Previously, mari's paris life


"La France traverse une phase de vulgarite. Paris, centre et rayonnement de betise universelle" - C. Baudelaire :p
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いつもそこに棲まう
 先日、亡くなって初めておばぁちゃんの夢を見た。今までだって、出てきたことはあるかもしれないけど、覚えていないだけかもしれない。眠る前に、母に薦められた関川夏央氏のエッセイを読み、これを読むと必ずつらーっと泣けるという一説があるのだけど、それのせいか何なのか、腫れた目のままベッドにもぐり込むと、私が目覚める朝7時前、実に、おばぁちゃんの夢を見たのだ。

そこは、どこか、東南アジアのような、カンボジアのような所であった。私は仲のよいメンバー4人で来ていた。カンボジアに行ったメンバーそのものである。日本家屋の、屋根の部分に茶色い、見るからに重い土を盛って、滑走路のようにしている。この屋根を上を、プロペラ機が走るというのか。私は少し離れた別の家屋の窓から、その様を見ていた。

土の上には、グレーと白のパイピングが走った、けれど縄文服のような衣装を着た人々が大勢いる。手には何か持って、口々に叫んでいる。その勢いで、今にも雨が降り出しそう。私は何事かと窓から見つめると、次第に、それは我々が乗る、飛行機が飛ばないと言っていることが分かった。

これは一大事と分かると、私はすぐ様、一緒に来た仲間を探しにその場を発った。いけない、日本に帰れない!日本家屋、黒い木を敷き詰めて出来た、つるつるとした床を一生懸命走る。そのうち、とある部屋に辿り着き、見ると、中には古い顔立ち、原始的な、濃ゆい、はっきりとした顔立ちの人々、見るからに平成の人ではない、が集団で、土間のような場所に座って食事をしており、見ると、そこは台所兼食卓のようなところであった。赤子を背にしょった婦人のような人も見える。彼らは生きていくのに必死だ。飾り気のない顔が、その姿を物語ってる。眉なんか太く、整えてもない。肌は浅黒く、頬には若干、すすが付いていたりもする。

「あの・・・飛行機は・・飛ぶんですか?飛ばないんですか?」 そんな、時代錯誤の質問をした。「さぁ・・・あっちに行って聞いてごらん」、その中の一人が言う。今思い返せば、なんだか九州のアクセントのような話し方であった。「そ、そう!そうしてみます!」 そう言って、私は障子をぴしゃりと閉めると、またも黒い木で出来た床を走り始めた。

次の部屋の前に差し掛かると、障子の隙間から、今度は割りと現代的な、日本家屋によくある畳の部屋が見える。
障子の隙間から、ベッドに眠るは紛れもなくおばぁちゃんであった。いつもと同じ、変わらぬ、穏やかな笑顔で、こちらを見ていた。そのことがとっさに分かった。

私はすぐ様、おばぁちゃんに会うなんて予期していなかったのに、そこに眠るはおばぁちゃんだと分かると、すぐに駆け寄り、冷たい腕を首の後ろにさっと滑り込ませ、上半身全体で抱いた。「おばぁちゃん!」

とっさのこと、それもどれも時代が違うような、国だって違うようなちぐはぐの世界の中で、それは紛れもなく祖母であった。「おばぁちゃん!」 私はあまりのことに驚きが隠せない。祖母は、私の頬に自分のそれをくっつけると、にこっと笑い、そのままの顔で言ったのである。「大丈夫、真理ちゃんも○○○ちゃんも(私の妹)、幸せになるからねぇ・・・」

「おばぁちゃん!!」と声高く叫んだ瞬間、私は涙にまみれ、苦しい気持ちのまま目が覚めていた。それは、朝の7時前であった。私が起きる、実に直前に見た夢ということになる。


分からない、夢なんて、いつだって自分の好きな通りに見る、ことばだって、自分が声掛けて欲しい通りのものとも、いくらだって解釈は出来るけれど、祖母が出てきたのは初めてであったため、しばらく、そのまま嗚咽が止まらなかった。今見たことは夢か幻なのか、けれど、確かに頬に感触が残っている・・・。あのあたたかさ、質感、それは全て、慣れ親しんだ、祖母独特のものであったのだ。間違いない。

何もない天井、辺りを空虚が漂っている。それは何ら、いつもとは変わりない姿。その空気に、もう何も感じられない。それはいつもと全く一緒なのだ。それらの中に、何らおばぁちゃんの痕跡は感じられない。


あの時、あんなにも感情的に、すぐ泣いたり、慌てたりしなければ、きっともっと祖母と話をし、続きを見ることが出来ただろう。けれど、あそこでわめいてしまったばっかりに、夢は終わりを告げ、私は涙で目覚めることとなった。


今、あの家はどうなっているのだろう。夏休み、冬休みになる度帰った、あの祖母の家は。
坂の上の高台にあり、辿り着くだけでも大変な場所にある、二階建ての、広い庭のあるあの家。
私が小さい頃はまだ薪で火を焚き、風呂を入れ、その風呂は黒い五右衛門風呂で、家の裏の坂になっている土手はすべてそこの土地で、庭には二つの大木が生い茂り、片隅には畑があった。いつも、野菜や何か果物が生っていたと思う。

今や誰も帰らず、手を掛けてやることも出来ず、きっと鼠が走り回り、床だって、柱だって食べられてしまっているかもしれない。あの玄関を開けた、奥の廊下から祖母が驚いて出てくる様、それはいつも着物だった、左手の応接間はいつも少し古い本、カビのような匂いがして、そこだけひどく洋室だった。急な階段を上がると寝室があって、続けて和室が二間、あったっけ。今あの家は、どうなっているのだろう。


きっと、いつも、そこに、魂として住まうものがいて、いつも、誰かが棲み付いている。そんな気がしてならない。

一番、愛着があり、忘れえないその場所に、いつも、きっと、誰かがいる。そんなことを想像する。



そんな夢を見た。
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