Previously, mari's paris life


"La France traverse une phase de vulgarite. Paris, centre et rayonnement de betise universelle" - C. Baudelaire :p
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さよならボナパルト
引っ越し話はまだまだ続きます。



ということで、無事次の部屋が決まった。では次に、いつ引っ越すか?ノルマンディーでぽむくんのお母さんの結婚式があり、どうしてもその二週間後でないと、ゆっくり時間が取れなかった。会社からもらってきた段ボールにものを詰めたりして準備するのも、帰ってきてからの一週間ではすぐに出来そうになかった。


というわけで、引っ越しは、7月の中旬の土曜日に決定。最初は彼に車を出してもらって、自分たちでなんとか運び出してやろうという話だったものの、幸い、ベッドやテーブルなどの大型家具をそのままもらえることになり(ラッキー!)、よくよく考えると、彼の極小サイズの車にこのベッド、入らない... 枠組みとマットレス部分を離し、マットレスを二つに折って入れることも考えたのだけど、それでも厳しいだろうという決断に至って、大体私はいつだってポジティブ(もしくはいい加減、あまり真剣に考えていないw)なのが災いして、プラン変更。
急遽、引っ越し用トラックを借りることにしたのが、一週間前!トラックも、あちこちのサイトで総合リサーチをしましたがw、ADAというレンタカー会社のが一番安かった。



引っ越し前日の金曜日、私はRTTを取り、夕方、レンタカー会社の前にいた。指定の時間に受け取りに来るためだ。彼が仕事をちょっと早めに終えて、合流して来てくれるのを待っている。フランス滞在一年目に限って、日本の免許証をそのままフランスの免許に変えられるシステムがあるのだけれど、フランスの免許を持っていても、私が運転出来るのは、典型的に女の子の免許、AT限定
ということで、トラックを運転するのは彼である。



まず、トラックを借りて、家の近くまでパリの道を走り、帰るのが第一の難関である。iPhoneでマップを出して、幸い一方通行など矢印で表示されていたのと、同僚に乗せてもらって帰る時などに道を覚えていたので、無事にナビすることが出来て、とりあえずは近所まで戻ってこれた。


次の課題は駐車場探し!普通の車でさえ駐車スペースを見つけるのは大変なのに、私たちはトラックである。その辺の路上を一周走ってみても、止められるようなスペースはない。バカンス時期にさしかかる、金曜の夜でもだ。


仕方がないので安全策で、近くの地下パーキングへ。ところが、車高1,9メートルに対して、パーキングの高さ1,8メートルと書いてあったのに、私の声に気付かず、彼は地下パーキングへ入る!



おかげで、途中、天井すれすれ、このカーブ、どうやって切るの?!という超スリリングな、二度と御免な場面もあったけれど、なんとか地下二階に駐車、成功.........
彼は普段、出張などで会社の車を借りて、停める時、深い方がすいてるからという理由でいつも下へ下へと潜るそうなんだけど、そのクセでつい、運転してるのは中型トラックなのにどんどん地下へと進んで行く... 「どんどんリスク取ってどうすんのよ」と途中で制し、彼もそこで目が覚めたようでしたが... 焦ったー!!



それから、近所でそのまま食事をして、すべて段ボールに詰め込んだしまった、いかにも引っ越し前夜、という部屋へ戻る。
二年もこんないい部屋に住まわせてもらった感謝と、離れたくない思いでつい涙が出る。たった二年だけど、いろんな思い出があったし、何より愛着があった。最初からこんないい部屋に住んでは、今後が不安になるくらい。普通、段々といい部屋に上がっていくべきなのに、こんな... 
幸い彼がいて、抱きしめてくれたのが心底有り難かった。お恥ずかしいことに、部屋を出たくないあまりに、私はパニック、数日前からセンチメンタルになること、極まりなかったので...。





土曜日、引っ越し当日、私たちは果敢にも朝6時に起きた。まずは急いで、地下パーキングに停めた車を取りに行く。ちょうど、うちの下にある、普段は配達専用スペースが、土曜日ということもあって、空いている!まずはスペースの確保の方が先決。彼のアイディアだった。(パチパチパチー)


