のね、文法があるようでないところ、フレキシブルで、自由なところが好き。ひらがな、漢字、カタカナなのか、筆記で語気が変わるような、主語をわざと後に持ってきて特別な効果を狙うとか・・・そういう自由なところが好きなの。そういう点が、私を自由に書かせてくれる」と勢いに任せて口から出てきたものそのままを言うと、わぁっと興奮したような、高揚した顔を見せてくれた。嬉しい。ファニー様には、昔、大学の頃に英語かフランス語で書いた数少ないテキストが幾つかあるはずなので、それを送る約束をした。是非読んでもらいたい。感想・批評が欲しい。そしてそれらを自分の中に取り込み、昇華したい。自分を高めたい。自分のライティングを高めることは私にとって、自分という人間をも高めることにつながるから。


すべては皆、言葉探しの旅だなぁ・・・。私にとって、前出の読書も、美術館で名画を観ること、美しい装飾品、モードに触れること(と言えば昨日言ったYSL展はほんとうによかった・・於プチパレ)、美しい音楽を耳にすること、古い映画を観ること(もちろん最近のものも)、写真を観て、そのテクニックに惚れ惚れすること・・・そして、ただ、日々外を歩くだけで飛び込んでくる、無数の事柄、何のことない、時には美しいものさえ、風景、街、光、そして人々・・が、私の中から弾むように言葉を織りなし、生まれ出てくるのだ。まるで蛇口をひねると注ぎ出る、水のように。目にするもの全て、つたない言葉でものにしたい。対象に言葉を与えたい。具肉化したい。


私にとって、日本語、英語、フランス語、その全てが私にとって言葉である。書くのは一番、もちろん日本語が強いんだけどね。当たり前か。英語は大学で散々エッセイ書かされたので、学術的には行けるけれど、フランス語は・・・・駄目、まだまだ奥が深い。読むにはなぜか問題ないのだけど(それはフランス語が非常にメカニックな造りをしているからだろう)、詩的、ましては私的な感情を露わにしようと思ったらフランス語はまだまだ遠い壁である。いつか、この壁も取っ払えるといいのだけど・・・・日本語の奥行きの深さ、三通りもの表現方法、音の美しさが私を虜にして離さない。そりゃ、日々、フランス語が母国語だったら(どれだけ楽だろう・・・)という思いに駆られっぱなしだが、それでも日本語で書くことが出来てよかった。愛している。

失業者でいる間、いっぱいものを読み、書く作業をしたい。はは。

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ソニアのこと
 立て続けに起きること、連続して耳にする話、目にする言葉などは何か意味があるのだろうか?それらは私に、何か一体、伝えたいのだろうか?悪い癖で、そういう、つまらないことを長々と考え込んでしまう。

ソニアの話を聞いたのは、友人からであった。直接は知らない。パリに着いて、親友の彼女といつ会えるか、早々に胸高まる中メッセージを送ると、返ってきた返事はそう明るくないものであった。「友達の一人が亡くなって、今朝埋葬があったの・・・。おかげでくたくた。悲しくて参ってる。悪いけど週末まで会えそうにないわ」何てこと・・・・・

人が亡くなるのは悲しい。今年に入ってから最愛の祖母を亡くして、半年が経てど、私の心はまだ癒えぬままだ。死というものが惨過ぎて憎い。私は人が死ぬという、当たり前過ぎる事実が怖い。愛する人を無残にも連れ去ってしまう、擬人化するところの死神、死そのものが怖い。不可抗力だから。


そして数日後、元気になった彼女に会うと、待っていたのはさらに衝撃の事実だった。「大丈夫?私も今年おばぁちゃん失くしたからね、よく分かるよ」「自殺だったの」  え・・・・?

「名前はソニア。元々姉の友達でね。自分でビジネスをやってた。ちょっと日本人みたいで、生真面目っていうか、ちょっと完璧主義なところがあって。前日まで、クラブで踊ってたのよ。踊り狂ってた。それはそれは、そんなこと微塵も感じさせないくらいにね。その後、部屋に入ると、親しい友達全員に宛てた手紙があったの。家の中もきっちり整理されてて、全部見事にファイリングされてた。そんなのって・・・信じられる?」 私は言葉も言えない。

てっきり、と言うのも失礼な話だが、彼女と同年代、もしくは少し上の友達と聞いていたので、てっきり病気か何か、不慮のことだと思っていた。大事な友達を一人失くしたと聞いただけで私の胸も痛んだ。そしてその原因が自殺と知った際、もっと痛んだ。信じられない。

「信じれない・・。そんなのってある?てかね、日本ではそういう話けっこうあるの。仕事だけして、没頭して、気が付いたら私生活は・・っていうね。寂しさに耐えられなくて、っていう。日本ではよく聞くの。けどフランスでも?信じられない・・・・」 彼女も私と同じ気持ちみたいだ。

「そうなの、フランスではすごく少ない。みんな自分の人生を謳歌してる。そりゃ彼氏がいない子だっているけど・・・・手紙にはね、『自分で選んだことなの。悲しまないで。落ち込まないで。私の選択肢なの。』って書いてあったの。それは分かるけれど、それでも、どう受け止めていいかみんなすごく複雑で・・時間が要ったわ・・」 最もだと思う。

フランス人がよく言う、"C'est ton choix."という言葉には、文字通り「それはあなたが選んだこと」という鋭く刺さる、一見冷たいようなニュアンスも含まれるが、それと同時に、各々の意思を尊重するというか、一度決めたことは貫き通す、それが個人の選択肢なのだから、という意味が込められていて、まぁ何かと便利なフラーズだ。しかし、自分で自分の命を絶つと決めた際、"C'est mon choix."というのは、こちらとしてはどう受け取ったらいいのだろう・・・。計り知れない。友達も、そのお姉ちゃんも知っているが、皆辛かったに違いない。

「こういうこと、フランスではすごく少ないからね・・。ほんとに事態を受け止めるのに数日かかったけど、尊重するしかないわね・・」と友達は悲しそうな顔で言う。そんなの無理に決まってる。

「ちょっと完璧主義なところがあって、何か一つでも上手くいかないとすごくへこんだり・・そういうのって、楽観的に構えてないと駄目よね。自分自身に居心地が悪いと・・辛くなってしまうわ」

自分自身に居心地が悪い、これを"etre mal dans sa peau"と、自分自身の肌の中で居心地が悪い、と言うのだけど、この表現も実に的を得ているというか、言い返せば、自分自身の体、入れ物、容器で居心地が悪い、幸せでないというのは基本的な、不調のサインなのだと思う。フランス語って、体の器官やちょっとした名詞に、絶妙なくらい気持ちを現すフレーズ、言い回しに富んでいて、そういうのを知る度に、感服してしまう。

自分の肌で居心地が悪いか・・・。そうだよなぁ、まず自分自身を愛してあげないとなぁ。甘やかすでなく、自分を愛すること。そして時に、上手くいかないことがあっても、大目に見る、大きな気持ちで臨む、悲観しないことが大切である。そのためのラテン民族ではないか。自分の肌で居心地が悪いのと、それは自分がした選択肢なのだという尊重の間で、友達も、皆揺れただろう。

死とは何なのだろう。ソニアのように自分で選ぶ死、祖母のように、年を重ね、自然と近付いてくる、病による死との違いは。昨今、自殺の懸念についていろいろと叫ばれているものの、ソニアのように自分で選びとった死、これは自分の選択肢なのだからと突きつけられたら、近親者は尊重するべきなのか、それでも反対を訴えるべきなのか、その答えは分からない・・。生きているだけで辛い、今日という日を越すだけでやっとだという場合、自分の人生をやめてしまう、自殺というのは最も直接的な解決策だと思う。それでも、人生はほんとうに辛いだけなのか、何かいいことがあるんじゃないか、それを知るために生きてみるのも悪くないように思う。


ソニアの話を、折にふれて思い出し、考えていたら、今度は知人のtwitterで二階堂奥歯という、同じく自害した物書き、厳密には編集者だった、人のことを知り、まったく・・・同じようなことが続けて起きることはあるのだな。彼女の本、自身のウェブサイトで続けていたものを本に起こしたものだが、サイトの管理人である彼女自身が亡くなってしまい、加えて最期の挨拶まで自分で記してあるという(つまり自殺する直前、ほんとうに最期のメッセージだ)、この本自体は、幾つかレビューを読んだが、感受性の強い私には勇気がなく、読めそうにない・・。興味はあるのだけど。そして日々、目的もなくただぼんやりと歩いている時に、私は絶え間なく考え事をしているので、距離が増えるのに連れてそれとなく考えが次第に輪郭を帯び、まとまってくると、こうしてPCに向かい、アウトプットの作業に入る。



前回の記事に戻るが、先日カフェのテラスで会ったおじさんにもらった本は、詩人ランボーの最期の数日間を記したものである。

今日、モスクに行き、ミントティーを飲んできた。今住んでいるところから近い。徒歩10分くらいだろうか。

おじさんにもらったこの本は、15cm × 10cmとほんとうに小さな薄いポケット版の本なので、モノプリで買った、丸い茶色のポシェットに入れて、一緒に持って行った。ミントティーと一緒に読む作戦だ。人間観察だけでも十分面白いのだけど、今回の滞在は、本をよく読むためでもあったため。


今日は続きの第二章を読んだ。段々と、しかし確実にランボーの容体は悪くなっていく。妹イザベルも筆まめである。すべて母親に宛てた手紙なのだが、事細かに記してある。病室で、シーツを変えたりコーヒーを飲ませたり、食事を食べさせているだけでは暇なのだろう。


