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前出の、毎日歌ってバカンスへと旅立って行った彼女の話じゃないけど、改めて、ほんとうにフランス人って陽気で、明るくて(おんなじか)、たまにそのラテンっぷりに救われる時がある。たまにじゃなくて、けっこうと言う方が近いかも。
全世界的には、「英語が通じない」だの「冷たくあしらわれた」だの、何かと評判の悪いフランスだが、私は、フランス人とは一度仲良くなると、その縁は切っても切れず、とてもあたたかい、懐の深い人達である、と思う。
よく、パリの人は個人主義で、冷たい・・とも言われるけれど、私はそうは思わない。まぁそれは、私が女の子で、外国人だからってのもあるかもしれないけど、個人主義に関して言えば、私は東京の方がもっとひどいと思う。
東京の個人主義に関して思うことは、日本人は、やはり、集合体・集合意識で行動してるということだ。Collective idea. この議論には、先日やって来た関西弁ペラペラのアメリカ人友達Dも深く賛成していて、ひとしきり話が盛り上がった。
例えば、昨日見た例だけど(笑)、メトロを出た階段のところで、わりと真ん中寄りに陣取って、何やら立ち止まっているマダムの後姿を見かけるとする。日本だったら、そんな人の通るとこ、邪魔になるからせめて端によけるか、そもそもそんなとこに立ち止まらないのが大筋だと思うけど、フランスは違う。フランスは、誰もがやりたいように、好きなことをやる国だ、堂々と。発言しないとこの子は脳がないと思われて、損する国である。それは日常生活でも改めてびしびし感じる。
私はまだ、大学の後半も入れて5年にも渡る日本での生活、日本モードが抜けないので、まだ昔のように、好き勝手言ったり、ぎゃーぎゃー主張したり、ってのがなかなか出来ない。特に、新卒を、初めての仕事を日本で経験し、日本式に積んだのが大きな原因のような気がする。(まぁ、日本式にと言っても、両方外資系でしか働いたことがないんだけど。。。) だから、ほんとはもっと、受け入れられないことは堂々と主張し、こちらの筋は通し、目的を達成するってのがベストなんだろうけど、まだそれが、なかなか出来ないでいる。自分でも自分がもどかしい。
それは、同僚に、「ちょっとこれ見て欲しいんだけど」とか、「ちょっとこれ教えて欲しいんだけど」って聞く時も、つい、”Si ca te derange pas(ちょっと邪魔じゃなかったら)”って文頭に付けてしまうのだ。あわよくば、「お手数で申し訳ありません」とか言い出してしまいそうな感じ・・ XD
それで、前出のつっ立ってたマダムだけど、まぁもちろん、フランス人だって見る人が見れば、もちろんそんなとこにつったっていられちゃ迷惑なのである。『何この人』と思うことがあるだろうが、『一体何してるの』と私も怪訝に思い、追い越す際にさりげなく様子を伺ってみたら、なんと、階段につっ立ったまま、本を読んでいたのである XD 一心不乱に。
それから、一日立って、初めは「まぁ何しようが勝手な国だもんな。自己責任だもんな。自由とも言えるけど」と考えを深めていたのだけど、次第に『もしや、あの人は、何かものすごく美しい本の一ページで、何かものすごく美しい一小節に出会っていたんじゃ・・・!!!』と目がキラキラする想像に及んでしまった。あっぱれ。仮に、だとしたら理解できんこともない。(自分でもやりかねそう・・)
大勢の人が通り過ぎる中、自分はとても美しい言葉に雑踏の中出会い、夢中で読みふける・・・ 意識は飛んで、どんどん雲の彼方に・・ って後半部分、多少大袈裟ですが、それってすごく素敵じゃないか、と思ってしまったんですねー。まぁ真実は闇の中なので、分からないけどー。
とにかく、何が言いたいかって言うと(まったくいつも前置きが長い)、日本だったら①そんなとこで本読むの迷惑になる、②てか大体そんなとこで本読まない、③理由もなくつっ立ったりしない、④変な人に思われたくない、って意識が、無意識に、無意識に働くと思うのです。みんなこの意識が、無意識のうちにあるから、大体皆同じような行動になる、集合体としての一、が形成されているような気がするんだよねぇ・・。そしてもっと恐ろしいことに、これらの無意識は、知らず知らずの合間に、文化によって形成されている・はたまた脳内にインプットされているってことだ。恐ろしい、文化め・・・・・・・。
逆に、そういう無意識でのコンセンサスこそが文化を最も文化たらしめている要素であるとも言えるかもしれない。うーん、こういうのって超超興味あるフィールドで、もっと勉強すればよかったなー。とある大学の、比較文化学部に編入したかったけど落ちたの思い出した・・・w
また書きます!