私、まだ眼鏡でぼさっとしたまま、出発。パーキング内では助手席に乗らず、ひたすら走って誘導w
無事に配達スペースに駐車出来たので、安心してゆっくり朝食を取る。この部屋での最後の朝食。このバー(カウンターがあった)に座って食べるの、すごく好きだった。いつもここに座って、読んだり、書いたりしていたっけ。すると、時刻は9時近く。引っ越しの手伝いをお願いしていた彼の友達(なんと初対面w)と、近くに住むドロテが来てくれる。
途中でベッドやテーブルのパーツを解体する、ドライバーなどの器具が一切ないことが判明して、彼が急いでこの友達(まだ家にいた)に電話してくれたので、助かったー!!全然考えてなかった。。持つべきものは、やっぱりエンジニア



私たちは、ガタイのいい男子二人に女子二人という、素晴らしいチーム編成で、瞬く間に引っ越し作業は進んで行った。幸い、一階から一階への引っ越しだったので、荷物の移動も楽だった。途中、彼の友達Jが、疲れた様子を見せて、それを見たドロテが、
「でもね、マリはほんとだったら6階に住むはずだったんだから... それを思えば1階から1階で、いいことしたでしょ!」と言っていたのが可笑しかった。彼女は私が17区のアパートを迷いに迷っていたのを知っている。




みんなのおかげで、午前中、まだお昼になる前のうちに、新しい部屋への荷物の搬入が済み、前にあるカフェで休憩。それから彼と、ベッドの組み立てや家具を配置したりして、彼は帰宅。私は夕方、前の部屋へと戻った。再度掃除するため。






がらんどうになった部屋を見ると、変な気分がした。さっきまでここに住んでいたのに、今朝はまだ、ここで目が覚めたのに、なんだかもう、知らない部屋のよう。家具がもたらす効果は大きいのかもしれない。私の持ち物でないテレビ以外、全部取り出してしまうと、すっかり、もぬけの殻だった。



それから私は狂ったように床、キッチン、お風呂場、洗面台と隅々を掃除し、すっかり疲れ切ってしまって、バスルームにある、揺り椅子のような大きな椅子で眠りこけてしまった。この椅子に座ってのんびり考え事に耽るのも、大好きだった。すべてが大好きな、私の部屋。この部屋とも今日でお別れ。受け入れ難かったけど、受け入れなくてはならない事実。今まで幾度もの引っ越しを繰り返して、実にいろいろな部屋に住んだけれども、この部屋が、一番好きだった。窓から見る広場、夕方になると、それはそれは見事なトワイライトに包まれて、日曜日の夕方なんかだと人もまばらなので、まるで自分だけの特別な絵画を見ているような、そんな優越感があった。その景色とも、今日でお別れ。



私は通り沿いと、バスルームの窓を開けたまま、時折入る風を感じながら、そのまま眠った。通りからは土曜日なので、人通りの多さが聞こえてくる。両親も、泊まった友達も、全員、この部屋から通りを眺めて、思い思いに歩く人々を見るのが好きだったな、と思う。もちろん私も。


私はやっぱり悲しくて、眠りながら涙が出てくるのが分かる。最後、特に一番好きだったバスルームで、この部屋にお別れを言うように、少し眠る。一時間くらい経っただろうか、そろそろ鍵を返して、友達の誕生日パーティーに向かわなければならない。





「ありがとう、さよなら」
そう言って部屋を出た。もう二度と、この部屋の中には入れない。私は悲しくて悲しくて、鍵を返す時も涙が堪え切れなかった。馬鹿みたい。もう何度だって、引っ越しはしてるのに。どれも、納得した上、必要があった上での引っ越しだったからなのか、こんな風に、後ろ髪引かれて退去するのは初めてだったからなのか。

階段の、青い壁も、カーペットも、そこに住む、たまにすれ違う人々も、立て付けの悪くなった箇所も、締まりが悪い窓も、全部全部、好きだった。でも、もう前を見なくては...。大丈夫、次の部屋だってきっと好きになるに決まってる。