ランボーは死ぬ。妹イザベルだけに看取られて。薄い、小さな本なので、ラストに辿り着くのは一瞬のことだろう。既に亡くなった偉大なる詩人の最期数日間、これ以上読み進めるのは怖い。イザベルの手紙があまりにリアルなので、自分までもこの時代に生き、ランボーを見舞いに行き、同じ暗い、物悲しい病室にいるのではと、バーチャルに感じてしまう。そして彼が死ぬのを分かっている。彼自身、分かっている。死ぬと分かっているのに、そのことを自分の目で追い、知ってしまうのは怖い。死は不可抗力だ。物語の結末と同じように。



ソニアの話は、この様にして私の記憶に残った。
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不思議な出逢い
 えーーーー。私はすっかり食あたり(てか自分のせい)から復活して、早速ひどい酔っ払いっぷりも妹の引っ越しパーティーで披露した模様、なんだかまぁ今に始まったことじゃないけど、全然パリらしくない記事ばかりでごめんなさい。始めに謝っておく。まぁ、別に元から華の都パリ的なブログは目指してないのだが・・それでも。食あたり(だから自分のせい)という汚い記事ばかりで大変申し訳ない。えーん、えーん。


何の帰りだったのか、マレでいつもの古着屋めぐりをした後だったのか、なんとなくふらりと界隈を歩いた後だったのか、それとも近くにあるヨーロッパ写真現代美術館だっけ?の帰りだったのか、とにかく、歩き疲れてどこかカフェに入ることにした。ある日の夕方。

目に付いたのは、カラフルな金属製のイスが並ぶ道路に面したカフェ。遠くからでも感じが良さそうである。ここで休むことにしよう(おばぁちゃんくさい)と決めて、入ることにした。

隣のテーブルに座る男性が鼻血を出して、テーブルの上に大量の血にそまったティッシュを放りっぱなし、それを見てお店のマダム「何事か」と驚愕、すると少し離れたところにある公共のゴミ箱に、トイレから戻ったムッシューがすぐティッシュの山を捨てに行ったものだから一件落着した。マダムはアルコールスプレーで必死にテーブルを拭く拭く。男性は立ち去る。そんなところの横に座った。ってまた話が全然パリっぽくない方向にエスカレートしている。いかんいかん、気を付けよう。バラの香りがするような、そんなかほりが漂うような文章を目指さねば(無理)。

ま、とにかくそれでも感じがよかったので、席に着くと、いつものアロンジェ(エスプレッソのお湯割り)を頼む。右隣には、何やら数冊もの本をテーブルに並べ、一心不乱に読みふける男性。私はさっき、街角でもらったA Nous Parisというフリーペーパーをかばんから取り出すと、とりあえずの読み物として読み始める。するとコーヒーがやって来る。少しだけお砂糖を入れたアロンジェというのは格別に旨い。


天気もちょうどよく、暑くもなく、かと言って涼し過ぎるわけでもなく、ちょうどよかった。薄手のカーディガンを羽織るくらいの夏が好きだ。

フリーペーパーには大した記事は載っていないのだけど、レトロな表紙の写真に惹かれて、何となく一枚手に取ってしまった。中には、パリ・プラージュの特集が組まれている。

ぱらぱらと、目的もなくただページをめくっていると、そのうち右隣のムッシューに話しかけられた。「パリはご存知?」

先程、ちょうどフリーペーパーを手にした直後辺り、角を曲がる瞬間に、会社のような何か建物から出てきたおじさんに、"Paris is beautiful!"と話しかけられ、うんざりした直後だったものの(そんなの知ってるよ!って感じだ。だからこうして何度も来てしまうんじゃないか)、このおじさんの"Vous connaissez Paris?"は、突然かつ嫌みがないというか、異国で一人ぼっちでカフェを飲む、いたいけな観光客に見えたのだろう、私を気遣って、優しさ溢れた目線で話しかけてきてくれた、ので、そんなに私の気を悪くはさせなかった。それに、先程からちらりと観察していた限り、このおじさんのちょっと乱れた、伸びきった白髪の髪、古びた黒縁メガネ、大量の本を読みふける様、に、母方の伯父を思い出して、なんだか勝手に親近感を感じたところであった。

パリはご存知?と聞かれても、ご存知も何もむしろ恥ずかしい事実であるが、私は東京よりずっとパリの方が詳しいだろう。けれど、いかにして嫌みなく返事をするものか、一瞬にして考えているうちに、「えぇ、えぇ、えーっと何て言うか、ちょっと複雑なんですけど、昔、学生の頃に一年住んで、また先月から仕事を辞めてこっちにやって来たので、パリは大好きです」とかなんとか答える。するとおじさん、ますますニコニコ、嬉しそうな顔するので、こっちも段々とほぐれてくる。あぁこの人は、生粋の本好きな顔をしている。目を見れば分かる。

「あぁ、そうなの。それはいいですねぇ。私はね、元々パリの生まれだけれど、車や、人や、自転車が増えるのに従って、この街は変わってしまってねぇ。静かで、最高の8年間を過ごした後、南仏に移ってしまったよ。家族と一緒にね。私は本屋をやってるんだ。アヴィニョンでね。今日も本屋巡りをしてきたとこだよ」と言って、テーブルの上のコレクションをぱらぱらと見せてくれる。

そうか、本屋。確かに本屋の主人って職業がぴったりの顔だった。この上ない。「本屋ですか!最高ですねぇ」

「本が好きでね、読まないと生きられない。あなたは・・・どこの出身?あぁ日本。日本と言えばね、もう4年くらい前かな、今日みたいにパリからアヴィニョンに帰る電車の中でね、飾り気のない、髪の毛も真っ黒で、英語も二言くらいしか話せないような、ほんとうに生粋の日本人で、荷物をいっぱい持ったね、女性の観光グループに出くわしてね。彼女達、荷物は車両の中の荷物置き場に置いて、座席へ着けばいいのに、盗られたら怖いからってその場をじっと離れなくてねぇ。『大丈夫!ここに置いておいて。席はいっぱいあるし、座りなさい、座りなさい!』って言ってねぇ。アヴィニョンに着いてからも、どこに行っていいか分からない、ホテルの場所までも分からないっていうんだから、車でね、送ってあげたよ。はっはっはっは。こういうことが放っておけない質なんだ。そしたら彼女達、『これはほんのお礼です、どうか受け取って下さい。』ってこれをくれたよ」と、大事に財布の奥底へしまっていた、千円札をおじさんは見せてくれた。几帳面に薄く、丁寧に畳んであった。

「これはいくらくらいなのかね」とおじさんは聞く。
「あぁ!それは大体10ユーロくらいよ、9か、8か・・・・お昼ごはんが食べれるわ」と私。
「そう。じゃあいつか日本に行った時に役に立つだろう」 そう聞くと、私も自然と笑顔。

「あなたが読んでた新聞は何?」 おじさんは、ちゃあんと私が読んでいたものまで何なのかチェック、気になっていたみたいだった。「あぁこれは・・・ただの、フリーペーパーで・・。そんなに大したことは載っていないの、ただ表紙の写真が気に入ったから、記念に取っておこうかなと思って」。と言うとおじさんはふむふむと興味深そうに見つめた後、満足したみたいだった。とにかく活字という活字、印刷物が気になるのかもしれない。「そう、Metro(同じくメジャーなフリーペーパー)とか20 Minutesなら知ってるけどね、それは知らないなぁ」「あー・・これは新しいのかもしれないわ、数年前までなかったもの。私もよく分からないけど」

「そう。本屋をやっていてね、最高なのは、その自分のアヴィニョンの店でだけど、あなたも日本人だし、それで思い出したんだが、ある日ね、一人の日本人女性がやって来てね。中世の作家の本や、詩集、舞台脚本なんかを数時間読みふけってね、嬉しそうに数冊買って行ってくれたよ。そういうのは本屋として最高の瞬間、至福の時だよ。今じゃフランス人でさえ知らない、忘れてしまったような、誰も読まないような中世の作家の本をね、日本人がね、買っていくんだからね。面白いったらないよ」と、おじさんはその中世の作家の名前まで引用してくれたのだが、一瞬のことだったので、忘れてしまった。耳にしたことはない名前だった。

「はは、それは確かに面白いですね。分かります。彼女、ひょっとしたら研究者なんじゃないのかしら」 大学のN先生のことが思い浮かぶ。若い、女性で、中世の何かを研究している人・・。まさか・・・いやいや。
「そうだね、確かに近くに研究機関がある。あぁ、あぁいうのは最高の瞬間だ。本屋としての喜びだ」と、おじさんは、決してその女性が真剣に品定めをする様子を笑うでもなく、持ち前の優しい眼差しで、微笑んで過ごし、優しい午後の木漏れ日が差すようなまどろんだ店内で、おじさんは何一つ言葉を発するわけでもなく、女性はただ一心不乱に黙々と本を選び、読み、二人は静かに同じ時間を共有して過ごしたんだろうなぁと、咄嗟に想像してしまった。そんなのっていい、最高だ。

「そうだ、あなた、本好きならこの本屋はご存知でしょう」 おじさんはそう言って、一冊の本を差し出してくれる。見ると、薄い、小さな小さな本だった。"Rimbaud Mourant"、「死にゆくランボー」とある。ランボー!

