Previously, mari's paris life


"La France traverse une phase de vulgarite. Paris, centre et rayonnement de betise universelle" - C. Baudelaire :p
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私を取り巻く人々
いつもメールか電話ばかりで話していた、とある取引先のアメリカ人と、ついに会った。ボスと三人だったので、終始英語だったけれど、一部この人に聞かれてはマズいなぁという一節があり、そこだけこそりと、ボスにフランス語で耳打った。 すると、そのアメリカ人、目に見える程驚いて、"You speak French?!"と衝撃に打たれ、一言言ったかと思うと、そこで私のすーぱーこすもぽりたんなファーストネームを再認識したのか、間髪入れずに真面目な顔して、"Are you French?!"と言うではないか XD 


私の目をよく見ろ・・・。この顔でどこがフランス人じゃいっ。どんな西洋の人にもなれるかいっ。お世辞かもしれないけど、笑った・・・。確かに先日、「○○さんってお父さんフランス人とかですか?!」と言われたばかりであったが(純日本人である)、さすがに私自身がフランス人に間違われたのなんて初めて XD 自慢じゃないが私は一重まぶたなのである。きーーっ。それとも何、あちら生まれ・育ちの日本人って思ったってこと?! なんて短絡的な発想なの・・・ XD

彼は続けて、"So, just studied? すごい"と言ってくれたけど、なーんで、いいじゃんね、別に日本人でフランス語喋れる人がいたって。ぶーぶー。しかも私レベルのボロボロブロークンなレベルじゃ、上には上がいるのよ。仏検1級だって持っていないわよ。ふん!


彼の、かわいいびっくりとコメントにありがとう。It made my day、でした。隣でボスも笑い、得意げに微笑んでおりました。(こっちの方が有難い) 



 この度の震災で、東京の水道水からも放射能が検出されたり、おかげでスーパー、自動販売機からは、いつもは余る程あるミネラルウォーターがない。ない。一切ない。どこも綺麗に売り切れ。 

 お世話になっている、近所の掛かり付け先生(通称サイボーグ先生)の教えで、人は、特に現代人は乾き過ぎだから、一日ペットポトルの水三本は飲まないといけないと言われ、肌のためにもせっせと飲める時は飲んでいた。

それもあって、常に家にはミネラルウォーターを欠かしていなかったのだけど、こう、どこもかしこも売っていないとなると、ますます右目の下の乾燥は気になるわ、やっぱり有害物質を含んだ水で料理するのも何となくためらわれるわ、でも真実は分からないわでなんとなく焦る毎日を過ごしていると、顔だけはしっかり南仏フランス人、プロヴァンス出身であるうちの母(実際は熊本のお人)は言ったのである。 


 「まりちゃん、こんな時こそフランス人精神よ!ワイン飲みなさい、ワイン!どうせ一人暮らしだし、昼から飲んだって平気でしょ!あんた強いし、顔色も変わらないんだから(うるさいやいっ)。ワイン飲みなさい、ワイン!ワインは水よ、水の代わりにワインよ!」と叫んでくれた。 


 確かに。確かに折に触れて(?)、私は確かに、「ワインは水。水と一緒ね ふふん」と、まるでキリストの教えかと思うようなことを周りの方々に吹聴していたことがあった・・・。あああ。まぁこれは今でも信じている(というかやっぱりワインは食事の際、水代わりであって)、母はこの話を覚えていたのだろうか、それとも・・・。



 私を取り巻く人々。その憎めない可愛さに今日も乾杯。
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その日
 いつもと同じ一日になるはずだった。午前中取引先と打ち合わせをし、そのはからいで、午後は某ブランドのプレスリリースへ案内され、見せてもらえるということだった(私にその知識はゼロだけれど、今PRを勉強させてもらっている)。その前に、なるべく早く片付けてしまわないといけない、別の案件があった。その打ち合わせを、自分のデスクではない、別の場所でしていた時のことだった。

ちょうど、二日前にも、長く、揺れる、別の地震があった。今思えば、それこそが予兆だったのかもしれない。私はただでさえ怖いので、すぐに机の下に逃れたが、一緒にいた二人、それも年の近い、女の子二人は、私よりも取り乱した様子、パニックだ。

私は二人をしっかと抑え、つなぎ止めると、揺れの最中にいながらも、ひたすら、それが収まるのを待った。9階はさすがに揺れる。古いビルならなおさらだ。前に被災した時は、家に一人きりだったものの、ビルの上の方で、こんなにも揺れを感じるのは初めてだったため、私は初めてのことながら、私は地と一つとなり、自分までも揺れているのを感じた。取り乱してもおかしくない、そんな非日常のことであったのに、私は自分が、ひどく落ち着いて、冷静であるのを感じた。そう思えば、手は二人の女の子をしかと掴んでいる。一人が叫ぶ。「死にたくない!」。私だってまっぴらごめんである。先日目にしていた、ニュージーランドでの様子が脳裏に浮かぶ。このまま、このビルがぽきりと折れて、真っ逆様に下へと落ちたらどうなるだろう。いかにして、ここまで我が脳裏は冷静なのか。いや、そんな風にして死んではなるまい。こんなビルで死にたくない!私はさらに、気を引き締める。目の前の二人を、さらにしっかと握る。

それからは、落ち着いた後、社内へと出て、揺れが収まる様子を見せると、あとは歩き、バスを乗り継ぎ、家へと帰った。合計、5キロくらいは歩いた計算になる。・・・この日に限って、10センチヒールで。


被災地の方を思うと、私は何の怪我もしていないし、持ち物は何ら奪われてはいない、津波という、恐ろしい力に。私は生きていて、無事で、けれどそのことが、私をよりいっそう苦しめる。今すぐ被災地へ行きたい。ここにいるながらも、出来ることはしたい。貢献したい。そんな、間違った偽善心がさらに私を苦しめる。けれど、女一人、ましてや食料の、寝床の保証もないかの地へ行ったって、足手まといになり、ましてや被災地の食料までも消費してしまうような、そんな間違ったボランティアにはなりたくないため、今はひたすら、耐えるしかない・・・

何もかも、また一から組み立てて、再建し、何なら、我々日本人の生真面目な能力であったなら、元にあった建物よりも立派なものを再建出来るだろう。それは今回、ヨーロッパの友達にも励まされた一節だった。(今回、アメリカ、フランス、スウェーデン、ドイツ、世界のあちこちの友達から寄せられたメッセージにより、事の大きさを改めて把握した次第である・・・。海外での報道の方がよりリアルで、より深刻で、世界の終りと謳っていたり、その違いは明らかであろう・・・)


人は、不安になると自分に言い聞かせる以上に、その意味も含めて、分かり切ったことを何度も繰り返し、繰り返すふしがあるが、それは私も例外ではなく、友達へのメールに、ひっきりなしに「大丈夫、今は、自分たち自身の中に強さを見つけ、大丈夫、きっとやり直せる、立ち直れると言い聞かせる瞬間なのだと思う」と、何度も打ってしまうのだ・・・キーボードを。一番に届けたいのは自分の心であって、間抜けなのは承知だが、自分の発言、言葉に、その強さを見いだせない限り、自分を暗示にかけるのはより困難なことのように思う。



神戸の時は、ここまで身近に感じられなかった・・・。改めて申し訳なく思う。けれど、今回は違う。3.11を境に、私の中で何かが変わった。それが何なのか、しっかりと見つめたい。そして、私なりに出来ることを、しかと見極めたい。


私は無事です。
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