私は涙をぬぐって、待ち合わせのバーへと向かった。疲労し切って、ひどい顔、ひどい格好だったと思うけど。






それから約一週間して、ちょうど近くで会食が入り、帰る前、家の前まで寄ってみた。


見上げると、見慣れた窓。全部カーテンが閉まっている。きっとエージェントが立ち寄って、内部の点検をしたんだろう。容易に見てとれる。


もうなんだか、こんなところに住んでいたんだって信じられないような、本当に私はここにいたのが、変な気持ちだった。それはきっと、もう新しい部屋に着々と慣れつつある、いいサインだったのかもしれないけど、ここに住んだ二年は、私にとってかけがえのない宝物のような時間であって、感謝と、まだほんの少し残っているさみしさが、私の中にこみ上げてくるのが分かった。


『次ここを通る時、いつかまたここを通る時、このカーテンが空いていて、窓が開いているのが見えたら... もう新しい人が住んでいる。複雑だろうな』。そう思った。けれどもう、目の前の、住み慣れた部屋は、一度も入ったことのないような、知らないアパルトマンのようで、私を可笑しくさせた。



私は振り返らず、そのまま新しい部屋へと歩いて帰った。大丈夫、私はどこでだって、きっとやって行ける。もうあの夕方の景色は私だけのものではないけど、心の中にはいつだって、存在しているし、いつだってアルバムを開くことが出来る。そんな風に、永遠に保存されているのだ。私だけの風景。
そんな風景を心に持つ人は、きっと強い。





















フランスで働くの巻 comments(0)
パリで部屋を借りるの巻

引っ越ししなければならなくなったのは、突然だった。住み慣れた、それもとても愛着のあった部屋を離れるのは辛い。けれど、ちょっと事情があって、どうしても出なければならなかった。


気が付くと、フランス生活ももう3年目に突入している。最初の一年はパリと東京を何度も往復しなければならなかったけれど、もうすっかり落ち着いて、今の生活のリズムが、基盤が出来上がっている。


まだたった2年、されど、2... その、両方を思う。しかし、感傷にひたっている暇はない!急いで、次の部屋を探さなければ... 



それから鬼のように忙しい日々が始まった。フランスでアパートを探す方法はいくつかあると思うけれど、私はあまり休みが取れなかった(取りたくなかった)というのもあって、もっぱら主たる不動産アプリで。De particulier a particulier、通称Pap、その名も「個人から個人へ」と仲介業者を通さず大家さんから直接借りる物件を探すアプリと、SeLoger、仲介業者は通すけれども、妹&ぽむくん、炎のバイヤーチームによると、物件の家賃そのものはどうやらPapに載っているものより、安い...?!という、二つのアプリ。


予め条件と、自分が希望する家賃の相場、住みたい地区を設定しておいて、なんと便利な、アラートを受け取ることも出来る。もちろん両アプリとも、それぞれサイトがあるので、サイトに行って探すことも可能だけど、私はアプリで探しました。なんとなく。


ちなみに私の希望する条件は.....


・家賃は800ユーロ。出せても850ユーロMAX!(当たり前だけど、安ければ安い程有り難い。)

・出来ればワンルームでなく、もう大人なんだから二部屋欲しい

・住みたい地区は、会社が引っ越すかもしれないことを考慮して、3番線沿いの17区か夢の9区、妹の住む15区(でもモンパルナス寄り)、もしくは前と同じ地区(でも予算的に無理か...)

・バスタブ付きがいい

・洗濯機が部屋の中に備え付けがいい。コインランドリーに重たい荷物持って日曜日ごとに行くのはイヤ。。

・エレベータなしなら、フランス式4階まで...(日本で言う5階)。ぱっと歩いて上がれる、低層階の方が理想。

・会社がスーパーワイルドな危ない地区にあるので、それとの差別化をはかるため、出来れば綺麗な地区に住みたい。じゃないと精神衛生的にキツいので。。



と、ざっとこんな感じでした。難しいよ、自分!