何という幸運か。私がランボー好きだと知ってのことか(いやもちろん知るはずはない)、それにしても何たる偶然。「ここの本屋がね、パリで一番安い。ご存知でしょう?ノン?」・・恥ずかしいことに知らなかった。

Mona Lisait. モナリゼ。かの有名なモナ・リザと「モナは読んでいた」とかけている、言葉遊びの面白い店名だなと思う。「いえ・・すみません、何ですか??古本よりも安いの?」

「おーらら。モナリゼを知らないとはね。ここはね、何の本だってあるよ。新品も、古書も、何だって正規価格以下、時には半額以下のものだってある。パリ市内に数店舗あるから、行ってみるといい。パヴェ通りのは、ほら、このすぐ裏だ」と言って、おじさんはショップカードを見せてくれる。と同時に、ランボーの本も。

「これはね、私はもうさっき読み終わったから、あなたに差し上げますよ。これはね、ランボー、ご存知でしょう(「えぇ大好きです」と即答する)、ランボーが病に伏している時にね、その妹が母親に向けて書き記した手紙を集めたものなんだよ」・・・なんと。なんと興味ある内容か。


ということで、親切にもこのムッシューにこちらの本をいただいてしまい、ちょこちょこ読んでいる。今ざっと調べたところ、筆者のイザベルはランボーの末の妹で、この本の日本語訳は「ランボオの終焉」というらしい。絶版だそうな。


まだ第一章の3ページくらいしか読んでいないのだけど、何というか、この家族はやはり文才に秀でた家族であったのだろうか、妹イザベルの記す力もなかなかのものであるというか、それは私がランボーに思い入れがあるからなのか、私的には途中ぐっと涙を誘われる描写もあったりして、胸にきた。連日、どんどん弱くなりつつある病床のランボーの様子が綴られているが、その姿、お医者様とのやり取りなど事細かく書き記され、胸に詰まるものがある。早熟の天才、そっと、妹イザベルにだけ看取られて苦しい病と闘いながら死にゆく様・・・。切ない。

長い間、全くフランス語では読書していなかった。いかんいかん。久しぶりに仏語で読んだけれど、まだすいすい読めて、ほっとした次第である。途中、分からない単語があったとしても、前後なりから意味を察するとして、後で辞書で引くとして、なんとか読めるものである。そして、これはランボーの書に限って言うことではないが、美しい文章というものは、何語であっても、その言語を解する限り、美しい文章というものは自然と目を引き、心に残るものである。何というか、ページ上、そこだけ突出している美しさがあるのだ。それは不思議と目に見える。私はいつも、外国語で読書をする度に、それが英語であれ、フランス語であれ、心に響かないパラグラフがたくさんあれど、びびびと心に響く、最高の一節だけはいつも目に留まるのだ。不思議なくらい。そういう文章を見逃すことなく、奥行きまで味わいたい。できれば声に出して味わいたい。いつもそのことを心がけている。もちろん、日本語で読む場合であっても。


「あ、そろそろ行かないと・・・待ち合わせがあるの」 そう言うと、私はゆっくりと立ち上がる。妹の家へ行くことになっている。予定の時刻が近付いてきていた。「あぁ、私もだよ。そろそろ行かないとね。今日この後アヴィニョンに帰るものだから」

「おじさん、ご本どうもありがとうございました。気を付けて、アヴィニョンに帰って下さい。さようなら」 そう言って私は店内へと入る。カウンターでお会計をする作戦だ。おじさんは、最後まで慈愛に溢れた、優しい眼差しで見送ってくれる。本好きを愛す、本屋の主人の顔なのだ。


この様に、連日一人でふらふらしていると、思いがけないタイミングで思いがけない人に話しかけられ、出くわし、思いがけない出逢いを運んできてくれることがある。こういう、予測できないタイミングでの、不思議な出逢いって大好きだ。私に任されたことは、いただいた、この小さなかわいい本をきちんと読むこと、最後まで、そして、できればいつか、まだ知らぬアヴィニョンへ行った際、おじさんの本屋を探し出し、お礼をしたい。感想を伝えたい。おじさんの本屋で数時間過ごしたい。そんな風に思っている。アヴィニョンにはまだ行ったことはないけれど、小さな街のはずだし、おじさんの本屋を見つけるのはそうそう難しくないはずだ。


私が偶然、(ほんとうに全然詳しくはないけれど)マニアックなフランス詩好きで、ランボー大好きオタク少女であったから、「死にゆくランボー」なんて本をもらって嬉しかったものの、そうじゃなかったらただの「死にゆく詩人の本」であるが、これは友達にも指摘され、笑いのネタになった点であるが、ここは私なので、大喜びした次第である。また書きます。

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如何にしてこうも災難に見舞われん
 はぁー・・・。せっかく調子いい感じに、連日ライティングをアップして、毎日更新していたというのに、またも中断してしまった。それというのも、私のしょぼいtwitterにてありがたくもわたくしをフォローして下さってる方々には既存のことと思いますが、情けないことに、かくもまた、食あたりに遭い、二、三日休んでいたからであーる。

今度の正体はエビ。中華料理屋でテイクアウトした、チャーハンとエビのシューマイ、その残りを食べたことが原因である・・・・。なんとお粗末な。。

ここに書くのもあまりの恥ずかしさに躊躇われるが、私はほんとうに生活能力が低いというか、生きていく力が最低限しか備わっていないというか、それに反して妹はまことしやかにしっかりとしており、いついかなる時もたくましく、まぁ彼女は元々体育会系なんですけど、それに比べて私はいつもふにゃふにゃ、仕事でミスしたら迷惑掛ける+取り返し付かない+恥ずかしいので精いっぱい気を引き締めておったが・・・私生活となるとこれである。幸い、一人暮らし歴ももうそこそこ長いので、一人で家事して生きていけるくらい、最低限のことは出来るが、ほんとうに最低限で、たまに、この様にとんでもないミスを犯してしまうというか、それがこの食あたりである。そしていずれも、自分の管理不足もしくは認識の甘さから来るものであった。(古典的に)ガーン。


口に入れた時から、『あれ、なんとなくヤバい・・?』という感じはしたものの、『だっ、大丈夫だろう・・!もっ、もったいないしっ!』と自分を励まし、そのまま飲み込んでしまった。時は今週の月曜日。今日はコインランドリーに行って洗濯しなければならない。昼食を食べ終わり、いざ出かけようとすると、襲ってくるのは異常な吐き気である。それも、食べた直後、1時間後のことであった。

その後、無事レジデンスを出るまでにエレベーター前で一度部屋へ引き返し、その後の道中でも書くのをはばかられるような汚い出来事が二回起き(あうううごめんなさい)、日本なら皆さん真面目に道を歩いているというか、社会的な目も気になってあんなこと出来ないと思うけど、ここはフランス、ベンチに座って誰もが一息、ホームレスまでものんびりしている国なので、ここぞとばかりに人目を気にせず、事に至った・・・・きゃあー。

その後、手に持っていた、スーパーで買ったばかりのミネラル・ウォーターで手を洗うという、今まで一度もしたことのない、今までで一番高価なミネラル・ウォーターの使い方をした。ということを、手と口元(うわわ)を洗っている最中に淡々と思ったのであるから、我ながらどれだけ皮肉かつ冷静な分析なのか、と少し笑った。

急いで家に帰るべく坂道を下るも、急ぐとさらに胃をアプセットしてしまいそうになるので、慎重に歩く歩く。それからはもう、戦いだった・・・・。明らかにエビだ、あのエビだ。嗚呼。やっぱり怪しかったんだ!なんてバカだったんだろう!やっぱり止めればよかった!後悔しても遅い。

それから少し横になり、休んでいると、だいぶ落ち着いてきて、ボン・マルシェへ友達の誕生日プレゼントも買いに行ける程元気になった。回復!!と意気勇んで出かけ、1時間後無事帰宅。その後のんびりと夕方を過ごし、『へっへ〜もうへっちゃらだぜ』と調子に乗っていたのがいけなかった。まだまだ食あたりの神は私を解放してはくれなかったのである。


翌日火曜日も、異様な胃痛、牛乳の時と同じである、なんとなく重い、ゴロゴロとした感じに襲われ、冗談でなくベットから動けなかった。なんとなく、背中まで痛い。体中が痛い。これは一体何事?家にある水、こんな時に欲しいリンゴジュースの類まで切れていたので、必死の思いで這って近くのスーパーまで行く。夕方、仕事上がりの妹から電話。昼休みなど、仕事合間に度々心配してかけてきれくれたので有難かった。「大丈夫?あモノプリ行けたの?今日これからそっちに寄ろうと思ってたよ」とまで言ってくれた。涙。大丈夫、ほんとうに這うようにして行ったのである。

その後、眠る前、『これはやはり、今からでも救急で病院に行った方がいいかもあるまい・・』と思い、今からでも隣にある巨大総合病院に行こうかと思ったのだが、やはり歩く元気がなく、仕方なくそのまま眠った。夜、物凄い悪寒に襲われ、妹が置いていった冬用のパジャマを着て就寝するも、それでも寒く、『あぁこれは熱が出る前触れだな』と分かった。だから体中の節々が痛かったのだと思う。

それで納得して、とりあえず眠ろうと眠りについたら、寒いも寒いも、深夜2時頃、はっと目が覚めて、するとその時私は発熱していた。自分でも、おかしいくらい熱が出た瞬間に目が覚めた。体が熱い。私は平熱が低いので、37,5℃の熱でも辛いのだ。妹が置いていった薬が入った袋から、Fievre et Douleurs(熱と痛み)と書いてあるものを取り出し、買ってきた水で飲む。これで落ち着くだろう。さっきまでは寒かったくせに、今度は暑い。汗もかいている。でも寒いより暑い方がましなので、そのまま眠った。

水曜日、目が覚めると今度こそ病院へと向かった。初めてのフランスの病院である。

個人でやっている、ジェネラリスト(一般医)でもいいと思ったのだけど、なんとなく大病院の方がいろいろ検査もしてくれていいかなぁと思って、こっちに来てしまった。

正門から入り、受付にて「お腹が痛いんです・・・。救急で診てもらえますか・・・?」と訴えると、「お腹が痛いのね?救急はそこ入ってまっすぐ、○○○の建物よ」と人名が付いた建物の名前に案内される(関係ないけど大体フランスは建物や通りに著名な人物の名前を付けるのが好き過ぎる国だと思う)。ご丁寧に蛍光ペンでマークした地図をくれた。事前に調べていたけれど、ほんとうに広い敷地だ。ふらふらしていては迷ってしまいそう。敷地内に何個もの通りまである。