7月もまもなく終わりで、フランス人はバカンスシーズンと浮き足立っている。「これが終わればバカンスよー!」とまるで踊り狂って5時前に帰る人もいれば(彼らの労働時間は一体どうなっているのだろう?さっぱりシステムが理解できない)、「バカンスだ!バカンスのにおいがする!」と、鼻をくんくんさせるものもいる。
バカンスのにおいがするって・・・XD 初めて聞いたよそんな言い回し。という感じである。とにかく、もう300回くらいはバカンスって単語、聞いたんじゃないのかなー、この夏。
そりゃもちろん、私だってどちらかと言ってフランス寄りに感化された人間であるから(オホホホホ)、バカンスは大好きである。夏休み。それはそっと口にするだけで、密かに心躍る単語である。なんて素晴らしいワードなの。
それに加えて本日は、驚くべき会話を聞いた。
明日からバカンス!という同僚がいて、彼女は早くも、おとといからカウントダウンし、浮き足立っていた。椅子の上で、何やらわけの分からない歌まで歌っている(今日は「ゼーロ!ゼーロ!」と歌っていたので、やはりカウントダウンなのだろう・・)。「じゃあ不在メッセージを設定するわよー!」といざバカンス!もうすぐそこ!目の前に!という瞬間に差し掛かった頃だろうか、別の部屋から別の子がやって来て、話し始める。私は自分の仕事があるので、適当にだけど流し聞きながら黙々と作業していた。すると、聞こえてきたのはこんなセリフである。
「私ね、バカンス入って一週間経たないと完全にバカンスモードに浸れない。普段の会社リズムがね、なかなか抜けないのよね」と明日からバカンスの方が言ったかと思えば、すかさず別の子が、「あーそうよ!だから3週間はいいのよ!2週間じゃ足りない」ときっぱり。私は思わず、えーーーっと爆笑!X’D
アータ、3週間って・・・・・(しかもそんな理由って・・・・)。自慢じゃないけど私だったら、その日の夕方からもう即バカンスモードにスイッチしちゃって、2週間でも十分エンジョイするぜい。適応力だけはあるからな!(だからいつも、「えっ岡崎さん入社したのってそんな最近だっけ?」とか「えっまりたんパリに来たのって二ヶ月くらい前じゃないっけ?」とか言われるのだ。私ってそんな存在感ない?!薄い?!)
私は、3週間も休んだ日にゃ、頭がアホになってもう仕事なんか覚えてないか仕事なんて出来ない、そのどちらかになると思う。ま・じ・で。
フランス人、すご過ぎ・・恐るべし。と思って爆笑していると、すかさず「なーに!マリもすぐ慣れるわよ!」と言われたので、「それは分かってるわ」とだけスマートに答えておいた。正解だと思う。だよね?