一応ちゃんと働いていると言っても、外国人なので、ちゃんと書類選んでくれるかな、いい返事をもらえるかな...という不安がいつもあった。しかもいい物件を見つけて、担当の不動産屋なりアポイントの電話をしても、担当者がなかなか捕まらない、電話に出ない。と思えば、瞬時の差で、もう借り手が決まっている。「だったらなんで広告外しておいてくれない!!」と怒るのも束の間、メッセージを送っても当然返事は返ってこない、なしのつぶてで、ほとほと苦労しましたが...




最初に見に行ったのは、17区、凱旋門の裏を一本入った、テルヌという地区で、全然知らなかったものの、大通り沿いには全部いろんなお店があるわ、スーパーもたくさんあるわ、屋内市場まで近くにあり、とても庶民的で、暮らしやすそうなエリア。



アパート自体は、まぁ閑静な住宅街の、奥の、別棟、いわゆる元女中部屋(使用人部屋)の6階、最上階にあり、各階に一世帯しか住んでなかったので、すごく静かで、加えて、日当りもいい。ミニバルコニーまで二つも付いており、なんとも可愛い。床は青いカーペットが一面に敷き詰められていて、なんともキッチュ、レトロ。お風呂場は希望していた、バスタブ付き!棚もありとあらゆる壁中に作りつけられていて、新たにタンスを買う必要もなし(しかも私は大量の服持ち...)。まるで私のための部屋!と思わず錯覚した程。



家賃も、今時のパリに珍しく、なんと二部屋、35平方メートルで730ユーロという破格の値段だったのだけれど、問題はフランス式6階、日本でいう7階、使用人部屋の棟ということは、母屋と違ってエレベーターなし!の、「毎日の買い物どうするの?!水(ペットボトル大6本セット)は?!」という点だった。




なんとこれが見に行った一件目の物件だったにも関わらず、見に行った翌日、早速不動産屋のおじさんから候補の電話がかかってきた!確かに、他にも見に来ている人数人と同時に下見の最中、私の勤めている会社をおじさんが知っててくれたこともあって、何かと意気投合、上手く行くものがあったのだけれど、外国人だし、そう簡単に選ばれるわけない...と思っていたらすぐの電話だったので、びっくり!



6階エレベーターなし、洗濯機の取り付け工事はこれから始まる。けれど置けたからと言って、台所は台所と呼べるにはほど遠く、いわゆるキチネットという、キッチンの極小版、流しだけしか付いてないような有様で...。コンロはなし、自分で買って置かなければならないけれど、置く場所だって定かじゃないような、簡素な作り。



料理、ものすごーく得意、するという程でもないけど、やっぱり簡単なものは作って食べたい。時間があれば、週末などにゆっくり料理するの、好きだし。友達にも、「すっごい料理するの好きじゃない限り、そういう部屋でもいいんじゃない?でも、洗濯機の排水ホースがキッチンの流しに取り付けられるって、私も前にそういう物件一度見たことあるけど、やっぱりエステチックじゃないから(審美的にNGという意味)、やめたのよね」という意見であった。



それから問題は、今の部屋には中古で買った洗濯機と、作り付けの冷蔵庫があったのだけど、せっかく洗濯機をもう持っているにも関わらず、新しい部屋、6階まで持って上がるのは不可能に近い... 出来ても、誰に頼むの?!洗濯機なんて重いもの、男友達に頼むのだってさすがに気が引ける(彼には早めに、『それだけは絶対に勘弁してくれ』と言われていたw)。


じゃあ新たに買って、配達してもらわないとならなくなる。冷蔵庫も同様。しかも、冷蔵庫は、キッチンが狭すぎて置けないので、サロン(リビング)に置くことになる。これも、複数の主に年配のフランス人から、「エステチックじゃない」とのコメントをもらった。外見がいかに綺麗で整っており、洒落ているかは、フランス人にとってすごく重要な要素なのだ。



いくら部屋自体の家賃が高くても、いくらなんでも初期投資が多過ぎる、かなりの出費になるだろう...と見込んで、せっかくオファーの電話をもらったものの、悩みに悩んで、サイン当日の朝、電話して丁重に断ってしまった。



おじさんには本当に申し訳ないことをした。その後、丁寧に返ってきたメールの本文に、

「マドモアゼル、残念です。ですが、これでまた、誰か別の人に喜んでもらえるでしょう...