幸い、救急棟はそこから歩いて真っ直ぐのところにあったので、迷うことなく辿り着く。救急棟の受付でも「お腹が痛いんです・・・たぶんエビに当たったと思うんです・・・あの旅行者なんですけど、保険がもう切れちゃってないんですけど・・・」と気になっていた事実も一緒に告げると、「大丈夫、それは大したことないわ」と言われ、その言葉に一瞬、≪福祉国家フランス・・!≫という輝かしいイメージ、けれどそれは普段全然感じたことのない有様、を一瞬垣間見て、希望の光が見えた。ちゃんと保険なくても診てくれるのか・・・うぅ。

身分証明書の提示を求められ(出かける寸前、念のためパスポートが要るかもと鞄に滑り込ませたのがよかった)、住所を伝えると、「そこから入って、最初の椅子に座って待ってて」と指示された通りにする。そこからは、ザ・グレイズ・アナトミー、フランス版の世界であった。


苛立った、大柄でブロンドの看護婦にすぐ名前を呼ばれる。「マダム・オクサキ・・!」、やはりアジア人の名字は呼び慣れないのだろう、彼女は一度そう間違えて、今一度カルテを見に戻ると、今度は正しい発音で呼んでくれた。「マダム・オカザキ!」

「ういぃぃ」と力なく返答し、そのまま病室へ。「私は看護婦よ、どうしたの」とまるで軍隊の様に問われ、ぶっきらぼうに血圧を測られ、耳に何か入れられて(後に体温計と理解した)、症状を説明する。事前にある程度、聞かれるであろう単語や必要になりそうな言葉を調べてきておいたのでよかった。ざっと説明すると、手術歴や病歴を聞かれたので答える。

看護婦は血圧を測る器械のパッドが、腕からすり落ちそうになったのを見て「ぴゅたーん!」と罵り、『罵りたいのはこっちだよ・・』という気分になるが、『よかった・・入ってたった5分で案内された・・』と安堵し、「オーケー、次はお医者さんよ、お医者さんがあなたを診るわ。出て右真っ直ぐ、左の一番奥の待合室で待ってて」、「ありがとうございます・・・」と意気消沈で部屋を出ると、またザ・グレイズ・アナトミー、フランス版の世界へと戻る。救急棟なので辺りはごった返している。

ここか、ここのことか・・と、出て右真っ直ぐ、左の一番奥のところ(というかどんな説明だ)まで辿り着くと、簡易椅子に座って待つ。その時間、冗談でなく6時間

私は約12時半に病院の門をくぐり、12時50分には看護婦との面会が終わり、席に着いた。その後、何度もカルテを手にした研修生らしき若き医師団が、「ムッシュー・なんとか」だの、「マダム・なんとか」と名前を呼びに来るが、呼ばれるのは皆、外科的処置の方ばかりで、私は内科なので、もしや・・・・と最悪の事態を想定する。それが3時間後。

もしや私、違う場所でずっと待ってた?!それにしても名前呼ばれたの気付かなかったよねぇ?!オカザキって言いづらいからもしかして違う風に呼ばれて気付かなかった?!でもでもさっきから皆人呼ぶ時、いなかったらちゃんと辺り回って何度も叫んでるし、そんなはずはない・・と予期せぬ考えが回る。救急だし、まぁ1時間以内には診てもらえるだろう、それにさっきの看護婦さんの口調では、すぐにお医者さんが診てくれますよ的な言い方だったし。と思っていたのが甘かった。私の名前が呼ばれたのは、実に夕方6時半のことだったのである。

一度、「あの・・すいません・・1時10分前からずっと待ってるんですが・・・まだ呼ばれてませんか?名前はオカザキ」とナースステーションに行き、「んー・・ここは外科なので・・分かりません、あちらで聞いてみて」と言われた時には前出の嫌な予感が漂ったが、その後内科のナースステーションでも同じことを尋ねると、「いえまだね、まだ呼んでいないわ。あなたよりも重症の患者さんがいっぱいいるの、それに人がいっぱいいて・・」と言われた。それが大体、3時間くらい経った時のことだったと思う。

確かに待合室は、私よりも前から待っている、レントゲン写真を持ったおばさんや、額に怪我をして、縫合に来ているおじぃちゃん、脚にギプスを巻いた人々、私のようにお腹が痛いのか、腹を抱え椅子にうなだれて座る人々・・など様々であった。

そしてその間、反対側の病室、けれど声は聞こえる、から、「あい〜・・あい〜・・(痛い、痛いの意味)」と文字通り切ないうなり声を上げる初老の男性の声に、途中、どこかアフリカの言語で「モモヨ、モモヨ、モモヨ〜〜・・モモヨモモヨモモヨ・・モモ、モヨモヨ」と大きな祈り出す声、これには辺りで待っていた人全員が思わず真似をする、もしくは「ぴゅたーん・・」と即座に罵った。これを聞いた時は、一瞬、はて、百代さんがどうした、それともモモという名の愛犬が逃げたのかと思ったが、何百回にも渡るモモヨコールを聞いていると、合間に"Venez mon Dieu, venez venez. Ah mon ange, viens, je te fais un cadeau(あぁ神様・・・来て下さい・・来て来て。あぁ私の天使、来てちょうだい、プレゼントをあげるわ)"とフランス語を交えていたので、モモなのかモモヨなのかはきっとどこか、アフリカの言語でのお祈りなのだと思う。このご婦人の顔こそ見えなかったが、救急棟全体にこのおばさんのモモヨコールが響き渡ったので、すっかり頭に残ってしまった。私はお腹が痛かったのに、今ではおかげで頭も痛い。私より重症そうに、顔色まで悪い、若い女性など今にも死にそうである。私のすぐ隣には、お医者さんからの手紙をもらっていて、脚が悪いのだろう、台車を持って椅子に横になるアフリカ系の若い女の子。私の前には、金髪の女性、その友達、もしくはパートナーなのだろうか、ma belleと呼んでいた、同じくアフリカ系の女性、髪を結い、デニムのワンピースを来てのそろのそろ歩く、おそらく彼女も脚が悪いのだろう、外科の患者がいっぱいだ。

すると、この女性が私の隣にいた少女に話しかける。「あなた・・どこが悪いの。国はどこ?」アフリカ人同士見抜きあったみたいだった。少女が力なき声で「ギニア・・」と答える。それから二人は私には聞こえない声、また、聞こえてもほとんど分からないような言葉で話し出す。けれど、遠目に見ても(途中私はあまりの辛抱のならなさに数回席を変えた)、彼女達がパリで暮らす、同じアフリカ人同士団結しているのが目に見えて、というのも他の人からペンを借り、連絡先、携帯番号を書き合い、互いに発信し、番号を確かめ合いなどしていたからだ。その姿は実に微笑ましかった。

夕方4時頃、ようやくその少女がストレッチャーに寝かされ、どこか病室へ運ばれて行った。女性の方は、何度もパートナーに付き添われながら、医師の説明を受けたり、処置室へ運ばれて行ったりした。やはりびっこを引いていた。気の毒だった。

中国系の、眼鏡を掛けた、黒髪の、研修医なのだろうか、が少女を迎えに来た時、女性の方は少女の片隅をじっと離れなかったので、研修医は、「あなた彼女のママン?」と聞くが、女性の方は、うろたえもせず「いえ私は彼女のご近所さん」と端的に答えていた。そのご近所さん、Voisineという単語に、また、その言葉がすぐ出てきた速度に、それは私を、あぁやはり同郷同士の団結というか、思いやり、愛が存在するのだなと思わせ、その言葉は私を嬉しくさせた。女性は少女が運ばれていくのを穏やかかつ慈愛に溢れた眼差しで見送ると、そのまま彼女もどこかへと消えた。

少女はまだ二十歳にもなっていないかいるかくらいの若さだったので、一体どうしてフランスへやって来たのか、ちゃんと合法なのか飛行機なのか、それともまさか夜間、船などで渡ってきたのではあるまい@_@ などといつもの、移民に対する興味が先程から私の探究心を刺激してきていたが、この二人のやり取りにもうそんなことはどうでもよくなり、あとは、あの二人が二人とも、快復に向かってくれることを祈るばかりであった。モモヨモモヨ・・・・・違う。

次に、何やら激高した、ブロンドの髪を高い位置でお団子にして、中年、それも、花柄のスパッツに花柄のワンピースを合わせたキテレツな出で立ちの女性が病室から出てくる。『一体何事?』と思っていると、近くを通りかかった、病院を引退した、元看護婦なのだろう(フランソワーズを思い出した)、胸にBenevol、ボランティアと書いた、白衣を着た老婦人が足を止める。「あらまぁ、あなたどうしたの?私はここで働いているの」。すると女性は、「あん?!あなたここで働いているの、あ、そう!どうしたって、あのねぇ!(とバーンと隣の座席を手のひらで叩いた!)今看護婦にどんな対応されたか話してあげるわよっ!私はね、ここっ、腕をサソリに刺されたのよ!それなのに、あの看護婦ったら」と言うとおばぁちゃん看護婦も目が点。「それは・・昔のこと?」きょとんである。確かにサソリなので、エジプトにバカンスでも出かけた時のことなのか、私でも知りたかった。でも確かに飛び出してきた単語はサソリ、Scorpionだし・・。すると女性は、「いえっ、23時のことよっ!すぐそこのっ、アフリカ系の商店でっ、噛まれたのよ!」・・・ほえー・・パリでかい。。そんな危ない店があるのか・・てか最初から近付くな。。という感じで、内心かなり笑わせてもらった。その後この女性は財布から取り出したレシートの裏に、持っていたペンで何か書き、一人でかつ大声で、「まったくなってないわ・・弁護士に訴えてやる」だの何だのぶつぶつ言い、部屋から出てきた、乱暴な処置をしたと見られる看護婦にも依然ケンカふっかけモード、ぴりぴりだったので席を移動した。