行政が遅いのも、いつもよりスーパーのレジが開いてないのも、何もかも、今はすべて、バカンスのせいである。7月の始めに取った人も数人いるようで、そういう人達は8月中ずっと、他の人達が続々と旅立つ中、せっせと変わらず、毎日出社しなくてはならず、それはどうやらそれなりにひどく辛いものがあるらしく、せっせとビズ(両頬にキス)して別れを惜しんでいる。旅立つ人と。
もちろん私も、ビズの習慣は大好きなので、せっせとするけどさ♪ 明日からバカンスの彼女とも、もちろん別れ際、しましたさ。「満喫してね!」ってね。
(ちなみにパリは、4、5、6月と雨が降らず、毎日暑い、それはそれはいい天気の日が続いたそうだが、今は雨、小雨、風がある、雷がなる、急に嵐になる、曇っている。そのどれかで、とにかくあまり晴れず、肌寒い日々が続いている。おかげで今も、部屋の中にいるけどどこか肌寒く、薄手のロングカーディガンを羽織り、紅茶を飲んでいる次第だ。。まぁ、カラカラに乾燥して喉が痛い・肌が痛いのどちらかよりはいいけど(どちらも経験済みである)、少しは晴れてくれなきゃ、ねぇ・・・。7月ももう終わりだ。日本の猛暑とは大違いで、連日黒の、革ジャンを着ている私です。帽子の出番なんてないよ!)
L'odeur de metro... c'est la ou je sens d'etre bien revenue sur Paris.......
他にもきっと同意して下さる人がいると思うが、パリに帰ってきたなと感じるのは間違いなく、その日初めて、メトロに乗る時だ。ちょうどホームに入ってくる車体があるのなら尚のこと、あたりをぶわぁっと漂う、立ち上がる、あの、独特の臭い・・。それは香りではない。無数の、言わば汚いものが散々に入り混じった香りで、時にはっきりと、あぁ今〇〇の香りがしたと分かるものもあれば、焼け焦げたような甘い匂い、よく言えば焼けた砂糖のような香りもする。あれは、何なのだろう。前に、同じことを感じた人がいるようで、とある本で「あれは車輪のゴムが焼ける匂いなのだろうか」と書いてあったが、ほんとうにそうなのだろうか。あの匂いを嗅ぐ度その文章が思い出されるが、実際のところは定かではない。匂いと文章はリンクしている。嗅ぐだけで思い出すものがある。それは思い出も同じだ。
そしてその後、やって来たメトロに飛び込むと、特に、それが、帰宅ラッシュなのか一同に込み合う夕方のことだったらなおさら、飛び込んでくるのは無数の目、それも、色々な肌と色をした目・・・
毎年訪れる度、大統領や法に逆らってパリはその民族度をより色濃くしているような気がするが、気のせいだろうか。地域、時間帯、線によってはここはアフリカではないだろうかと見間違うくらい、どこにいるか忘れさせてくれる。そして思うのだ。この人々はどこへ行き、何をしているのだろう・・・。行くあてもない旅を続けるのは骨が折れるだろう。彼らは一体、どこから来て、どこへ行くというのだ・・
そんなことを、ごとごとと揺られながらぼおっと考える度に、ふと、気がつくとまわりの人々の視線を自分の顔の上に対して感じることもあり、そんな時、窓に映る自分の顔を見て、間抜けにも気付くのだ。そこに映るは、他の人とは異なる、小さな目で・・ あぁ、私だって、この「色」に一点、小さく、細やかな点かもしれないけれど、別の色を落とす、アジア人であるということを・・・
ふと辺りを見渡すだけで、実にいろいろな髪の毛の人や、いろいろな衣装を着た人々、何やら重そうな荷物を持って、一体どこへ行くというのか、そして、なぜそんなに思いつめた、切実な険しい顔をしているのか、彼らは一体どこで、旅路を終えるのだろう。
私だって、この多民族国家に立派に色を添える一人間であって、気がつくと私こそが外国人であり、フランス語を話すイコール外国人ではない、フランス人だ、同じ、フランスという言語と文化を解す人間なのだという、フランス人の都合のよく、狭い世界で成立している共通意識が好きだ。
私なりに精一杯、頑張って、この地に小さな色の付いた点を落とし続ける。それはいつか、大きな染みにも広がりにもならないだろうけど、こういう色のついた点があったという事実だけは消えて欲しくない。
Un peu de fashion?