と書いてあり、心が痛んだものの、その通りだな、と思って、おじさんのウィットに富む文章に感謝する思いだった。





それからは、一度はサインまで決まりかけた部屋を断ってしまったことにまるでバチが当たるかのように、見る部屋見る部屋、どれも、80%も満足出来ないような、有様。中には、探していた時期が夏だったということもあって、工事中でろくに様子も分からないようなもの、もしくは、水漏れに遭い、壁が一面真っ黒... (ひー!)



またある時には、なんと、住んでいた部屋の目の前の立派なアパルトマンの屋根裏部屋が広告に出ており、『これだー!これなら生活のベースも変わらないし、家賃もちょっと高いけど、なんとかなる!あの建物は前にドアが空いてるとこ、ちらっと見たことあったけど、エレベーターもあったし』とルンルンで内見の待ち合わせをお願いしたら、なんとエレベーターのある立派な母屋とはまず、入り口が別で、エレベーターを目の前に右に横切り、細い、暗い通路を抜けたらあとは、細い細い、気の遠くなるような螺旋階段を6階まで上がらないとならないという、超女中部屋の作りに、私、カルチャーショック!



6階の部屋は、まるで牢獄のような作りで、ドアには番号が。まるでこれじゃ独房である。床も、掃除が行き届いていない。私が部屋を探している頃、ちょうど両親が遊びに来ていたのだが、この内見に興味津々で付いてきてくれた父は、『ホコリ溜まり過ぎ... 』と密かに驚愕していたようである。



肝心の部屋自体は二部屋をくっつけて、改装してあり、不動産屋のお姉さんの話を聞くと、昔は六畳一間で、各部屋の使用人、メイドが住んでいたそうである。まったく、こんな狭い、暗い部屋に住んで、一日中働きづめの生活を送っていたなんて...!まぁ、そういう時代だったとしても... 想像するだけで、不憫でならない。改めて、フランスの闇の階級社会の一面というか、差別を垣間見てしまった。入り口からして別だなんて... ただの内見に来たのに、あまりの凄さ、歴史が残っている様に圧倒されて、私は言葉も出なかった。廊下には、まだ当時共同で使っていた、トイレが残っている。


部屋は20部屋以上もあったけれど、現在住んでいるのはたった二世帯なんだそう。たぶん、学生だね。もしくは社会人か。けれど、あそこ絶対幽霊出ると思う!!XD

あんな暗い、狭い螺旋階段を一人で夜遅く帰った後、上がって帰る勇気はありません!!






とまぁ、またこれでパリの、新しい一面を知る機会になるというか、体力と時間をかなり消耗した部屋探しだったものの、今は無事に新しい部屋が決まって、ほんとうにほっとする思い。

新しい部屋は、Papで、写真もなく、大して期待もせずに見に行った部屋だったのだけれど、前の部屋に近いから大して行動範囲変える必要もなし、希望する低層階、バスタブはなかったものの、身動き取れないようなボックス型シャワーでもなく、割とゆったりとした作り。部屋自体はミクロコンパクトで、バスルーム部分を入れても全部で20平方メートルと小さな、ワンルームですが、コンロは付いてる、冷蔵庫、洗濯機も!ということで、予算オーバーだったものの、部屋探しに疲れて、両親の後押しもあり、決めてしまった...