すると今度は、私の隣に座る、上品な白いスーツを着た、またもアフリカ系の女性である。私が待合室にやって来た直後くらいに彼女もやって来た。皆、数時間同じ体勢でただ待ち続けているので、すっかり顔馴染みになる。


「あんた・・あんたもどこか悪いの?」突然話しかけられる。それにTutoyer、君とかあんたと気安く話しかけられたのにもびっくりしてしまった。Pardon? 一度聞き返すも、やはりそう言っている。「あぁ・・お腹が痛くて・・・エビに当たっちゃったの。ほんとうにバカだったわ・・それにしてももう何時間も待ってるけど、6時までに呼ばれなかったらもう帰る!あり得ない、もう5時間も待ってるのよ!」その時、時は5時半頃。「おばさんは・・?あなたはどこが悪いの?私と同じ?お腹?」するとおばさんは、「背中が・・・痛むの・・」と涙ながらに語った。

「そう・・お互い早く呼ばれるといいわね・・」そう言って、私はまた人間観察へと戻った。しばらくすると、背後から静かに泣いている声がする。驚いて振り返ると、同じアフリカ女性が一人静かに泣いていた。「あんた・・クリーネックスある?」・・あいにくティッシュは持っていない。「ごめんなさい・・ないわ・・」、「そう・・」と女性は着ていたスーツのスカートで涙を拭う。膝を伸ばし、背中を壁に付けて座ったまま、膝を曲げ、スカートを目元に近付けるようにして器用に拭く。その姿にますます不憫になる。

6時までに呼ばれなかったらもう帰る!それに5時間以上ここでこうしていて、これじゃ家で寝てるのと変わらなかったじゃないか!ふつふつと、静かなる怒りが沸いてきて、私はもう一度、内科のナースステーションへと向かう。一体いつになったら自分の番がやってくるのか、気の毒な女性も診てもらえるのか、彼女は泣いている!「すみません、オカザキですけど・・私ちゃんとリストに載ってます?1時10分前からもうずっと待ってるんですけど・・・」そう伝えると、珍しく感じのいい看護婦は、「あぁごめんなさいね、マダム・オカザキ・・あなたこの次よ!もう少し、待ってて」と言ってくれたので、「オーケー、よかった。ではあっちで待ってるから」と待ち合いに戻る。おばさんは泣き止んだようだ。よかった。

するとすぐに、ようやく「マダム・オカザキ!」と若い、美人の研修医が呼びに来てくれる。黒髪のおかっぱ、大きな目に、赤い、シャネルの眼鏡を掛けている。部屋へ案内され、横になると、またも症状を説明し(さっきの看護婦との面会は何だったのだろう・・・)、お腹を触られ、診察は、ものの30分で終わった。待ち時間、実に6時間。

その後、彼女の上司とみられる同じく女性の先生(女性が多くて感動、ブラボー!)、にもお腹を触られ、私はまだエビが消化し切れず胃に残っているのではないか、消化不良なのではないかと心配だったのだが、「大丈夫、お腹柔らかいわよ☆」と訳せばいいのだろうか・・soupleと言われ、挙句「傷んだもの食べちゃいけませんよ☆」とまで言われた。当たり前である。

研修医に、「前にも同じような食あたりの経験ありましたか・・・?」と診断中問われ、「はい・・あの実は・・ちょうど二週間前にも牛乳で・・・傷んでて・・・」と説明すると、研修医失笑、なんだか、腐ったもの食べるの趣味みたいな子に見られた。不服である。



結論。「牛乳よりエビの方が辛い」。ほんとに死ぬかと思った。そして、心配した診察料金だが、なぜかその場では払わなくてよし、処方箋だけもらって近くの薬局へと向かった。薬局でも住所は問われたが、(一応これだけ長い期間フランスにいても)ツーリストだと告げると、「じゃあ少しでも安い方がいいわね、ジェネリック薬品にしてあげましょう」と言われる。ちなみにこの時、「社会保険のカードは持ってる?生命保険は?」などと聞かれ、「いや持ってない、旅行者だから」。「住所は?」・・短期滞在(ん?)なのでいちいち覚えていない。私はそもそも、一生必要のない事柄はわざわざ覚えないようにしている、それならば、美しい比喩(って一体何だ)の一つでも覚えたいと思っているからだ、が災いして、『確か97番地だと思うけど〜・・』とうろたえながら、先程病院でもらった処方箋に記載されていたのを思い出し、あぁこれだこれだという感じで「きゃーとるばーーん・・」と読み上げると、薬剤師のおばさんに「あー!なんだあなたフランス語話せるじゃない!」と言われ、「当たり前だっつーの!」と思わず答えてしまう。

「でも病院で支払わなくてよかったの・・これってこの後また戻って支払いするんですか?それとも??」と聞くと、おばさんは「あーそんなこと私知らないわ、知りたくもないし、それはあなたのプロブレーム、マドモアゼル。はいっ次の人〜!」と華麗に終了。そうか・・とよく分からないまま、薬局を後に、何かスープでも買おうとスーパーへと向かう。もう、普通に食べていいとのことだったし。

スーパーのスープ売り場で真剣にスープを選んでいると、横から「さりゅ!」と話しかけられる。こんな気安く話しかけるアラブ系の男性は知らん!どこのどいつじゃ、この病人をナンパするとはっ!と一瞬殺気立ったが(ごめんなさい)、よく見るとそれはもちろん知った顔、同じレジデンスに住む妹の友達であった(ごめんなさいーー)。眼鏡だったしよく分からなかったの・・朦朧としてて。

「さば?」、事の一部始終をざっと要約して彼にも説明。「6時間も待ったの!!!」、「おらら〜・・うん、でもそれ普通」とのことだった・・・・やっぱりね・・・。

そして、なぜ病院で支払わなくてよかったのか。それは、私が旅行保険の切れた可哀想な旅行者、おまけに腐ったもの食べるのが趣味だからおまけしてくれた、ではなくて、フランス在住、フランスで病院に行ったことのある方ならとっくにご存知だと思うのでここに書くのが恥ずかしいくらいだが、その友達いわく、「後で家に請求書送ってくるよ、だから何でもいい、嘘の住所書いちゃえばよかったのに」ということで、どうやら後払いシステムのようである。うーむ。あっぱれ。

ちなみに、私は職探しに来たのであって、食あたりに来たのではない!!帰国まで、もうなりませんように。。。うぅぅぅ。恐怖。。



ま、そんな感じで、誰の元にも教育と医療が平等な国フランスにて、初めて病院へ行ってきた。我ながら、初めて6時間という長い時間、ただひたすら診察を待ち続けたが、人は一体、何時間まで待てるものなのか、はたまたその間の人間観察が非常に面白かったので(例・サソリ)、意外に苦なく、待つことが出来たと言えよう。それにしても、もう二度と、フランスの病院には行かない。少なくとも、総合病院には。妹にも怒られた。今度から、近所のジェネラリストへ行く!静かなる怒り。おかげですっかり元気です。今朝は6時半に目が覚め、これからプチ・パレで故イヴ・サンローランの展示を見に行こうかと思っている。えへへ しかし、油断禁物、調子に乗ると危ないこと今までのパターンなので、重々気を付けたい。ちゃんちゃん。

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もう二度と見つけることができないもの

昔、留学していた頃に好きだった、Côtes du Ventouxの赤ワイン。もう二度と同じボトルは見かけない。他のものはあったりするのに。ムーちゃんと歩いたいろんな小道や、待ち合わせをしたカフェ。サン・ルイ島で、ふらりと入った雑貨屋で買った、ハートの飾りが付いた銀の指輪。気に入っていたのに、地元の浜辺で無くしてしまった。マレで見た、古着のワンピース。特に理由もないままあきらめてしまった。まだmiumiuが、グルネル通りにあった頃、二階で見た、紺のプレーンな、丸首のセーター(やはり買わなかった服というのは記憶に残る)。控え目に下を向いてうつむく、いつも恥ずかしそうにしている大人しい、綺麗なベトナム人のクラスメイト。花屋で働いていた、韓国人のクラスメイト。お母さんにそっくりだった。放課後いつも行った、学校の隣にあるカフェ。そこで働いていた人達。内装も変わってしまったし、もう誰一人知ってる顔はいない。

昔、フジタなど画家が住んでいたという近所にあったアトリエを教えてくれた、親切なおじさん。いつも行くスーパーでレジを打つ人々。写真を撮ったら、手を振ってくれた恋人達。サン・マルタン運河沿いだった。寮にいた、アリシア、マチルド、ニナのゴージャスな女の子三人。皆最高に美人で可愛かった。モロッコから来ていた掃除のおばちゃん。もう国に帰っただろうか。帰る時には頭を撫でてくれたっけ。ハリソン・フォード似のパン屋のおじさん。ほんとうにそっくりだったんだ。

パリ独特の黄色い夜の光の中、風を切って乗ったバトー・ムーシュ、立ち上がるセーヌの匂い。けっこうな速さで進む中、飛び込んできた夜の景色・・・ 光るエッフェル塔。あの時我々は何をしていたんだっけ? 速足で渡った橋・・あの橋の名前は何だっただろうか。