極めつけは、出会った時からすごく感じのいい優しい大家さん(普段は南仏に住んでいる)が、なんと息子さんの一人が日本人と結婚されていて、日本へはもう10何回も行ったという、親日家だったこと!XD (お風呂場にかけてあった、日本の温泉でもらう薄いタオルで分かったw)



なんという偶然。というわけで、内見の時から意気投合、「あなた、これを見に来たんじゃないわよねぇ...苦笑」とお孫さんの写真まで早速PCで見せてくれるという()、とてもスムースに事が進み、私は全然期待していなかった分、提出しないといけない書類(給与明細、パスポートのコピー諸々)をなんと忘れて、持って来ていなかったんだけど、きちんと説明し、翌日再度アポイントメントをお願いし、書類の提出だけに再度伺うことに成功。この時点で、どうやら大家さんはそもそも私に決めてくれていたみたい。

広告を載せた当日に、なんと7()もの内見依頼の電話が早速かかってきて、私は二番目。一番目の子の経歴がちょっとおかしかったらしくw、順番的に私へと幸運が回ってきたのでした。


マダムは、「○○(息子さんの奥さん)のおかげだわ、こうしてマリを信頼することが出来るのは」と優しい微笑みで言って下さった。





内見に尋ねた数、計7件。フランスは日本では当たり前の、「玄関」とかありますからね、広告に。w

途中、9区の前から好きだった閑静な地区にかなりいい条件のアパートがあり、早速書類提出、そしたらなんと、給料の条件が、なんと50ユーロ足りない... というアクシデントがあり、これには相当へこんで、メールをもらった時思わず会社のデスクで泣いてしまった程だったけれど、こうして無事に、(決して自分一人だけの力ではないけれど)なんとパリで部屋を借りるという日が来て、自分を誇りに思うことが出来るだろう。

(もちろん、50ユーロ足りませんと言われて泣いて黙ったわけじゃなくって、抗議したし、なんとか交渉してもらえないものかとありとあらゆる書類を会社に用意してもらって、戦ってみたけれど、そうこうしていたら今の部屋に巡り会ったので、最終的にはこっちから辞退した。)




探せば、きっと望むような部屋はある。けれど、パリは年中住宅難で、借りたい借り手の方が膨大に膨れているし、貸したい大家さん・物件を持つ不動産屋の勝ち市場。こんな市場も珍しいと思うけど、しょうがない。私が引っ越ししないといけなくなったのは、ちょうど6月頭。ちょうど学生がパリでの学業を終えて、田舎に帰るなり外国に旅立つ、安い部屋やワンルームが大量に空きが出る頃で、引っ越しは本当に困難極めることだけれども、ある人ある人に、「でもね、マリ、この時期でほんとラッキーよ」と言われたのだった。



出来ることならもうこんな面倒な、部屋探しをする羽目に遭いたくないけれど、いろいろな物件を見て楽しかったのも事実だし、目が肥えた。いろいろ見ると、比べられるようになるし。

本当いい経験になった。同僚の話では、「絶対この通りに住む!」とかなり条件を絞っていたので、彼女はなんと、25件も見に行ったそう。ひぇー!




今もしパリで部屋を探してる方がいたら、どうか上手く行きますように...!人事ながら願ってるよ。




mari











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真夏のローマへ





























真夏のローマへ行ってきました。なぜ、8月の、わざわざ暑いのが分かっているローマに行くことになったのか... 遡ると...


まずは7月頃、彼と「バカンスやっぱどこか行きたいよね〜」という話になり、その時点で、話題に上がるの、遅い。ていうか、私としてはやっぱりギリギリに航空券も確保したら、その分高くなるし、4月ぐらいから折りを見て「ねー、バカンスどこ行くー?」と無垢な子どものような目で聞いておったというのに、全く先のこと考えられない&予定立てられない&でも超絶理系の彼のせいで、こんなギリギリになった... のがまず一つ。


で、次にどこに行くか。
去年の秋頃から、彼はダブルスクールで、夜間、平日の仕事が終わった後、なんと経営学の修士、マスター2に通っているのだけれど、それがいよいよ10月で終わるということになり、ということは論文提出諸々があるわけで... よって、彼が旅立てるのは、多くても4日。それ以上は、無理。と堅く言い渡されて、じゃあ4日で行けるところはどこだ!距離的に、スペインかイタリアしかない。クロアチアもとても良いって評判で、クロアチアも考えたけれど、どうしても移動に時間がかかる&やっぱりちょっと遠い。


となると、やっぱりイタリアかスペインですわよね。南仏も提案したけれど、「フランスから出たい」の一言でお互い一致、スペインはこないだ一緒にバルセロナに行ったしなぁ... まぁ正しくは、私出張で先に入る→金曜日合流→週末一緒に過ごす、だったのだけれど、それを引いてもなんというか、私の中で、「一緒にイタリアに行く」というコンセプトの方が、「一緒にスペインに行く」よりも可愛く、ロマンチックで(意味、伝わりますでしょうか...)、こうしてとりあえず、国はイタリアに決定ー!