それら全て、今はもう二度と見つけることが出来ない。彼らは、どこへ行ってしまったんだろうか・・・・




時間だけがどんどん進んでいくような気がする。パリで過ごした日々は最高に贅沢で、恵まれていて、今のところ私の人生のハイライトな感じだ。記憶をrenouvellerすることが出来ない。五年が経っても、今でも変わらず会い、よくしてくれる友達はいるのに。何もかも、考え、基準が、ここでの濃密な日々が基盤になっている。思い出ばかり振り返っていては前には進めない。美し過ぎたのだ。ノスタルジーは苦しい。









♪Harpsichord Kiss / Martina Topley Bird
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この国に静寂はない

フランスと言うと、大抵は静かで落ち着いていて、人々は優雅な身のこなしをし、エレガントな服をまとい(ってどんなだ?)、フランスパンを齧りながらワインでも飲み、ゆったりとセーヌ川沿いを歩いている、というお決まりのイメージがあるかもしれない。

まぁ、そういう、特に素敵な老夫婦もほんとうにいるのだけど(それもびっくりするくらい、やはり暇なのだろうか、公園のベンチ、ひいてはその辺にあるベンチでも一日中ぼーっと向き合って座っていて、その光景はなんとも微笑ましい)、今回、考え事がしたくて、ぼーっとしたくてやって来たものの、いざセーヌまで歩いて行き、または移動のためメトロに乗ると、この国に静けさはないということに気付いた。今さらなんだけどね。忘れてたかな。

こちらはぼーっと、一人静かに物思いに耽りたいというものの、聞こえてくるのはところ構わず大きな声で話す声、声・・・・ 子どもの泣き叫ぶ声、母親は特に気にも留めず、泣き止ませない。アフリカ系のおばちゃん二人組が、大柄のワンピース、それも地面に着くんじゃないかってくらいぎりぎりの丈、民族衣装なのだろう、独特のアクセントのある声で、何やらよく意味の分からない、声高らかにけらけらと笑い、喋り合っている。ティーンエイジャーの団体が、時にはアルコールの瓶片手にわらわらっと乗り込んできて、今日は何をするんだ、どこへ行くんだと大声で話し立てる。フランスのどこか地方から来たと思われる家族、純真な目をしたかわいい男の子が、お母さんに、「ねぇこれからどこ行くの?あっ、この駅ってこないだ来たところ?!」、するとお姉ちゃんが「これは違う駅!」と即座にたしなめる。男の子はそっかとしゅんとなる。女性一人でも、携帯片手に話す声。フランスのメトロは地下だって走っているのに、割と携帯の電波が切れないところが偉いと思う。「あろ?うい、さば?びやん、えくっと、今日のパーティーだけど・・・・・・」、「これから家に帰って・・・・」、「昨日あれから最悪だったわよ、友達と・・・・・」、「もしもし?聞こえてるの?おっ、ぴゅたん!」・・電波が切れたらしい。


と、そんな感じで聞こえてくるのは声、声・・・・。とても一人で物思いになんか耽れそうにない。この国に静寂はないのだ。


日本では特に、電車の中は静かだしね。静寂はない、と言うけれど、言い返せば、日本に元気はないのかもしれない。こちらは人が元気だ。一人でいようと何人でいようと、まわりはお構いなし、皆話したいことに溢れている。と、そんなことを考えていたら、時は、7月14日の夜、23時、エッフェル塔の前。我々は、家から割と速足で歩き、ここまで辿り着いた。意外に近くてびっくりした(妹の彼いわく、「エッフェル塔まで歩いていけるくらい無駄に高い家賃は払っていないよ!」とのこと。はは、確かになるほどね)。 目的は、もちろん花火を見るため・・・。

花火なんて、日本人は割と見慣れているし、大して感動もしないと思うけど、7月のこの時期にパリに来たことは一度もなく、噂のエッフェル塔での花火も一度も目にしたことはなかったので、来てみた。シャンゼリゼでのパレードはまだ一度も見たことがない(ただし、家の前の通りで大量の軍車、パレードの帰りなのだろうか、キャタピラーなどは見た。妹が子どもみたいに「おーい」と声を上げると、斜めにベレーを被った兵隊さんが、すまして、ちらりと一瞬、嬉しそうにこちらを見た)。

エッフェル塔前の広場では、フランス式に、平行して並べられた並木道に沿って、人が所狭しと立って並んでいる。静かな、もしくは少量のボリュームで、何かパリに合う音楽でもかかっていればこの上なく最高だと思ったけれど、残念ながら丁寧にも、前日から準備したと見られる大型スピーカーが辺り等間隔に設置されていて、そこから大音量で、地中海っぽいリズム、中国っぽい音階、世界の大陸を次々と歌詞の中に織り込んでいるポップミュージック、そして最後は、アフリカを歌ったこれまた陽気な音楽が次々と流れてくる。その時間ちょうど30分。

感心(と言うと偉そうに聞こえるのは分かっているのだけど、それでも・・)したのは、なんとこの音楽が花火のタイミングとちゃんと合うように構成されていて、きちんと演出が考えられていたみたいだ。

部屋の中で、こうしてPCに向かい、日本語環境で過ごしていると、どこかに出かけるため、一歩外に出るとフランス語環境なのに驚く。フランスにいるはずなのにどこかいつも忘れてしまう。外に出て、人や、建物を見て再認識する日々だ。そしてメトロまでの坂道をゆっくりと、けれど足早に下っていく最中、私の頭は、少しずつフランス語モードへとスイッチしていく。メトロに乗り込むまでには、すっかり適応出来ている。そんな感じで、車内では今日もまた、様々な声、音に囲まれる。メトロのまま、ごとごとと揺られながら、喧騒の海の中に飲み込まれていくみたいに。そう、この国に静寂はないのだ・・・・・・・。
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とんだ待ち合わせ
      

7月14日、フランス革命記念日。ほんとうだったらどこかピクニックでもしたかったのだけど、あいにくの雨。今日もまた、雷の音で目が覚めた。

今日は祝日なこともあって、昨日はあちこちで既にお祭りモード。前夜祭というのか。私も妹とその彼氏、友達と出かけたけれど、あちらこちらで人が賑わっていた。まず初めに、我々はセーヌでやっている、船上パーティーのアペリティフ、パスをコピーすれば23時まで入場料タダ(笑)に行き、それから市内あちこちの消防署でやっているパーティー、bal de pompiers(消防士のストリップがあったりするらしい!)に行こうとしたものの、前評判通りもの凄い人。長蛇の列に並んでいては、気が付いたら朝の7時半・・なんてことになりかねないと思ったので、友達が連れてきたブロンドで超かわいい、イギリス人の女の子が魅力を駆使して、フランス語、英語も分からない振りをして、なんとか出口付近から、見張りの消防士さんが目を離した隙に忍び込もうと試みたのですが、何度トライしても結果は×、しぶしぶ後にして、サンジェルマンへ向かった・・。(それにしてもこの子が超かわいい、いい子でこの日モテモテだった!しかも職業は、デザイナー・・・!)

ちなみに始めの船上パーティーに行く前、私と妹達は近所の韓国レストランで食事をしていたのだけど、そこにいた旦那さんフランス人×奥さん日仏ハーフ、子どもめちゃかわいい、の素敵なご家族に、「仕事探してませんか・・?実は日本人のベビーシッターさんを探してるんだけど、ほんとうに難しくて。なかなか見つからないんだ・・」と話しかけられた(笑)。お子さんが、何度も私の席のところへ来て、なかなか離れようとしなかったことが大きかったらしい。仕事は探しているのでびっくりしたけれど、とりあえず連絡先だけ交換して、先程メールを打ったところ。参考までに履歴書も付けてね。奥さんに、その場で「あなたの学歴、ご経歴は・・?どこで大学を卒業したの?何を勉強していたの?」と聞かれた時にはびっくりしたぜい。

パリで、まさかベビーシッターになるかもしれないなんて、思ったことなかったけど、まぁこれもいいお話かなと思って、ご縁があれば是非やってみたいと思います。ちなみにシーズー犬を飼っているらしく、「犬に好かれるかどうかもテスト!」とのこと(笑)。動物大好きなので大丈夫であろう。


そんな感じで食事していたら、というか最も、フランスでレストランで食事すると、混んでいたり混んでいなかったり、とにかくサーブされて食事を食べ終わるまでに非常に時間がかかる。急いでいる時に、予定通り食べ終わり、待ち合わせの時間に到着するなどは、大抵の場合なかなか難しい。それも、急いでいる時に限ってね!ウエイターがなかなか来てくれなかったり、料理が出てくるのに20分以上待ったりする。この日も、22時にAssemblee Nationale駅で先に友達と待ち合わせをしていたのだけど、急いで食べ終わると時は既に21時45分、走ってメトロに行き、少し待つと、来た電車に飛び乗った。祝日の前夜なのに、便が少なくなくてよかった。待ち合わせまでは11駅、パリのメトロの一駅ずつの間隔は、大体1分くらいなので、10分ちょっとで着くだろう、大丈夫、5分、10分くらいの遅刻なら大丈夫さ、よかった間に合った!と思ってむしろ、22時ちょうど目的地のホームに着き、友達に「どこにいる?!」と電話、すると彼女は、

「え?まだ家〜。私はスーパークールよ、リラックスしてるー」と言うではないか。待ち合わせ、22時って言ったよね?「完璧!じゃあとでね!」って返信くれたよね?

一体どうなってるの?と思うけど、彼女(ちなみにスタイリストだ)はいつも雲の中にいるというか(ほんとうにこういう言い回しがフランス語であって、いつも夢みがちでぼーっとしているということ・・)、つまりそういう性格なので、こちらは最初、21時に設定していた待ち合わせを、レストランまでのバスではとんだ渋滞に巻き込まれ、挙句レストランでは大幅に時間がかかり、22時に延長してもらったから悪い!と思って急いで行ったらこれである。なんと日本人な私なことよ。まぁ彼女は特に特別かもしれないけど・・・・

「準備に時間かかっちゃって(だったらなんでその時点で電話してくれないっ)・・出来るだけ急いで行くね!今家出るわ!あ、マリ、一人で待っていて欲しくないの。友達とまた合流して、お願い!一人で待っててもらったら悪いもの、そこから10分のレストランに友達がいるんでしょ?だったらまたそこに戻って、私が着く頃にまた戻ればいいじゃない」と言われ、確かに彼女はパリの反対側に住んでいるけれど、またここから10分かけてレストランに戻り、妹達と家に戻りデザートでも食べ?くつろごうと思ったところで友達から電話、また10分かけてこちらに逆戻りでは疲れることが目に見えているし、どこかカフェにでも入ってゆっくり待てばいい話なので、駅を出て、向かいの大通りにある適当なカフェに入った。

アメリカのクラシックヒットナンバーを歌う歌手がちょっとしたコンサートをやっていて、彼女の友達なのか、気が付けばまわりのお客さんはほとんどアメリカ人の観光客、テラスにいい席が開いていて、体を滑り込ませ、無事席をゲット、ギャルソンのおじさんもいい感じだし、嬉しいなぁ、せっかくなのでプチ・シャブリ(白ワイン)でも一杯飲んで優雅に待とうかと思っていたら、そのうち聞こえてくる大量の英語、そして、極め付けはテラスに置いてあるライトにむらがる多数の小虫が、私のテーブルの上にぼとぼとと落ちてくるではないか!

せっかくの美味しいプチ・シャブリに入ったらこれ以上悔やむことはないので、私は鞄に入っていた、スーパーでの買い物リストを書いたポストイットをグラスの口に被せる。腕にも落ちてきて不快極りないので、中へと移動する。友達は平気で遅刻するし、せっかくいい感じのカフェに来たら大音量のコンサート、アメリカ人、いくら人を待っていると言えど祝日の前夜に一人でいるしでなんだかすっかり惨めな気分。渋々中のカウンターへと移動すると、バーテンのおっちゃんがとても明るく、陽気で、「お嬢さん何か他に要るものはあるかい?大丈夫?君をここでもてなし出来ることが僕らの幸せだよ、どうかゆっくりしていってね」と言ってくれたので、リップサービスだと分かっていても、それは私の気を少し良くさせた。散々な気分だったので。

そして、「コンサート良かっただろう、スティービー・ワンダーとかさ、若い時から聞いてた曲ばかりで俺は最高に好きだったぜ!お嬢さんどこに住んでるの?」、「・・へぇ、どの国に帰るんだい?」とお決まりの会話をし、プチ・シャブリはとても美味しい。やっぱり人生とは、悪いことと良いことが交互に起きるんだな、と膝を打っていたら、気が付けばカウンターの隣にはお会計をしたい別のムッシューが。なんとなく目が合うも、そのままにしておいて、私は妹にテキストメッセージを打つ。すると、バーテンのお兄さんが、ほぼ空になった私のグラスに、またしても美味しいプチ・シャブリを注いでくれるので、「えぇ?!もう結構ですよ?!それに行かなくちゃならないし」と慌てて遮ろうとすると、「ノンノン、こちらのムッシューからのオーダーだよ」と、隣のムッシューが嫌みなく目配せしてくる。

「あぁそんな、悪いわ、ありえない。申し訳ないわ・・ありがとうございます。あなた優し過ぎです」とかそんなような意味合いの言葉をだーっと連ねると、「今日は友達全員に振る舞ったところだからね、こんな女性一人をほったらかすなんて出来ないよ、どうぞ飲んで。それ何?あぁ美味しいでしょう」。

と、なんと有難いことに二杯目をご馳走してもらってしまった。とんだ幸運だった。悪くない。悪いことの後にはいいことが起こるもんだ。私は悦に入った。

二杯目のプチ・シャブリを飲み終わらないまま、先に妹が到着したと電話が入り、せっかくの美味しいグラスを残していかないといけないことに、私は申し訳なさでいっぱいになるけれど、妹達はもうカフェの前に来ているしで、複雑な気持ちになる。「あぁごめんなさい!行かないと!(でもワインが!)」と言うと、「おーららー、くいっと残り、飲んでいきなよ!北の方で景気づけにやるみたいにさ!」と言われ、さすがにワインの一気飲みなどしたことなかったが、いくら半分残っているとは言え、せっかくのご好意に残すのは気が引けて、さすがに全部ではなかったものの、二口分くらいくいっと、その場で飲んだ。「そうそう、その調子!」

「ごめんなさい!ほんとうにありがとう!さよなら!」と急いで言い残すと妹達に合流。すると道路の向かい側に、友達の影。よかった、ちょうど着いたらしい。私達は皆走って船へと向かう。



なんだか散々な気分で、落ち込んでいたけれど、人生とは、悪いことと良いことが上手い具合交互に起こるものよ・・・・・・。嫌なことがあっても、そんなに悲観するべきじゃないね。・・学んだ。

7月14日の夜はまだ続く・・・・・


写真は全然関係ない、ある日のランチ風景、と今読んでいる本(しかし中断中)。。。
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どちらがより人間的に
           

夕食の買い出しに、スーパーに行くとすごい行列。レジは二つしか開いていない。並んでいる人はその30倍だろうか。冗談でなく。

様々なものをカゴに入れ、同じく列に並ぶと、気のせいか他の人も苛立っている。空気で伝わる。そのまましばらく、静かに観察していると、肩を上げたり、腕を上げたりして怒っているのが伝わる。皆苛立っているのだ。

私の目の前に並ぶ、ブロンドで、眼鏡を掛け、小花柄のレトロなワンピースを着たマダムが、傍にいた警備員に話しかける。「一体どうなってるわけ?こんなに人が並んでいるのにレジはたった二つだけ?」

すると警備員が、「二つも開いているじゃないですか。他の人は全員有給です」、さらりと。・・さすが七月のパリ。

そして、そんなマダムが何か買い忘れたと言って、人差し指を縦に立て、「すぐ戻るから」と合図をする時、そしてそんな時に限って、レジがさっきよりもすいすい進み、自分の番が近付くも、カゴを置きっぱなしにしているマダムがなかなか戻ってこなくて、そういう時に限って、『もっとゆっくりレジをしてー!!』と、さっきとは相反する。心の中で叫ばなくてはいけない。何と皮肉であろうか。


今住んでいる所がバスチーユに近いこともあって、バスチーユまで数駅なのと、バスチーユまで出るとパリを横切って走る、1番線に乗り換え出来ることもあって、便利で気に入っている。友達も、オベルカンフやレピュブリックに住んでいることもあり、最近もっぱら、友達との待ち合わせはバスチーユ集合が多い。

現在、バスチーユはメトロの工事中。確か8番線だったかな?しばらくは封鎖されている模様。そのおかげで他の線から出る際も、使えない出口があったりして、少し、遠回りしなくてはならない。地上に出てから、エトワール上になっている交差点をうろうろ。

その日も、レピュブリックに住む友達とお寿司を食べに行く待ち合わせ。帰り際、「あー楽しかった。ありがとうね!」と両頬にキスの挨拶の後、どの出口が開いているかしばし右往左往していると、私はつい、「そうそう、今工事中だからね・・。あそこは閉まってるでしょ、ったくもう」と軽くののしってしまう。すると友達は、

「でも、メトロをよくするための工事だから」と優しく言ってのけたのである。んーお見事。こういう余裕、なくさないでいたい。


東京のせいなのか、元からの性格のせいなのか(たぶんこちら)、いろいろなことに参ってしまい、『んーやっぱりフランスだー』というくらい毎日謳歌しているけれど、いずれにせよ、東京のせいばかりにして、自分の心の余裕がなくなったのを責めてはなるまい。


フランスにいると、前出の通りスーパーに長蛇の列が出来ていたり、下手すると『もしや買い物する時間よりレジを待つ時間の方が長いんじゃ・・!』って危機に見舞われたりするのだけど、駅で出口が使えなくなっていたり、エスカレーターが壊れていたり、定期券を買うのに現金×、デビットカードオンリーだったり(私は持っていない)、一か月の定期券が昔に比べて4ユーロも値上がりしていたり、その割にサービスは向上していなかったり(ふははは)、店員さんが冷たかったり、罵られたり、日曜日はあちらこちらのお店が閉まっていたり、お風呂場の電気が切れたり、そしてそれが、なぜだか鏡の裏にはめ込まれていて、一人では外すの不可能だったり、そしてそのせいで、残り二週間真っ暗な中、もしくは玄関付近の明かりのみを頼りにしてシャワーを浴びないといけなかったり(現在進行中)、極め付けは路上で寝泊まりしてるおっちゃん連中に、卑猥な目で見られようとも、それでもやはり、こちらの方がなんだか人間的に生きられるような気がするのである。

いい例として、フランセーズ(フランス女)の生き生きとしていることよ・・・。だから彼女達は美しい、と言っても過言ではあるまい。思ったことは何でも口にして、何でも話す。臆せず、恐れない。彼女達の堂々とした美、佇まいは、フランスを代表すると言ってもいいだろう。(そしてその影で、多くのフランス男性はそういうフランス女がすこぶる面倒臭く、厄介で、出来れば関わりたくないと思っているものの、そしてそこに、今日もこうしてフランス人男性×おしとやかかつあまり物を言わない可憐な日本人女性、という理想的なカップルの図式が出来上がると思うのだ。男性にとっては苦難かもしれないが、同じ女性としては、フランス女はやっぱり格好いい、そして何より美しいと思ってしまう所存である)。