じゃあどこの街に行くか、という議論に引き続き、なる。4日で十分過ごせるところ、かつ移動にそんなに時間が取られなくて、出来ればやっぱりビーチにも行きたい、のんびりしたい...
しかし!なんと彼は、島が怖い。(まったく太字にしてやりたい。後日、してやった。)だって夜寝てる間になんかあって、次の日帰れなくなったら嫌でしょ... と本気で心配していた......
日本だって島国ですけど?!



ということで、島を除いてw海沿いの街を中心に探し、一時はバーリなども考えたのですが、いろいろ調べているうちにちょっと治安がやっぱり心配だな、と思い、私は二回目だったものの、ローマへ、ということになったのでした(長い!)。




実は彼は、何気にお母さんがイタリア人という、フランスとイタリアのハーフなのだが、顔は誰もが認める120%フランス人顔、イタリア語に至っては、家族の中だけなぜか自分だけが喋れないというオチ。(一体なんで?!謎。。)


ということで、イタリアへ行くと決まっても、全然頼りにならなーい! のは最初から分かっていた... (私だってイタリア語分かんないよー!喋れるようになりたいけどさ




ローマは予想通り、やっぱり暑かった!とにかく歩いて歩いて、ローマ散策。街自体はそんなに大きくないと思うのだけど、固い、しっかりとした地面のせいかところどころパヴェ(敷石になっている古い歩道)があるせいなのか、スニーカーを履いていても、疲れる、疲れる。。
小さそうと行っても、なんていうかパリの、どこへでも歩いて行けるような小ささとは違うのだ。上手く説明出来ないんだけど。
やはりスケールを感じる。さすが古都。すべての道はローマへ通じる。とはよく言ったもんだ。



着いて二日目に、コロッセオの中見学(これだけでも十分、広い)、のに、その後隣の遺跡へ(ごめんなさい、日本語名分からないw)、それからまた歩いて、くたくたになりながらカラカラ浴場跡まで行った......

それから反対側へ渡って、レストランを探し、またどこまでも歩いて帰ったのであります...



私も歩くの大好きだけど、奴の山男っぷりには驚愕。。どんな坂もスイスイと。登っていたもんね... 参りました。



暑かったけれど、やはり街の圧倒的な魅力には勝てないし、どんどん歩いて、知りたくなる。なるべく陰を選んで選んで... 歩きました。



***



Pierluigi、このレストランは、本当にオススメ。ホテルの優しいパオロに教えてもらったのだけれど、本当に美味しかった!特に魚介類が専門みたいで、その日に取れたお魚ばかりみたいよ。A restaurant to remember !


それから新ローマ教皇... あちこちでTシャツやらキーホルダーなり、商品化されて、凄い... と思っていたら、なんとアイスクリームに付いてきたクッキーにまでいたからビックリ!XD


Hope you enjoy my Rome pictures




mari















遠くへ comments(0)
Holland trip





























まずは夏休み第一弾、何気にもう10年来の友達、オランダに住むピーター(ご存知スーパーモデルフリーク)のところへ行ってきた!It's always nice to change the air! ;)



北駅から、随分前から予約しておいたタリスに乗って(電車の旅もいいよね!)、ロッテルダムで電車を下りると、ピーターと旦那さまのミシェルが迎えに来てくれていた。それから車でデルフトへ。バカンスでいないのと聞いていた友達サンダーが、なんと入ったカフェにウエイターとして私たちのテーブルに頼んだ飲み物を持ってきて登場するという、サプライズあり(笑)、もーうほんとうに、クレイジーな友達のせいで最高に面白い、笑ってばかりの旅だった X'D