私は考えていた。いかにして、こうにもフランスが好きなのかと。時は、土曜日のメトロ、深夜。

辺りに気を配りながら、一人で乗っていた。東京だったら、土曜の夜の最終近くになると、車内は人でぎゅうぎゅう、大変な事態になるけれど、私はがらがらの車両、余裕しゃくしゃく席もゲットして、すると、何かおかしなことに気付いた。『圧倒的に人が少ない・・・!』

これぞ、私が求めていた空間である。その時悟った。ただでさえ、(遊び)疲れて家路につくというのに、これ以上人にまみれて帰りたくない。ゆったりと、時間と空間が欲しいのだ。パリではこの有様。ブラボー!まぁ最も、そういう遅い時間にメトロに乗るということは、万が一のリスクも伴うことなのだけれど。それはいつも肝に銘じている。


どちらの国にも、アドバンテージと不便なところがあって、それは今回、ノルマンディーでも夜、ディナーの席で軽く議論になったテーマであったが、結局のところ、どんなアドバンテージも不便さも凌駕してしまう、『こちらの方が合う、好き』という、なんとなくの気持ち、感覚、それは愛なのではないかと思う。どんなに嫌なことが遭っても、輝くエッフェル塔を目にする度、するりと許してしまうかのように。


『やっぱりこっちだー』と分かったのはいいものの、問題は、「ではこれからどうしてこちらに住むか」であって、これは目下課題である。コホン。



写真はこれぞエトルタ。この景色が見たかったのよ〜〜〜。
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食あたりと夢のエトルタ
         


夢の場所、エトルタに行ってきた。去年はウィーンで、好きなバンドのコンサート、今年はエトルタに行くという夢を叶えることができた!

エトルタは思い描いていた通り、はー美しかった 私は日本海側で育ったので、まぁまぁ海は近い環境だったけど、あんなに濃い青の海は初めて見た。しかも、フランスでは海沿いに旅行に行ったことはなくって、今回が初。ノルマンディー地方も初だしブルターニュ地方もまだ行ったことがないという有様。私はフランスの海に行くのが夢だったので、あー嬉しかったー

週末、いつもは遅くまで寝ている私ですが、前日ルーアンの街を深夜お散歩して、2時に寝て、10時起床予定だったのに、目覚ましもなく、9時に目が覚めたもんね(笑)!どんだけ張り切り過ぎだよ、っていう XD 他の皆も驚いていた。それぐらい、エトルタに行くのが楽しみだったのであります。

また書きます、とか言って結構日にちが経ってしまった。始めはそれこそ、何かしていないと落ち着かない、そわそわする、『何だか罪悪感・・』だったのだが、次第に慣れ、今ではこの非生産的な日々にすっかり適応、「仕事してませんけど何か?」であーる。んーあっぱれ。友達と遊んでいると、「あー今○○(別のお人)は仕事してないよ」とか普通に耳にするので、なんだか自分のことみたいにすっかり慣れてしまったのである。

ちなみに、先週謎の食あたりに遭い、しばらく調子が悪かった。月曜日、部屋をざっと掃除して、買い出しに行き、インスタントコーヒーでカフェオレを入れ、缶詰のいんげん(フランスはいんげんをよく食べる)とクリームソース、アラブのソーセージのメルゲス、パスタで、簡単な夕食を作った。

夜は、バスチーユで一度、どうしても都合が悪く、申し訳ないことにキャンセルしていた友達に会う予定になっていたのに、どこかお腹が変。お腹に石が入っているような感じ。こんな腹痛は初めて。なぜか背中まで痛い。気のせいか寒気もする。けれど、出かけなきゃ。前に一度キャンセルしてるから今日は絶対行かないと・・・。少し休んでから出かけた。

出先でもモヒート、二軒目に入ったラ・ロケット通りのカフェでは、なんと夜9時以降は温かい飲み物終了(なんで!ただお湯沸かすだけだろうっ!!)、夏なのにあったかい紅茶でも飲もうと思ったらこれである。そして、なぜ我々は早くも一軒目のお店を後にせねばならなかったかというと、店主兼バーテンのいかつい兄ちゃんが、「二日前から腹の調子が悪くてよ・・悪いが今日は9時で閉める。それでもいいかな。ガストロなんだ」という事情であったからである。兄ちゃんも腹痛かい!
(ガストロというのはフランスでよく耳にする病名であるが、要はウイルス性胃腸炎のことで、フランスでは毎年冬に必ず流行する、らしい。病院に行っても特に治療法がなく、手洗いをこまめにすることが肝心ってそれ当り前じゃーーん。・・・ということで仕方なく、二軒目でも白ワインを飲んだ・・・・。)


という感じで、原因がよく分からないまま、私としてはてっきり(?)、いんげんか、もしくは80%くらいの割合で、メルゲスが悪かったのではないか、ちゃんと火が通っていなかったのではないかと疑っていたのだが、水曜日の朝、色鮮やかに原因が発覚したのである・・・・。

それは、クリームソース、でもなく、無論パスタでもなく、犯人は、なんと料理の直前口にした、コーヒーに入れた牛乳であった・・・・・・・・・・・。なんとお粗末なオチ。

確かに、月曜日の段階から、なんとなく、よく混ざらないなぁ・・と思っていたのである。推測するに、デュ・レ氏(牛乳)はおそらくそれ以前から少しずつ腐り始め、しかしフランスなのでこんなもんかと私は大して気にも留めず(ここがそもそも問題である)、そのまま連日コーヒーに入れ続け(でもやっぱりよく混ざらない、分離する。うえー!)、そして水曜日、一口口に入れたところ、あまりの酸っぱさに驚愕、慌てて$%"&@(自主規制)した次第である。びっくりしたー!!!

コーヒーないと生きていけない私、さすがにこんな酸っぱい味はしないこと、長いコーヒー人生の中でよーく知っているもの(だったら牛乳が混ざらない時点でさっさと気付け!)。ふふん。


その後、肝心の牛乳本体の方もおそるおそる匂ってみると、それは今まで嗅いだことのない酸っぱさであった。こやつか・・こいつが私のお腹を荒らしていたのね・・・。

そして、私は連日、朝に、目玉焼きを食べていたのだが、パリで食べる、何のことないお醤油をかけただけの目玉焼きというのは格別に美味しく、連日「おいしーい」と舌鼓を打っていたのだけど、どうやら、この卵も微妙に賞味期限が切れていたような・・・・。うぅ。気付かなかった。あと一つあったけれど、これはもう、捨てた。闇(ごみ箱)にえいっと葬り去った。

私としては、どうやらモノプリで買った時から腐っていたのではないか、と推測している。というのも、フランスでは、夏場に限らず、牛乳等の飲み物が、冷えた売り場でなく、普通の雑多な棚に並べられていることがあるので。もしや妹がそれを買ったのではないかと。それを考えると、確か昔、寮の友達が同じく夏場に牛乳買ったら腐っていた、と言っていたような記憶が曖昧と思い出される・・・・・。


そして、原因の分かった水曜日、調子が悪いのに懲りずにランチの約束に出かけると、お友達ファニー様と恒例の「さば、さば?」、両頬にキスで挨拶。「さば?」と聞かれた限りはこの珍事を話さねばならぬと武士魂に駆られて、テーブルに着くなり「実は食あたりにあったの・・。それで今朝原因が分かったの!!牛乳だったの!!」と興奮して話すとファニー様も目が点、遅れてきたもう一人の友達(この子も日仏ハーフ)も、実に呆気に取られていた・・・。間抜け過ぎる。もっとかっこいい、「牡蠣に当たったの!」とかがよかった。

そこで子どもでも飲める、二日酔いの時にも効く、お腹の中を掃除してくれるという薬を教えてもらい、次の日、薬局で買った。ファニー様おすすめである。留学生だった頃、ほぼ毎月喉が乾燥にやられ、ひどい、けれど軽い風邪には悩まされたけど、幸い大きな病気は何一つせず、病院に行くこともなく平和に留学生活を終えた私にとっては、フランスひいては外国の薬を飲むことに若干抵抗があったのだが(体も小さいしね・・)、「大丈夫、子どもでも飲めるし、私もよく飲むよ、ね?(ともう一人の友達に聞く)、その子も、「そうそう」と言ってくれたので安心して購入した。ちなみに参考までに、Citrate de Betaineという名前の、コップに半分水を入れて、水に溶かして飲むタイプの薬で、親切にもレモン味付きである。微炭酸ソーダみたいな感じだ。ただ、完全に溶ける前にコップに鼻を付けると、あまりの発砲力に「むへっ!!」となるので注意されたい(・・なった)。

その後、薬のおかげとActimelというダノンから出ている、飲むヨーグルトみたいなものを飲んだので(懲りずに乳製品である)、週末、こうしてノルマンディー上陸、夢のエトルタに出かけられるくらい元気になった。一時は妹の行きつけのお医者さんまで聞いたけど、もうお腹は痛くない。背中も。変なごろごろ感は消えた。盲腸で手術した、翌日かと思ったよ・・・。食あたり自体も初めて遭った気がする。たぶん。

ファニー様いわく、5℃の気温変化があるだけで牛乳は痛んでしまうそうなので(ほんと?)、夏場は気をつけましょう・・・・。(単に冷蔵庫内の管理不足という理由なのは伏せたい)

母に至っては、感心なことにまだあきらめずにフランス語の勉強を続けているらしく、現在誰もがぶち当たる壁、≪数字≫を覚える段階に入っているらしく、食あたりの話をメールで送ると、

「体調戻ったぁ?フランス語難しいわぁよく娘達は話すね大体変化し過ぎ数もわけわからん、なのにフランスは偉大な数学者を輩出してる不思議な国牛乳の管理もできんのに」という内容だったので笑った。確かにその通りである。母正し。



写真はエトルタのビーチにて。
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