それから、なんとゲイバレードの日にアムステルダムに泊まり、ピーターのアムステルダムの友達と一緒にもみくちゃになりながら踊り、飲み、飲み、、こうしてまた新しい友達も出来て、日曜日の朝、ゴッホ美術館で感動した後は、また車で一路、ピーター達の住む、ほぼドイツ国境の、グローニンゲンという地域へ。


ここに住む人々は、一度も日本人を見たことないという人ばかりで、ピーターの家には三泊したのだけど、仲のいいご近所さん家へ出かけて挨拶したり、車に乗っていると、待ち行く人に顔を凝視されたり、まるで珍しい動物のようでした(笑)。


オランダの人は、スーパーオープンで、両親がいる前でもとーんでもない話題で、盛り上がっちゃうし(一体終始どんな話が繰り広げられ、その度に私は赤面し、困っていたか、ブログには書けない.... ほんとにそんなレベルw)、大体誰でも英語がぺらぺらなので、コミュニケーションが取れるし、私にとっても、久しぶりにずっと英語喋ってて、いい気分転換になった!しばらく、フランスという国を離れたかったのも、ある。
その後帰るとバカンス後にありがちな、フランス語忘れるもしくは出づらくなるという副作用付きだったもののw、いい時を過ごしたー!XD



国名通りどこまでも広がるような平坦な土地、緑多い街、外も家の中もピカピカのお家、魔女伝説(!)のある森や、田舎でのーんびり過ごして、最高だったよ。窓を開けると家の前はこの景色!


ピーターは4匹の猫を飼ってるんだけど、一日目の朝、目が覚めてキッチンへ行くと、四匹にするりと足下を囲まれ... 私、目がハート。発狂寸前(猫好き)。
もうほんと、天国かと思ったね!笑 私、天国だったらこんながいい!と思った。(猫飼いたいけど、不安事項があって飼えない、私も母も、憧れの動物なのだ)



Thanks to my crazy Dutch friends, I had a great time in Holland <3

Big love xxx




mari
























遠くへ comments(0)
夏の終わりはいつも哀しい










随分お久しぶりになっちゃった!


5月末にはまた両親が来たり、妹に子どもが生まれて私はTata、おばちゃんになったり、両親とまたボルドーへ行ったり(まさか一年に二回も行くことになるとは思ってなかったぜ。笑)、そうしていたら、急に引っ越ししないといけなくなり、ものすごい忙しさに追われ、やーっと8月、バカンスに突入出来て... 今に至る。


部屋探しは本当に困難を極めたものの、なんとかいい大家さん、いい部屋に巡り合えて、ほっとしてる。これもまた、いい経験になった。


新しい部屋は、狭くて高いという(汗)、オーイ。。って感じのチョイスなのだけど、妹の家に近い&習字教室にも近い、そして会社へも一本で行ける、と、立地で決めてしまいました。


でも、新しい部屋もどんどん好きになってきた!狭いけれど、なんでもあるし、狭いというよりコンパクト。と思ってる。年末から年明けにかけて、彼がいよいよアパートを買う予定なので、一緒に探す予定。なので今、私は彼が買うのを待っていて(笑)、そこに潜り込むつもりなので、この部屋に住むのは半年か一年くらいだろう。たぶん。そのつもりで、借りた。



楽しい時は過ぎるのも速い。気が付くと、もうバカンスも終わり。夏休みの終わる、この時期が苦手。日が長い、いい天気の続く、待ちに待った夏は去って行くのも早くて、さみしくて、つい、感傷的になってしまう。9月になれば、新学期モードで、また慌ただしい日々が始まるし。夏の終わりって苦手だ。



今年はやーっと、二週間半もの休暇が取れて、オランダとローマに行ってきた。その様子も次のポストでゆっくりお見せしたいので、相変わらずマイペースなブログですが、これからもお付き合い頂けると幸いです。





みんなバカンスに出かけて、まだまだ空っぽのパリより
mari













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